「ひと」はまだそらをめざしています。たかいたかいそらにてをのばしつづけています。 ときおりせんぞのようにおそいくるくうふくをそらをみあげることでみたしながら。 あしもとには、そらをむくはずのくさばなが、「ひと」のあしのうらにつぶされてしんでいきます。 // D N A - 8 極秘に設立された研究所から護衛車に挟まれ帰路につくシーゲルの顔は、いつも土色にくすんで見える。 妻の顔色も同様芳しくないものだったが、彼女はせめてもと笑みを形作り、気丈に振舞った。 病魔が蝕み、骨が痛む身体を押しても彼の支えと成ることこそが彼女の至上の喜びだったからだ。 「あなた………どうするのです?」 「あのまま…あの狂った実験を続けさせるわけにはいかない!あの娘には、何の罪もないじゃないか!科学者の変人どもめ…何十年も遺伝子を弄繰り回した挙句に、産まれれば人工子宮で自由に歩むべき人生すらもまた操作だ!どこまであの子を弄べば気がすむというのだ…彼女は人間だぞ!!」 「でも、ようやく機会が与えられたではありませんか。ようやく偽の幸福からも救える機会が」 金色に波打つ髪をそっと綻ばせて、太腿の上で固く結ばれたシーゲルの手に手を重ねる。 「そうだ、だから逃す手はない……」 「あの子を、私達の子供として迎えましょう。本当に幸せな記憶を、人生を送らせてあげましょう。 協力者も言ってくれているではありませんか。あの子の記憶にぼんやりとある両親を私達にそのまま移行させることで、なんの障害もなく健やかに暮らしていくことができると」 「本当はそれすらもしたくないのだが…これ以上、そんな真似をあの子に」 苦悩に頭をかかえるシーゲルに、妻は彼の丸まった背中に手を添えて、俯く夫と瞳を合わせた。 「けれどあの子に何も勘付かせないことが、それが一番幸せですわ。あなた」 「しかし」 「あの子の幸せが第一番です」 妻が強く頷くと、シーゲルはしばらく妻の台詞を反芻した後、やがて取り巻いていた何かしらの重圧から開放されたように、強く引き結んでいた口端を落とした。 「あの子の幸せをこれからは私達の手で」 * 突きつけられる過去に拒絶するように蹲り、耳を塞ぎ震えるラクス。 正面にもう一人のラクスが同様に膝を折った。 小さな子供をあやす様に彼女と同じ色、同じように長い髪を掬うと、笑いながら口付ける。 「恐いの?…ラクス」 頭を小さく振りながらもう一人の自分の追随に、一層顔を俯かせる。 「ラクス、私達は開放されたのよ!だから、もう…幸せになっても、普通の幸福を掴んでも、いいはずよ!」 「今更だけれど、もう世界があなたと共有されていないのが、残念だわ。私の今までをあなたに教えてあげることもできない」 「今まで…?どういう」 疑問を口にしたところで、もう一人の彼女が蹴散らすような強い口調で遮った。 「生じた存在意義からは、永遠に逃げることはできないのよ。それはキラ、あなたも同じでしょう?」 キラは物の事態に何もできず、見たことのないほど露呈されたラクスの脆さに驚くばかりで、混乱に頭がついていかず返答に妥当な言葉すら満足に見出せない。 「………………」 「数多の犠牲の上に成り立っているのはあなたと同じですわ。ある意味ではあなたよりもずっと前から研究されていたことですから」 「…ジョージ・グレンは、何が目的で君たちを…?」 ラクスがキラの言葉に反射的に顔をあげた。酷く怯えた顔。キラは気がつかない。 嫌な汗がじっとりとキラの背中に汗ばんでは、肩甲骨を緩慢に伝っていく。 キラは確かに床に足ついているというのに、足元が底なし沼のように頼りのないものに思えた。 「キラはラクスの、『平和の唄』はお好きかしら」 「………なんの関係が、あるんですか…」 まあ、と彼女は愉快気に口に手を添えた。 一連の動作すらもどこか気品に溢れ、忌々しいほどに清廉されている。 「なにせこの子のコンセプトは、コーディネーター、いいえ、全人類に讃えられるそれは素晴らしい歌声と愛される素質を持つことですもの。人を心から愛し、正義を求めるラクス・クライン!」 「やめてラクス!」 彼女はラクスを見遣り、柳眉をつりあげた。されど留まることなくどこか皮肉りを含んだ大仰な演説は続く。 「世界は素敵!世界は平和!人はみな微笑み、手と手を取り合う。ああ、なんて素晴らしい世界なのでしょう!!」 