「オバさん誰?」
冷め切った緑の瞳がペンステモン婦人を突き刺すも、動じるでもなくにっこり笑ってとりあえずハウエルが手にとっていた怪しげな書物をじっと見つめていった。
「あなた、魔力と超能力を履き違えちゃいけないわよ。サリマンもそうだったけどほっとくとこっちの世界の人間はみんな危ないわねえ」
「……魔法使いなの?」
まさか、とハウエルが警戒心を露にしながらも、おそらくまだ8歳で出会えたことがペンステモン婦人の勝機だったのだろう、大人が吹きだしそうなことをあっさり言い当ててくれたことがよほど意外だったのか急に笑い出して、目じりに涙までためている。
ハウエルが不審そうな顔をすると、軽く謝りながら彼女はそれなら話が早いわ、と満足げに胸を張った。
「今あなた、自分の訳の分からない力をどうにかしたくてたまらないでしょう」
「なんで分かるの?」まだまだ子供なハウエルは誰かに聞いて欲しくてやまなかった心の叫びに触れられたようで、嬉しくなって竦めていた首を一気に彼女へと伸ばした。本当にわかりやすい、素直な子。
「こちらの世界でも学べないことはない…けれど、書物も少ないし、大体が知識もなしに好き放題にして荒地の魔女の結末になるようなことが多いものね」
「?あれち?」
しまったと失言にペンステモン婦人は息を呑んだが、けれどハウエルは『魔女』ばかりに反応しているらしく、キラキラと見知らぬ世界に瞳を輝かせている。
気が付いてはいないようだ。当人の運命を左右する重大な予言は禁じられている。
「………いいのよ、気にしないで」
「ねえねえおばさん、魔女って!?」
ぐいぐいと上等な絹の緑のスカートを引っ張られても気分を害するでもなくいたが、大概何度も連呼されるとどうにも鬱憤がたまるらしく、
「……ハウエル・ジェンキンス」
「?ったああ!!」
「オバさんではなくペンステモンさんとお呼び!」
ばちんと手加減なしのでこピンを喰らい、ハウエルがあまりの激痛に竦んで悶絶していると、ふんと鼻を鳴らしたペンステモン婦人が最後通告でも告げるように見下ろしたままハウエルに投げかけた。
「あなたがその力の正体を知り、学ぶのであれば私はあなたを魔法学校の生徒としてむかえます。もちろん、こちらでの世界の生活も普通に送れる様に調節してあげます。けれど、あなたがそれを望まないのであれば、私はこのまま去り、あなたの前には二度と姿を現しません。その代わりにあなたが強大な力を悪い方向へ力を使った時には……処置が下ります。さあ、どちらにしますか?」
半ば脅迫じみた選択肢に、ハウエルはどうでるかしらとペンステモンは笑みを含ませた。
しばし俯いて考え込んでいたハウエルは、何かが閃いたかのようにぱっと顔を上げた。
「絶対その違う世界に行きたい!ねえ魔法学校ってどんなところ!?もっとすごい人がいっぱいいるの!?」
一気に詰め寄ってくるハウエルのあまりの勢いと楽しげな様子にぎょっと足を退いたペンステモンはきゃっきゃと返答もせず歓喜するハウエルにしばし呆然としながらも、多少呆れながら悟った。
もう訊ねるまでもないわねこれは。
苦笑して、目鼻立ちの整った愛らしい黒髪の少年の頭に手を置くと、重々しく最終確認をとった。一旦承諾してしまえば、これは呪いにも似た効果を及ぼすのは明確だった。
戻ることはもはや許されないのだから。
「本当に、あなたは別の世界で学ぶ気があるのね?」
「あるある!絶対あるっ!!」
もはや意味深な間合いはなんだったのか、きっぱり即答である。
まだ制御しきれていない溢れんばかりの才能はペンステモンの肌を打ち、ハウエルの感情に呼応するように鼓舞している。
将来が楽しみだわ。この子はきっと、サリマンの倍は才能があるでしょう。
磨けば磨くほど光る稀代の逸材だと思いを馳せると、これからが楽しみで仕方がなくなってくる。けれど今は契約しないことには。
緩む頬を引き締め、真摯な瞳をハウエルへと向けた。
「では、手続きと誓約を取ります」
「契約………?わっ!」
ふわりとハウエルは自分の体が浮遊する感覚に襲われ、自分の身体を見下ろすと奇妙な青っぽい光が足元から体の淵をなぞるように這い上がってくるのを見つけ、得体の知れぬおぞましさに身を捩るも、ペンステモンの手のひらに――この淑女のどこにそんな怪力が眠っていたのか…ものすごい力で頭を押さえつけられているので、大した身動きも許されない。無重力状態に放り出されたように舞い上がるハウエルの髪。
彼女の足元のみを囲んでいた円がゆっくりと湾曲して広がっていき、やがてハウエルの足元までも侵食していく。
「さあ、行きますよ」
ペンステモンの白髪も青の光源に当てられ始めると、キラキラとダイアモンドダストでも起こったかのように銀色の粒子に分解されていく。
「あなたはこれからインガリー国で私の弟子としてこの世界と行き来しながら修行を積むことになります。しかし生易しい物ではありません、きっと厳しいものとなるでしょう。それでも…この契約ををあなたは望みますか?」
「……………はい!」
強い意志を秘めた緑石の二対が言葉を裏付けるように首肯する。
ペンステモンは僅かに緊張して震えるハウエルの黒髪をぐしゃぐしゃとかきまぜて落ち着きなさいと言外に優しく諭す。
虚勢を張っているハウエルへの、それが弟子に対する最初の愛情表現だった。
ペンステモンが奇妙な呪文を唱え、空に円を描くと幅と背丈が育っていき、空洞の巨大な入り口ができあがった。
人を慄かすには十分すぎる恐怖感を植え付ける先の見通せぬ漆黒の闇が対流する中へと、ペンステモンはハウエルを抱き込んで身体を埋めていく。
「ハウエル・ジェンキンス!あなたは今から私の生徒です!!」







/もう忘れてしまいそうな昔





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