――――――数時間前の話 「ハウル。あなたは自分の立場を考えてものを言っているのかしら」 目に見えぬ牢獄の中、壁をつつく真似事をすれば唯ではすまぬことくらい見越したハウルは、懐から土産物のシガーを取り出し、ぴっと透過された隔壁目がけて離してやれば、瞬時にぼっと火だるまになって灰となる。 ああ、なんたる惨状! 内心で相変わらず容赦のないと嘆息しながらハウルは人好きのある笑みを浮かべた。 「マダムサリマン。僕はいつでも自由ですよ。ただ…」 「ただ?」 空に浮く燃え屑に目をやりながら、ハウルは珊瑚礁を透かした海のような瞳を瞬いて、 「あなたとこうして真正面から話すのは久々で、案外楽しめましたよ。こんな軟禁も」 「…本当、抜け目のない生徒ね」 ハウルの体が徐々に光を帯びていくのを椅子に腰掛けたサリマンは頬付いて、呆れ顔で見つめている。 「では。またお会いできる日を」 「1分早いけれど。まあいいわ、あなたのお母様に免じて許してあげましょう」 格子の中でハウルの金の粒子となって分散していくのを一瞥して、消滅する寸前に「僕の妻なんですよ」と嬉しげに捨て吐くのをサリマンは結局軽く手を振り、 「我ながら随分と甘い先生だこと」 失笑した。 結 - 3 深海にまで沈下していた鉛のように気だるく、あらゆる束縛から見えざる手を甘受した肉体は微々たる動作すら億劫で、ソフィーは目を開けることすら酷く嫌悪したというのに。 容赦なく胸を圧迫する重量に息を詰めて、渋々に意識を浮上させると唐突な金きり声に折角開いた瞳を瞑る羽目となった。 「良かったソフィー!!」 「………マルクル!おも……っい!」 ソフィーの悲鳴にはっと気付いたマルクルはぴょんとスプリングに任せて飛び降りると、仕切りなおしで勢いそのままに「ソフィー!」と首に飛びついてくるマルクルをソフィーは頭を撫でてやりながら、小さな背の向こうでカルシファーが慌てて飛び込んでくるのを見つけて、なんとなく口を動かそうとすると、しー!という仕草を寄越したのでソフィーはちょっと笑って頷くに留めた。 僅かに行き場なく開いたままの唇は、そのまま別の言葉を紡ぐ。 「………ハウルは、まだ戻っていないのね?」 体を起しながらなるべく平然と訊ねると一気にマルクルは顔をくすめて、何か幼いながらも不安をおぼえているのだろうか、 「………うん」 カルシファーは気持ち取り直して、 「そのうち帰ってくるって。日常茶飯事さ」 「―――――――…そうね」 ソフィーは言って、なんとか微笑んだつもりだったが、失敗したのは自分でも分かった。 みるみる皆の顔が沈痛なものに変化していくのが知れて情けなくなる。 心配をかけまいとするのに、いつだって私の願いとは逆に働いてしまう。 「ごめんね、みんな…」 視界が歪んでいくのをなんとか隠そうと俯いたところで、 「………え!?」 ふわりと鼻腔を掠めた甘ったるさがいよいよ加速していく。 握りしめたシーツに落ちた染みの上に花びらが一ひら舞い降ち、また一ひら、一ひら。 はらりはらりと真っ白だった手元が赤へと塗りつぶされていく。 呆然としながら、予感めいた――いや、ほぼ確信に近しい感覚が、ぼんやりとしたソフィーの脳裏に稲妻の如く閃いた。 体が勝手に震え出すも、今だソフィーはシーツを握りしめる手の甲を睨んだまま。 唇を噛んだ。シーツに墜落したきた影が揺れる様に、握る手に力が篭る。 「ソフィー」 通りの良い声が名を呼んだ。空から降ってくる不躾極まりない身勝手さに、ソフィーは尚も押し黙ったまま 今にも走り出そうとする言葉を堪えた。 傍若無人な主は、構わず手馴れた動作でソフィーの後ろに身を滑り込ませて、首を垂らしたままのソフィーの瞳を塞ぐ。 「ただいま」 「………………ばか」 「うん。ごめん」 「連絡もしないで」 「ちょっと別の世界に飛ばされててね」 熱い滴りがハウルの指を流れていく。 彼女の頬に流れ落ちぬように皺から涙滴をシーツに逃がしては、またソフィーの目を塞ぐ。 憎たらしいほどの粋な優しさに、彼らしい優しさにソフィーはついに決壊した嗚咽をあげて、 「…………ハウル!!!」 雪崩れ込んだ衝動のまま、ハウルの胸に飛び込んだ。 しゃくりあげるか細い体を受け止めた痩躯は肩で飲み込むように抱きこんで、星の光に染まった肩をすぎに伸びた髪を透かす。 「……ごめんねソフィー。心配かけて」 「わかって、なぁい!絶対わかってないわ!!」 「ごめんねソフィー。ごめん」 「どうしてそんなにいっつもそんななのよぉ…」 「ごめん」 擦り寄ってくる体にハウルはしばらくごめんごめんと呟き続けた。 マルクルとカルシファーは安堵した様子で、二人を大人しく見守っている。 こうして動く城の主は、無事帰還を果たし、荒地の魔女は箱から1本減ったシガーを吹かせて、「サリマンめ。1本浪費させたね…」と毒づいていた。 ―――――――その数時間後の話 「サリマン先生に捕まってね。こっぴどく叱られたよ。火の悪魔と契約してって。馬鹿な生徒だとか、もう散々な言われ様!」 ハウルは泡にまみれながら大袈裟に嘆いてみせた。湯気の中の大ぶりの仕草により宙を舞う泡沫。 「それで、ハウルは異世界に飛ばされてたの?」 「そう。1日躾だって、閉じ込められた。開放される1分前に逃げ出しちゃったけどね。あらかた用事が済んだから」 「何を、言われたの?」 ソフィーがあんまり恨めしそうに泡に肩を沈ませるので、ハウルは苦笑した。 「王室に仕えないかって。戦争はもうすぐ終わるから、だったら私の後見くらい育てておかないと、なんて弱気なことを吐いていたよ」 浮上し、顔に泡をつけて真顔になるソフィー。 「……でもハウル。あの先生なら」 「あと何百年も生きていらっしゃりそうな気がするのにね」 「……私も同じこと言おうとしたんだけど」先んじられた一手になんとなく憮然とするソフィー。 「僕もソフィーも同意見ってわけだ」 ハウルが軽妙に笑いを交えながら、ソフィーの頬の泡を親指で拭ってやるとくすぐったそうに身を捩りながらくすくすと緩んでくる口を押さえる。 「なにそれ」 「なんだろうねえ」 「私達、きっと結ばれているからね。昔から」 「……関係なくないかい?それ」 「そうかしら」 水面の泡を手のひらにのせて、ぷうとハウル向けて吹いてみると勢いよく指を滑ったのみで呆気なく泡群へ落下してしまう。 子供っぽいなあと意地悪く言ってみれば、思いっきり彼女から報復の湯が顔目がけて飛ばされた。 腕で覆い防御するハウルは、ふいに魔女すら目も眩む貴公子然とした容貌で美しい微笑みを投げかけると 「まあ、でも君と繋がっているなら光栄だね。なんなら今すぐ物質的にもどうだい?」 意味を解せず不思議そうな顔をしたソフィーに、湯船の中で腕を泳がせ、細い腰を抱き寄せた。 結/fin. あとがき 24日と25日になにか企画を打ち上げてみよう!と思いつきで始まったこの連載でしたが、 所詮思いつき。全っく、なんっにも考えていませんでした! 任せるがまま流されるがままの展開に、どう収拾つけるんだとハラハラしながら打っていましたが、 不思議とギャンブラー連載は話がこぎつけてくれるらしく、1話目はソフィーがぱったりいくところ まで書けて、「おっ、なんとか話広がるなあ。でもハウルどうして帰ってこないの?」 と次の日打つ最中ずっと考えておりました。(アバウトすぎる…) マルクルがソフィーを発見するところまでは頭の中で展開されていて、 そこからカルシファーを出さないと不自然だということで出して、おばあちゃんも出てよと 私の意志で乱入させると、カルシファーが話し相手ほしそうだったのでおばあちゃんとしゃべってもらいました。 …一気に説明です。この二人が予想以上にかなり出張ったので3話となりました。 2話中に3話目の内容を突っ込むのは話のテンポとしても性急すぎるので、クリスマス企画(話題関係ないけど一応) のはずが、ぶっちぎって連載と相成った理由です。 ハウルが2話ラストに出る予定もありませんでした。 この時点では傷ついてボロボロ説とか色々考えていたのですが、荒地の魔女の貫禄が結構好きなので ほぼ趣味でキザにちょっとだけ参上なハウルとなりました。 どうしてここからハウルが挨拶したかというと、シガーの差し入れと年長者に対しての謝罪と敬意の為です。 映画ハウルくらい丁寧なら(身の回りはともかく)そうなるかなあと。 ようやく2話目終わって、サリマン先生との和解話にしようと決めて3話目。 サリマン先生話題を出して布石は打っておいたので、割かしスムーズにここはいけました。 扉から参上したハウルが普通に連絡がとれなかったいきさつを話すシーンを連想していたのですが、 サリマン先生が頭の中で出張ってきたのでTOPにもってきました。 今まで出てこなかったハウルに視点を変えた過去から現在へ、という流れができあがったので、 なんだか面白い流れだと調子にのってハウルが恰好よくあれこれとようやく現在に登場、と。 最後は甘ったるく締めです。 ほぼ会話のみ、意識的に様子を割愛したのは、こう、想像する余地ができて楽しいかなと。あー下世話。(笑) 明確な場所設定は明言しておりませんが、お分かりになりましたよね。そういうことです。 一度はやってみたかったいちゃいちゃをソフィー辛かったんだからと書きました。 なんだがハウルばっかり役得している気がしなくもないです。ええ、いいのソフィー!(汗) 夫婦仲直りって燃えますよね。わ、私だけでしょうか。 ともあれ、連載なんとか終わりました。 この開放感があるから連載はやめらんないです。(笑) ここまでお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました! howl index |