9.Wo Licht ist, da ist auch Schatlen.


「まあ。これは珍しいワインですのね!」
応接間に到着し、アスランからの手土産であるワインを開栓するためキッチンへ一人向かい、戻ってきたラクスが着席したところでようやく気がついたらしい。さすが天然。
「ああ。カガリがとっておき!といっていたから。本人は今夜呑めなくて残念がってたけどな」
ラクスはテーブルを挟んで対面する形でソファに腰を落ち着かせて、ふむとカガリが執務室で散々愚痴をこぼしている想像に難くない様子を思い浮かべながら、寂しそうに言った。ラクスもカガリとはしばらく会っていないので、是非ともと楽しみにしていたのだが。
「でもカガリさん、あまり呑めないでしょう?」
「そう。すぐ顔赤くして寝るからなあ、アイツ……」
コップ1杯ほどで伏せてしまうカガリを微笑ましげに目を細めて思い出す。
酒を酌み交わしながら、延々と世間話やら相談事をするに適した相手ではないのである。さあいつまでカガリは寝こけずに耐えられるだろうかという傍目からの楽しみ方はあるにはあるが、それではこちらが現に置いてきぼりであり、所在がないので実は、だからこそアスランは今日が密かに心待ちにしていたのだ。
「でも、今日はキラもラクスもいるから、結構楽しみにしてたんだ」
「まあ。私もですわ!」
アスランは言葉を受けて瞠目する。
「え?でもラクスは、話し相手にキラがいるじゃないか」
「いえ、まあ、そうなんですけれど……」
苦笑交じりに茶を濁す彼女に、彼は困惑して言った。
「キラは酒強いじゃないか。双子だけど、コーディネーターだからか、不思議と遺伝してないみたいだし」
「……キラは、呑むと絡んでくるんです」
ため息混じりにラクスは用意したグラスにワインを注ぎ、アスランの手元へと滑らせる。
「あれ?トラだったかな、キラ。結構素面に近かったような」
ありがとうと一言謝辞を述べ、首を傾げつつも彼はワインを口へと運ぶ。
(これはおいしいな。やっぱりある程度寝かせた方が……)

「キラはべたべた私の体を触り始めるので、お話になりませんの」

ぶっ!!!

アスランはワインを吹出し、げほげほと咳き込む。
「あらあらアスラン、大丈夫ですか?」
あくまでものんびりとしたラクスに、口元を手のひらで隠しながら器用に半笑いを返す。
「え、あ、は・い。大丈夫だよ…………」
気管に入り込んで鼻が痛いわ喉が痛いわで実質全く大丈夫ではないのだが、形式上アスランは
「大丈夫」のポーズ(片手を挙げてこちらに身を乗り出したラクスを制しながら、ハンカチで口元を抑える)をとり、
ぼそりとしゃがれた声で呟いた。
「そんなことしてんのかアイツは……」
「ええ。そうなんです」
どうやら聞こえていたらしく、ラクスは自身も注いでいたグラスを呷りながらぼやき始める。
「キラが、普段から私の肩や腰を抱かれるのは、日常ですし私も嫌ではないのですが……」
いや、あんまり普通じゃないし、日常なのはおかしいだろう。
アスランが内心で突っ込みをいれるも、つとつとと切実にラクスが続ける。
「なぜか、私をお膝にのせたがったり、胸を触り始めたりして、困るんです」
(…………なんだかキラが、遠い……)
アスランは輝かしい思い出の中で、キラが気になっていたらしい(そんな話をしていた)
なかなか可愛らしい女の子がアスランに声をかけ、無口な彼がなんとかたどたどしく話している背中でそっとたたずんで顔を赤くしてもじもじしているキラを遠い目で回顧していた。
「キラはいつからあんな手早くなったんだか…」
同じくラクスまで遠い目をしてふふと途方にくれたような薄笑いを漏らす。
「そうですわね……私も、不思議です。こちらで暮らし始めた辺りでは、そんなこともありませんでしたのに」
「そうなのか?」
「はい。でも、暮らすうちに、なんとなく……」
「元々不自然ではあったからなあ、ラクスとキラは」
「そうなんですか?」
今度はラクスがぱちくりとする番であった。
「そりゃあなぁ……。雰囲気がただの友人じゃなかったのに、関係はそのままだったからな1年くらい」
「いろいろ、あってなんとかなりましたわ」
苦虫を何匹か潰した顔で笑うラクス。おそらくは困難な道のりであったのだろう、キラも戦後直後は別人のように呆けてしまい、会いに行ってもぼんやりとしていることが多かった。自責の念と己が奪った命の罪悪感に自ら生きることすら疑問視していた時期もあった。それはアスランも同様であり、おそらくは目の前の、当時は少女であった女性も同じであっただろう。自らの采配一つで、容易く多くの死が閃光に弾けていくのだ。その恐ろしさは彼の想像の比ではないだろう。
しかも彼女は政治家の娘とはいえ、民間人のキラと同様に軍事的な訓練も教育も当然ながら何も施されないまま戦場へ駆り出たのだ。表面化してはいないだけで、一MSパイロットであるキラやアスランよりもよほど、クライン派・オーブ軍の旗印であった彼女は計り知れぬ重責を背負っているのだ。
―――――指導者というものはなりたくはないものだとふと思い当たったところで激しい自己嫌悪に陥る。
(何を馬鹿な。俺は……!)

「アスラン?」
はっと一瞬で我に返った彼は、曖昧に作り笑顔をのせて誤魔化すように、忘却の手助けとなるようにワインを舌に転がす。
「……おいしいな」
「…………ええ」
ラクスの澄んだサファイアの純真な瞳は、こちらの穢れた思考など見透かしているように思えたけれど、そこには決して苛める光は感じられず、ただただ穏やかな、母のような慈愛で全てを許すようであった。
アスランはしばし彼女の優しげな微笑とそっと見つめあい、やがて緩やかにひいていく小波を胸中で広げながら、強張っていた肩を緩和させる。彼女は、不思議な人だ。出会ったときから、ずっと魔法を自由に操る、そんな夢の中の女性。
「……でも、キラとラクスはこうなるだろうとは思ってたよ。あんなに通じ合ってたからな」
「よくわかりませんわ」
くすくすと声をたてるラクス。
「奥手で恥ずかしがり屋だったキラが、ラクスをリードできるくらいになるとは、俺は想像できなかったよ」
「私もです。本当に、どうしたのでしょうね……キラは泣いてばかりにいたのに」
懐かしげに目を細めるラクスに心底同意しつつ、アスランはワインを進める。
(今度、キラと二人きりで呑んだ時にでもきいてみるか……)
そっと心に留め置くと、すっかり酒の肴となったキラに纏わる話をわずかに、甘い痛みを催す記憶に思い当たる。慌しい事の流れの中でうやむやにされていた今は、過去の記憶の一部だが……鼻腔に心地よく馴染む芳醇な葡萄の香を味わいながら、微笑をのせながらもアスランはゆっくりと、しかしどこかぎこちなさを残した口調で、彼女に訊ねた。
「ラクス。キラ、のこと……いつから、その……好意をもつようになったんだ?」



/Wo Licht ist, da ist auch Schatlen.
(光あるところ必ず影あり)