女性に関して百戦錬磨の戦勝者だか色男だかは知らないが、それにしてもあまりにもソフィーに対しては羞恥というものに欠如しているように思うのだ。
ソフィーが風呂場から出てきたところで、ちゃっかりと開いたドアの真横に立っていてさすがの彼女もびっくり飛びのいた。

「な!な、なによハウル」
ほかほかと湯気立たせたソフィーからは清潔な石鹸の香りが白煙にのって身振りするたび風にのって運ばれてくる。
湯に体中を上気させたソフィーはそれがハウルに与える威力など露知らず、ごしごしとあかがね色の髪をタオルに挟んで水分を拭き取っている。
しかしそこは色々な意味での歴戦の魔術師である。
素知らぬ風にハウルは軽く笑みをたたえながら長い裾を翻らせ、困惑顔のソフィーの正面に立ちはだかった。
とんと付いたハウルの手で閉まる扉。
それを背にするソフィーは袋小路にされた恰好のまま、なんとなく落ち着かないのはハウルの雰囲気の変化を本能的に感じ取っているからだろうか。少し怯むがすぐに建て直してきっと顔を上げてハウルと視線を対峙させた。
負けん気の強さを秘めた眼光は衰えず、挑まれれば挑み返すといった強気の姿勢に、ハウルはだからこそ攻略のし甲斐、もしくは骨を折る価値があるのだと思う。
この台詞を言えばどんな表情を見せてくれるだろう?
ハウルは焦れと愉悦がないまぜになった感情を持て余しながらも、本懐を遂げる為にあえてきっぱりと、続けた。
それはこれといってないほどストレートに。
「ソフィー、今夜は僕の部屋で朝を迎えてくれるだろう?」
一斉にソフィーの顔面に血が上った。
「…なっ。なに……いって……るのよ!」
「末永く幸せに暮らすんだから、別の部屋にいたんじゃ幸せにもなれないじゃないか」
「そんなこと、ないと思うわ」
口をひきつらせながら言うソフィーは赤いようでどこか青い。
しかしなりふり構ってはいられない。生理的にも理性的にもそろそろこの空白時間は辛く、ともすれば最悪の事態も引き起こしかねない状況にまで切迫しているのだ。
「……ソフィー。僕もかなり我慢しているんだよ?分かってるのかい」
「我慢って?」きょとんとするソフィー。
ハウルは懊悩にいっそ頭を抱えたくなる。
「ねえ、もしかして君は体は大人で心はまだ子供なのかい?もしかしてそっちの方はベーベーちゃんのまま?」
「なんですって!?」
揶揄に気分を害したソフィーが牙を向いて喰らいかかってくるが、ハウルは繰り返すようだが切実なのである。
渋面で重い口を動かした。
「あのさ、そっちに反応するんじゃなくて僕の忍耐強さを少しでも考えてみてくれよ。
もう君の呪いが解けて、この城に住んでから何ヶ月だい?
朦朧とした僕が好きでもない女と思わず浮気してもおかしくない月日だ!」
躊躇と怒り両方を一遍に顔に出して―――――ソフィーは一度反撃にでようと唇が動くも空回りで、次に生真面目な顔になって、やがてゆでだこになって沈黙してしまう。
だが眉だけは酷くつりあがって主張しているのはどちらの感情が優先されているのかは判然としなかった。いつものハウルなら笑うところだが今回はそうも行かない。

「男の人って、そういうものなの?」おずおずと言葉を吐くソフィー。
「ショックかい?」
首を振りながら続けるソフィーは、やはりどことなく幻滅したといった様子を隠しきれない。
「父親も早くに亡くなってたし、ずっと女所帯だったのよ?そんな…こと知る機会も大体ないわ」
「まあ、そうなのかもね。あんたは初めてあった時も随分怯えていたし」
ハウルは回想して、可愛らしい灰色ネズミだった頃の彼女を思い描いて、随分たくましくなったもんだと感心すらした。
男を拒絶する、というか人を拒絶する印象が強く感じられた。
「あの頃は、篭りっきりで帽子屋に詰めてたから。どこかおかしくなっちゃってたのよ」
「でも、今はそうじゃないだろう」
視線を泳がそうとするソフィーの頬を両手で包み込んでこちらに固定する。
逃げようにもハウルの焼けるような、熱の篭った瞳は茶化しながらも時折ソフィーをはっとさせるのだが、
まさしく男そのもので、決まりの悪さを胸いっぱいに――――にしてはどこか甘ったるいものが加味されていたが―――――どうしようもないので腹を決めてソフィーはせめてもと睨むようにハウルを見つめた。

「ソフィー」
睨みが瞳を潤ませた上目遣いに変換されていることなど、当人は気付きもしないだろう。
愛しくて、目にかかる濡れた長い髪をそっと払いのけてやると、戸惑いを露に瞬きする。
ゆっくりとハウルは言葉を紡いだ。
「僕の部屋に、来てくれるかい?」
瞳に宿るものは穏やかな色。ソフィーの答えなど既にこうして追い詰められるまでもなく彼に計算されていたのかもしれないと捻くれた感情が湧き出てくるほどで。
ハウルは再度、低い声で
「ソフィー」
名を呼んで顔を近づけていくと、
「――――――――やっぱりイヤッ!!!」
ぺちりと顔が跳ね除けられた。僅かながら失意に顔を顰めるハウル。
「いったい、なんでだい?」
ソフィーは顔を真っ赤にしてぶんぶんと髪を振り乱して必死の形相で糾弾する。
「あんなぐちゃぐちゃな部屋じゃ絶っ対イヤ!死んでもイヤ!!掃除させてくれなきゃイヤ!!……って…、あれ?」
にっこりとしたハウルがそこにはいた。美青年が綺麗に満面の笑みでソフィーの肩を掴んで念押しにかかってくる。
「じゃあ、君が僕の部屋を片付けてくれたらいいんだね?じゃあ明日だ。明日片付けて。いいね?」
「ええっ」
「君が言ったんだよ。…………いいね?」
「よく、ない」
「どうしてさ」
「大体なんであんたの部屋って決定されて―――――!」
自ら更に墓穴を掘ってしまったことにハウルに輝かんばかりの笑みの深まりで気が付いたが、よもや時は遅し。
「そうだね。あんまり夢中になってたんで気がつかなかったよ、ごめんねソフィー」
「全然ごめんねなんて言うことじゃないわ!ねえハウ」
「じゃ。いこっか」
ハウルはさっとソフィーの手を掴むとマイペースに歩き始めてしまう。
合間指がしっかりとソフィーの手に絡んできて、ちらりと横目にソフィーを窺う目は訊ねるような風に細められる。
最後の最後の確認は強制するでもない、真綿のように優しく滲む思いやりは、紛れもなくソフィーを安堵させるためのもので、嬉しいなと素直に思えてしまえる。
ソフィーは口を噤んだままこくんと一つ頷いて、足を止めて子供みたいに微笑んだ彼に、「悔しい」と、腹いせに弱々しく頬をはたいて呟いた。






fin./友達から、恋人へ



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お題をそのまま使うとどうしても制限されてしまうので、あくまでもニュアンスを
選んでお題を使用しています…なんて言い訳しないといけないほどどうなのかなという今回のお題チョイス。

04.12.23