「なんといっても、ラクスは『それ』を目的に創造されたのですもの」 キラとラクスの顔色が進むにつれみるみる変わっていく。 「私達は何歳頃までなのかは分からない、ずっと研究室のカプセルで現実と夢を行き交いましたわ。 幸せな幼少時をすごしたかのような錯覚の世界――教育と実験を繰り返される悪夢の幸せの中で生き、どこまで人は神に近づけるのかを愚か者達が、実験体として生み出された存在。それが私達。 多くの人を滅ぼしてきた戦争で、紛い物の性能をためすにはちょうどいいでしょう。 私達による、全人類を巻き込んだ最高のビッグショー!踊りましょう!これから始まる麗しき舞台で!」 恍惚とした表情で立ち上がると、胸で神への信仰を示す仕草を取った。 崇拝の心はない。あるのはただ神への痛烈な皮肉。 「ラクスはいつの世も揺るがぬ正義。一筋の光。そして片割れの私は悪であり正義!ああなんて壮大で素敵な物語でしょう!」 「話をはぐらかすな!」 キラは目前で語られる異常そのものの物語にたまらず叫ぶ。玉汗の浮く額は、怒りと困惑に上気していた。 もう一人の彼女は女神が悪魔にでも取り憑かれたような鮮烈な笑みをたたえた。 誰しもを魅了する暗黒への誘い。狂気を秘めた二対の海にキラは引きずり込まれた。 彼女の美しい瞳は、確信と期待に潤みさえしている。 「私はコーディネーターによるコーディネーターの為の利害と危機を一手に引き受ける存在」 「神が人を左右する―――それを運命と呼ぶのならば。私達は気まぐれな運命の二つの形」 「どんな暗い時代にも夜明けを謳う優しい人間は現れるわ。そうして時代は、世界は繰り返されてきたのだもの。空に出る太陽と月の関係のように。けれど、正義と同じように、またいつも夜へ誘う悪がある。 そして悲しみの夜の時代が訪れる。けれど太平の世ももある。それは悪が正義に振り向いた時。 …私は悪にも善にも成る気まぐれなもう一つの非常な運命」 「私はコーディネーターに味方することもでき、また滅ぼすこともできる。私は貴方たちにとって、悪にも正義にもなれるのよ!」 キラは息をついた。あまりの展開に頭痛すらおぼえた。 「…どうやって。君たった一人で、この世界に何ができる!」 「―――最高のSEEDは貴方だけの特権ではない、ということよ。キラ・ヤマト」 「……………!」 謎に満ちたSEEDの存在。 ナチュラルにもコーディネーターにも内在するとされるも、その法則性は解明されていない。 不安定な要素ながらも宿し主の能力を飛躍的に向上させ、超人的な力を発揮させるというある種の奇跡。 最高のコーディネーターとして誕生したキラ自身も意図して扱える代物ではないというのに、この少女は堂々と口に上らせた。超然とした瞳はこの世全てを見透かしているように揺らぎがない。 「気まぐれな運命を示す私にとっては、今はナチュラルなんてどうだっていい。私はコーディネーターが大好き。暗闇から救ってくれた議長も、パートナーも!だから滅ぼすの。もう邪魔だから」 大粒の涙を零しながらラクスはもう一人の自分に叫んだ。 「ラクス!!」 彼女の片割れの名を、自身の名を。 しかし冷然と構え佇むラクスと瓜二つの彼女には届かず、ただ意志の篭る瞳が感慨なく片割れを見返すのみ。 「あなたは思うように平和へと導きなさい。自分の役目を果たしなさい。それが、私達の唯一無二の存在意義」 「どうして!?もう私達は、紛い物である必要もないのよ!自由に生きたいと、あなたもそう願っていたじゃない!!」 ラクスは尚、立ちはだかろうと―――――言葉だけではない、竦まんとする勇気を奮い立たせてラクスはもう一人の自分の前で行く手を遮った。少しも動じることなく、虚しく無表情が宿る片割れ。 「けれど、時はきた。私のパートナーも見つかった。そう、ラクス。研究を妨害し、あなたを強奪したクライン家にあなたが姓をいただいたように、私にも新しい名前ができたの」 「昔に戻って!ラクス!」 必死に喰らいつこうとするラクスを愛しげに彼女は見つめ、震えながらめいっぱいに広げた腕に、彼女は優しく手を添え下ろさせると頬を撫で付けた。 母親のように、愛情の篭った仕草。 「……………お幸せに」 彼女の歩が進み、ラクスと肩が並ぶ。 一体誰が、去りゆく後姿を止められたというのだろうが。 この場にいるキラとラクスには少なくとも、これ以上の追尾は彼女の意志には許されず身じろぎすらままならない。