ソフィーと結婚してからというもの、女の子に会いに行く為に浴室に2時間も篭りきりなどという 凶行は収まったのだが、しかし今でも1時間はかかさず風呂に入ればでてこない。
たまに髪を染めてでてくることもあるが、それ以外は一体何をやっているのだろう?
ソフィーはなんとなく内心考えつつ、二階で激しくお湯ががなりたてる音を夜を告げる時報みたいに思いながら、気付けばもはや癖で装備してしまっていた箒を置いて、一息つこうと棚からティーカップを取り出した。
チェリーザの店に勤めるマーサから、誕生日祝いにとくれた小さなチェリーが隅に1つあしらわれた、ソフィー好みの使い勝手のいい割合シンプルな白磁器である。
「今日はローズヒップでも飲もうかしら…」
天井から喧しく響くドドドドという地鳴りにもすっかり慣れっこになってしまい、
重ねて軽やかに鼻歌でも平気に歌える。
カルシファーは多量の湯を送るために大きく燃え立ち、「ハウルの奴、1日何度も風呂にはいりやがって……肌がこそげるぞ」とぼやきながら薪を咀嚼している。
茶葉の缶蓋をぱんこんと開けて、ソフィーは苦笑した。
「本当に、なんでハウルはああもお風呂好きなのかしらね」
「しかも長風呂すぎだ。くどきにいくわけでもないのに!」
ティーポットに茶葉をスプーンで移して、はたと肝心なことを忘れていたのを思い出した。
「お湯沸かしてないわ!」
「おいおいオイラ同時に3つも仕事任されるのはごめんだぜー」
オレンジ色の火から渋面を表すように青っぽい火になって抗議する。
困ったわね。疲れて喉が渇いているのだけれど。
「そうね、じゃあお湯の用事が終わってからでいいわ」
カルシファーは城を動かしながらハウルの湯まで沸かしているのだ、その上ソフィーが
また湯を沸かすとくれば能力的にはさほどでもないだろうが、気分的に辟易するのはよく理解できた。
帽子屋時代に長女だからとあれこれ任されるのは嫌いではなかったけれど、時には億劫になることだってない訳ではなかったのだから。
「ありがたてえ!ソフィーはハウルほど我侭じゃない奴でよかったぜ」
「ああ…そうかもね」
それについては何の異論もないので素直に頷いた。
風呂上りはブランデーが飲みたいとか朝起きる時はソフィーが傍にいて欲しいとか買い物行く時もカルシファーがいるにも関わらず必ず書置きしておくこと!だとか…とにかく巡らせば巡らすほど思い当たる節が点在しすぎている。
カルシファーが手早く次の薪に手を伸ばした。
ハウルが風呂に入る時はソフィーやマイケルより何倍も火力が必要なのだ。
「そういやモーガン、今日は寝つきいいんだな。いっつも駄々捏ねて泣いてんのに」
「ええ、ハウルが散々遊んでたせいもあるんでしょうけど」
光景を思い出して、ソフィーはふっと笑みを綻ばせる。
王室付き魔法使いであるサリマン、ハウル共に労働基準法反対ーと
糾弾されそうなほど立て続けに仕事が舞い込んで、王宮にいる間は地獄でしかないよ
とハウルがだるい腕をぐるぐる回しながら言うように、ここ最近疲労がどうもピークに達しようとしていた二人に、魔人の件で一層親しくなったジャスティンが見かねて、特別に1日だが休みを出してくれたのだ。帰宅したなりそうハウルは告げた後、寝台にさっさと引き込んで死んだように眠ってしまったのは昨夜。モーガンが生まれてまだ数ヶ月だけれども、ロクに一緒に遊んでやることもできずにいた鬱憤だろうか。
今日はカルシファーを二人で囲みながら、ウェールズで買ってきて今日のために取って置いたんだ!と意気揚揚と語った角の丸い安全な積み木やら、ブリキのおもちゃやらぬいぐるみやらをどっさり広げて二人で遊んでいた。最初楽しげに二人で積み木をどこまで高く積み上げられるかと戯れに挑戦していたらしいが、終いにはハウルがムキになってほったらかされたモーガンが泣いている光景は息子には悪いが今思い出しても笑えてくる。
さすがハウルの息子というだけあって、少々我侭なところも目立つ赤ん坊だが、目鼻立ち、愛らしさなどは美男美女夫婦(妻の方はいまいち自覚にかけるようだが)の珠玉だけあって申し分ない。

