おなかがすいたいきものは、はいずりまわって、くちでなにかをたべました。 めはみえません。 そのいきものはなかまをたべていました。けれどめはみえないのできづきません。 おなかいっぱいになったころ、ようやくよくめがみえるようになりました。 なかまはだれもいませんでした。 // D N A - 5 「倫理というものは、どうして存在するのでしょうね」 すい、と彼女は自身のか細い人差し指で、薄紅をはえた唇をなぞって可笑しげに微笑む。 キラの動揺の色が透けてみえるのが愉快だが構ってやる気はないように、ラクスと名乗った少女は一方的に話を進めていく。キラが不在の場ならば、紛れもない独り言だっただろう。 しかしそうでないことは、彼女の視線の先を窺えば自ずと知れる。 細められた蒼の暗さも、どことない柔らかな光も。 「人は規範がないと安心できないのでしょうか……いっそ本能で推し量る動物の方が、案外逞しいのかもしれませんわ」 キラは両手を膝の上で組み上げたまま、指先をじっと見つめている。 彼女の手向ける話題は耳から耳へと通り抜けているようであり、真剣に耳を傾けているようでもあった。 どちらかなのかは判然とはせずとも、微弱な腕の揺れには理由に察しが付くだろうに、しかし核には薄皮の膜間越しに一瞥くれるのみで、押し黙るキラを尻目に揺さぶりかけるように、 「ただ人の手により、一人を二つに切り分けられた、その片割れ。本当ならば存在してはいけないはずの人間?」 再度反芻すると、キラの肩がびくんと跳ね上がる。 ふふ、と忍び笑いが室内に響いた。 「正直ですわね」 日常含有されるノイズさえもない無音空間は瞬く間に美声を食らいつくし、数秒後には何事もなかったかのように湖水の如く静けさが張り詰める。 部屋中があたかも偶像の城といった不自然さと危さが飽和していて、空気は酷く生ぬるい。 嫌な汗が、人目を憚るように背中から焙り出された。 キラはようやっと動揺に萎縮する心臓を宥めあげて酸素を肺へと思い切り吸い込んだ。 曲がっていた背骨が直線を描き、胸が膨れる。 「…どういうことですか?それは」 「察しはついているのではなくて?『私』は、貴方同様、人の手によって弄ばれた人間なのだと」 彼女の語りの中にさり気なく埋没した一人称に、キラは嫌悪を露にした。 拍子少女の肩眉も笑いにつりあがる。 眉を顰めて、強い声で「彼女は君じゃない」と断言すると彼女と瞳を正面交えた。 「貴方はラクスに関しては妥協されないのですね」 「許さないからだ。僕自身に」 「………こんなに大切に大切に王子様に守られて、ラクスは幸せ者ですわね?」 ほんの僅かに皮肉の翳る物言いは怒気が篭る。 ようやく血の通う感情を差し向けられたキラは、すかさず彼女が機械人形に戻らぬ間に言い募った。 「あなたとラクスは、どうして存在が同じなんですか」 感覚の嗅覚が感じ取ったそのままキラは言葉に乗せた。的確な表現が思いつかない。 くどい、とでもいいたげにラクスと瓜二つの顔が嘲笑した。 「一つを二つに、と先ほど申し上げたでしょう?」 語尾には愚かしいと続きそうなほど見下された瞳にも、 「でも、あなたたちは双子じゃない。絶対にだ」 キラは対等に渡り合う。 口にしながら、彼は空気が緩和する音を耳にしていた。 彼女と会ってから付きまとう違和感の正体はこれだったのだ―――――彼女からは、人の意志が感じられなかった。 強固な殻が封じ込める真の彼女とキラはようやく今対峙しているのだ、そう多分きっと。 「どうしてそう断言されるのかしら。確証もないでしょうに」 「ありませんが、僕にとっては…それが全てです」 キラは躊躇なく再び断言した。彼にとり、疑いようもない真実だった。 「…あの娘のナイトさんは厄介だこと」 にこりとするでもなく無表情に呟いた彼女は指で自身の唇を一撫ですると、 そのまま空へと円を描き上げる。 彼女にとっては無意識の事象なのだろう、きっと。 だからこそ追うキラの視線は研ぎ澄まされている。『彼女』という『彼女』の実像が今だ霞がかった靄の中に息を殺して潜めている。 殻中の感情への潜入には成功したものの、まだその先には巨大な壁が無数に乱立し、キラの追尾を拒絶する。 彼女は幾分か穏やかさの薄れた微笑を唐突に浮かべると、空の円は爪の一閃でかき消した。 凍てついた冷笑のみが残痕として少女の美貌に刻まれていた。 「私とラクスが、一人の人間が切り分けられた理由が、あなたにお分かりになりますか?」 「……………何故?」 そう訊ねた時、キラは彼女の瞳が狂気に塗りつぶされる瞬間に―――――息を呑んだ。 「試したかったのですわ。人の英知と、最も内密たる兵器の造物主、成り得るたるかを」 機械が駆動するような抑揚のない声音が氾濫させる憎悪と恍惚の波は一言が刃の如く、彼女に降り注ぐ陽光を切り裂いた。 音叉が湾曲していく感覚に、キラは震撼する。 next |