軽く外界との境界を押しだすと、僅かに開いたままの扉がいとも簡単に密閉されていた空間を収束させた。 「………私は役目を、果たすわ」 舞い込む冷気がようやく酸素を孕みだした。 静かに響く声を最後に、彼女の気配は遠ざかっていく。 遠ざかる足音に、緊張が解けたのかようやく思い出したように、ラクスは涙だけでなく嗚咽までをも漏らし始める。 人前で泣くことを嫌う彼女が、稚児のように大粒の涙を床に落として肩を上下させている。 キラにはラクスの悲しみが分からなかった。いや、きっと一生そうだろう。 自分と存在を同じくする半身に徹底的な別離を突きつけられた苦しみなど、推し量るには十分な経験すらなかった。結局のところどれだけ彼女を理解したいと願っても、一つになりたいと願っても、どうしたって永遠に叶わない無謀な望みに違いない。 キラは佇んだまま為す術なく下を見つめるラクスにゆっくり、ゆっくりと歩み寄っていく。 彼女に確認を取りながら、血が滲む心の境界、手を伸ばせば触れてしまいそうな数歩前。 キラはそこで立ち止まった。まるで目に見えぬ線引きでもあるように。 「君は、君だよ。ラクス」 「ごめ、………なさい」 ぱたぱたと床に雫が落ちていく。彼女の謝罪が自分に何を求めてのものなのか、手から滑り落ちていく砂みたいに掴みきれないのに、それすらどうでもいいじゃないか、と言い切れる。 「いいよ」 「私は……騙して…今まで……ごめんなさい…」 キラも初めてまみえた。弱さも強さも、全てをありのままに晒す無防備なラクス。 「僕にとっては君の歌声も、君の存在も、君の笑顔も作り物でも、偽者でもない」 そんなことすら、キラにとってはどうでもよかった。ただ傍にいたいとだけ願い、君を好きなだけだ。 ラクスは空ろな瞳をキラに向ける。水の張った地球ように双眸が、僕を見つめている。 なんて穢れなき無垢な、美しい人だろう。君へ抱く誇りに高慢に敬意を払い、胸を張って断言できる。 「僕は、君だから好きになったんだ」 必要なだけだ。僕に君が。だから傍にいる。いつまでもいつまでも。 キラは衝動のままに一気に踏み込んだ。温かな身体抱きしめる。 「大好きな君はここにいる。僕の傍にいる。それだけで、もう十分なんだよ」 反動に宙に散った涙が足早なキラの言葉に乗って輝いた。 二人の、少し速くなった心臓の鼓動が胸に重なる。 ラクスが顔を埋めたキラの肩越しに、羽が見えた。 目の錯覚だろう。けれど窓越しに差し込んでくる陽光に包まれた彼こそが光を発しているように見えて。 混沌の暗闇に居たラクスに、どこに身を潜めていたのだろう。 込み上げてくる熱い感情は、先ほどとは違い、陽だまりのように温かで、優しくて。 訳も分からずにラクスは声を上げてキラの胸で涙した。 真っ直ぐな無償に捧げられる愛が、切なくて苦しくて、それでいて愛しかった。 *** 屋敷を後にした彼女は地平線の彼方までどこまでも続く澄んだ海と打ち上げられた珊瑚の混じるきめの細かな白い砂浜に足をつける。 桃色の長い髪が潮風に揺られ、蛇のように皮膚に絡み付いては肩を打った。 一度躊躇いをもった目が彼らの邸宅を振り返る。 ギャアギャアと海鳥の泣き喚く声が目立った波の彩りもなく閑散とした海に波紋を広げていく。 横に薙ぎられる髪が激しい海風の洗礼を受ける。やがて窒息していく突風の残滓が、静まり際に乾燥した砂を転がした。髪の隙間を通り過ぎた風が、ようやく唸りを潜め、名残を惜しみながら彼女の細肩に髪を落とす。柔らかな輪郭を辿るよに照らしていた日光と屋敷から、鬱陶しげに目を背けた彼女の顔が徐々に影を帯びていく。慈愛に満ちた表情が次第に無表情に変わった。 「さようなら…、ラクス」 口端をつりあがらせ、嘲るような微笑みを浮かべる。 「 」 このおはなしは「ひと」をちゅうしんにおいたせかいの、おおくそんざいするせかいにおいてはなんのえいきょうもあたえない、とあるちいさなしょうじょがひとり、わらいながらうたったわらべうたです。 12年前・某所 「クラインに上手く手筈は伝えたか?」 『…はい。明日にも準備に取り掛かります』 「上手くセカンドは隠して案内していたのだろうな?」 『ファーストのみの閲覧に留めています』 「そうか。それではファーストを上手く攫ってもらえ」 『――――了解しました』 /DNA アトガキ |