「どっちかっていえばハウル似だよなモーガンは」
「そうねえ、確かに」
ソフィーは緩くウェーブのかかった金髪の毛先を眺めては、「あ、枝毛」
嫌そうな顔をして暇つぶしにちょきんちょきんとはさみで摘んでいる。
「でもオイラ、ソフィーが初めて来た頃にまさかあの婆さんがハウルとこうなるとは思わなかった」
ようやく用事は終わりつつあるようで、顔色が良くなってきている。
「そうね…私もびっくりよ。…人生わかんないものね」
最後は日頃夫に対する鬱憤もちらりと垣間見せながらソフィーは水道の蛇口を捻る。
「でも私は子供が授かっただけでも十分すぎるくらいに嬉しいことなんだけど」
大体がモーガンとの出会いも、別に子供を作ろうとしてハウルと夜を明かしていた訳でもなく、
ただただ愛し合った結果にモーガンを腹に宿した、という偶然の事象なのだ。出会えたことには感謝しきりなのだけれど。
「私、まだ帽子屋にいるころはこんなに早く結婚するなんて思ってもみなかったもの」
あまつさえこんなのも早く子供を持つなど過去の自分が聞けばびっくりするだろうほど、高速で人生が経過しているような気さえしてくる。
「そういえばさ、ソフィーは男がよかったのか?」
「?…ううん。どうして?」
「いや、ハウルが―――――」
「ソフィー!!」
二階が一際騒がしくなって、一気にハウルが腰にタオルを巻きつけた恰好で駆け下りてくるのが階段に見えると途端にソフィーは顔を赤らめて叫んだ。
「ハウルびしょびしょじゃないの!ちゃんと拭いてから…!」
「そんなのすぐ乾くさ。カルシファーにうんと焚いて空気を乾燥させてもらえばいい」
「……オイラがそんなに燃えたらこの家火事になるぞ」
悪魔の微妙なツッコミには完全無視くれて、ハウルは何やら片手に本を手にしながらソフィーの手を熱っぽく握り締めた。
「ああやっぱり家族は多いほうがいいよね。君もそう思うだろう?」
「え、ええ…まあ」
気圧されながらあんまり雑な夫の腰のバスタオルに気が気ではない思いをしながら、なんとなく目線と目配せで警戒を促してみるもすっかり自分の思考に陶酔しているらしく気付く気配もない。
「ちょっとカルシファー!悪いけど数時間夜の散歩にでてきてくれ!」
「はあ!?なんだそれ、オイラもうクタクタで…!」
とカルシファーが怒り交じりに言ったところで、何やら思い出したらしく態度がみるみる落ち着いていく。
「ね。約束しただろう?」
サファイアが火の悪魔と無言の会話をしている間で、事態の置いてきぼりをくわされているソフィーは一人、「…?なんのことなの?」と首を傾げている。

「………ちえっ!わーったよ!いってくればいいんだろ!!」
「うん!ありがとカルシファー!」
美青年はふんわりと満面の笑顔をたたえて煙突へ真っ直ぐ舞い上がっていったカルシファーを実に嬉しげな手振りつきで見送る。
「カルシファーが可哀想だわ!」
ソフィーは疲れているだろうカルシファーを思いやり、背丈の高いハウルに抗議しようと首をあげたところで、やたらと機嫌よさそうなハウルに突然ぞくりと悪寒を感じた。
何か企んでいる。直感でそう感じ取ったソフィーは水を張ったまま置き去りにされているポットをとりあえずなんとかしないと!
と本能の回避行動に無理やり理由付けして
「ちょっと片付けるわね。手を離して」
「それは困るよ。まあまあ、これを見て!」
ソフィーの手を引いて、ばっとハウルは手にしていた本をテーブルに広げるとソフィーに見て見て、と指差している。嫌な予感をひしひしと感じつつも興味にそそられて、そっとハウルに肩並べて覗き込んで、表情が凍りついた。
「やっぱり次の子供は女の子がいいんだよねー。ほら、兄と妹って可愛い感じるじゃないか。 姉と弟は僕が経験済みだから、今度は逆がいいなあなんて!」
能天気にはしゃぐハウルとは対照的に次第にソフィーの頭上が曇っていく。
「ちょっと………」
声を押し殺したソフィーが微弱に肩を震わせている。
「ソフィー、顔が赤いよ?」
さも不思議そうに目を丸くして覗き込んでくる夫に、きっと鋭い瞳が飛んだ。
「ど、どうしてこういう本を読んでるのあんたは!!」
「なんで?女の子と男の子の作り分けの本を読んで何が悪いのさ!」
「なななんでって!あんたねえ!」
狼狽するソフィーは目を背けながら本を閉じると、かっかと無駄に数歩歩いて腕組んで意味もなく天井を見上げる。テーブルから本を手元に戻す物音。
耳が痛いほどに染まった赤のせいか、過敏になる感覚。
ソフィーはハウルの陽気さが萎んでみるみる艶帯びた空気へと変貌していくのを背中に感じる。
「ソフィー……」
いつもよりもずっと低音の声音。それが意図する意味をソフィーはよく知っている。
名を呼びながらソフィーの肩を後ろから抱きこむハウル。
次第に強められる腕の締め付けにあらがうように、ソフィーは逃げ出したくもないくせに逃げ出そうと些細な抵抗にでるも、 全てを見透かしたような優しさを映した瞳でいとも容易く封じられる。
下ろされた金髪は細い白首を辿り、鎖骨から胸へとなだらかに続いている。
ハウルがソフィーの首にかかる髪にそっと指を通して肌に唇を寄せた。そのまま唇を開いて吸い上げる。ぴくん、とソフィーの肩が跳ねた。
「ソフィー。…寝よっか」
今のハウルは夫でも父親でもなく、ソフィーは妻でも母親でもなく。
此処にいるのはしかしそれ以上でもないしそれ以下でもない、ただの男と女。
肌に抗らえないほどの強烈な誘惑を徹底して浴びせられながら、心が彼に着実に蝕まされていく。我が物顔で蹂躙されていく。忌々しげにソフィーは自分の唇を噛んだ。
どうしたって彼の意に首肯する以外選択する余地すら自分自身に残しすらしない己の甘さと、彼への尽きることのない愛に。
やがてソフィーはスローモーションみたいに近づいてくる唇に言葉すら塞がれ、 二人きりの永遠じみた夜の帳に閉じ込められた。
ハウルの望みがソフィーを一身に染めていく。









/ふたり