カルシファーとマルクルのやり取りなど露知らず。 ハウルに呼ばれたソフィーが気だるそうに階段をハウルの部屋前に向かうと、いかにも早く早くと急かす様に扉が全開のまま開け放たれている。 「あ!ソフィー!見て見て!!」 ソフィーの姿を目にとめるやいなや子供のようにはしゃぐハウルが少し伸びた肩までの黒髪を散らすと、揺られた耳飾の緑石が光の弧線を描く。 その眩さすら、今のソフィーには酷く気分を落ち込ませた。気分はまるで帽子屋に詰めていた頃のよう。 しかし幾分がらくたはソフィーがなんとか言い負かして片付けたものの、ハウルの部屋は賑やかしくてまるで鬱々するソフィーには相応ではない。 魔女よけは荒地の魔女が一つ屋根の下で暮らしているのだからもういらないでしょうとソフィーが諭したに反論したハウルはこうだ。 「僕が女性から憎まれる心当たりは魔女からご婦人までたくさんいるんだよ!?恐ろしくて全てを片付けることなんてできないよ!」 大胆にソフィーの怒気を煽る失言に、ハウルは数日口を聞いてくれなくなったソフィーに優男がみっともないくらいに謝罪を繰り返していたのだが、やはりなんとか仲直りした後も(ソフィーがヤキモチに気恥ずかしくなって渋々許した)魔女よけは必要だとの一点張りで、結局残されたのは妙な紫と白のまだらのぬいぐるみや、二割れ根っこなどだ。 巨大な目が振れるがらくたは気味が悪いのでソフィーが直々に却下した以外は、大体が仕方なくやる気をだしたハウルが物置に放り込んだ結果だ。しかしなかなか閑散ともせず、変わらず普通の部屋に比べればどことなく金に眩い。 色彩を見つめているだけで軽くソフィーが眩暈を起していると、手に余るほど巨大な箱をでんとベッドに陣取らせたハウルが入り口付近で脚を止めているソフィーの手をひいた。 「ソフィーってば!見てよ!」 「見てって………なあに、このやたら大きな箱は。まさかハウル、また無駄遣いを…!」 「無駄遣いなんかじゃないよ!」珍しく真顔で食って掛かるハウルにソフィーはきょとんと拍子抜けする。 「僕のじゃなくて、君へのプレゼントだ!」 「プレゼント…?」 何かしら。こんな大きなもの。やっぱり無駄遣いとしか思えないのだけれど。 蓋を開けると、何かが上等な白布に覆われている。重なった布を横に、上に、下にと蕾を開くような手つきで解かしていくと、ソフィーの瞳が驚きと喜びに輝いていく。 「まあ、なんて素敵なドレス!」 「君に似合うと思ってね。僕が仕事帰りにぶらぶら街を歩いてたらこれを見かけたんだ。一目見てすぐ店に飛び込んじゃったんだよ。 まあまさかこんな機会で渡すことになろうとは思いもよらなかったんだけどね」 ソフィーは嬉しそうにドレスを広げると、上から下までをじいっと見つめては溜息をついた。 綺麗、本当に綺麗なドレス! けれど。ソフィーは目を伏せる。 だからってどうだっていうの?こんな素敵なドレスを着るのが私では。 ソフィーは少し目線を落とし、胸で優しくドレスを抱擁する。 「さあソフィー、着てみてごらん!僕はしばらく外で待ってるから、終わったら呼ぶんだよ?」 「でも……」それでも尚渋るソフィーに満面の笑みを叩き返したハウルは、既にうきうきと頬を染めてソフィーの数分後の未来予想図に酔いしれている。 「じゃ、待ってるからね!着替え終わったら呼ぶんだよ!?」 ばたんと逃げ道は閉ざされ、敗訴の判決を下された被告人のようにソフィーはしばし呆然と、本当に虚をつかれた表情でしばらく固まってしまっていた。腕の中で少し重みを訴える煌びやかな宝石をぎゅっと握りしめ、深い溜息をつく。 時間でも上手く巻き戻ってくれたら、招待状の最後の部分を焼き捨ててくれるのにと途方もない願望をそっと呟いてみたりしたくなった。なんて不条理な世の中なの。帽子屋に居た頃とあんまり変わらないような気がしてきたわ。 * ハウルは彼女の「日当たりがいいほうが気持ちよくていいわ」というリクエストで取り付けられた廊下窓から青空を眺めていた。戦争が終結した今、特に上空を飛ぶ必要性に迫られている訳でもないのだが、何分この城は家主同様派手好きなのだ。 『女性の心臓を食べる恐ろしい魔法使いハウル』の噂も、風評被害で各地に散らばっていることもあり、堂々と通行するスペースもなければ人々の許容心もない。 特に荒地から移動しなければならない時、散歩や移動などは大概こうしてプロペラ飛行している。 ハウル以外知らぬことだが、ソフィーが雲の流れを見るのが好き、というのが最大の理由として他の選択肢上に陣取っていたりするのだが。 綺麗だろうなあソフィー。 るんるんと機嫌良く窓辺りに頬杖ついた。座っていれば長い足すら振っていそうなほどの高揚。 そよかぜにすずらんの香りのする黒髪がさあっと風向きに散らばり、卓越した職人が丹精こめた作品の如く、理想的なラインを長い横髪が辿る。 美しい青年が物憂げに浸る姿はソフィーが目にとめていたならば息をも呑んだだろう。その天性の華やかさに。 前ほど地味でも卑屈っぽさもなくなったけれど、あんまり派手なものや華やかなものはなかなか着てくれないから、少しだけいつもと違う彼女も見てみたいなあ、 なんて考えたりしていた所に、嫌悪対象には違いないがパーティーを理由に便乗できたのは正に『不幸中の幸い』だ。 コンコン、と閉鎖した自室の扉が内部から響く。笑顔のまま自室を振り返るハウル。 「試着はすんだかい?」 軽い足取りで自室前に向かうと、扉に背もたれる。 「………ええ」 小さな肯定の呟きが返される。 ハウルは瞬間苦笑して、けれど期待感がみるみる膨張し、気分が高揚していくのが自身でも手にとるように理解していた。 一つ言葉を女性に囁くのに、これほど緊張して、舞い上がるなど彼女以外では考えられない。 浮名を流してきた彼にとってもまるで未知の体験に、改めて跳ねる心臓を実感する。 胸に手をあてながら、ハウルは訊ねる。なるべく、彼女が声音から窺える蚊の音が、今以上に気後れしてしまわぬように気遣いながら。 「入るよ?ソフィー」 「……………がっかりしても、知らないわよ」 捻くれた了承。ハウルは普段とは立場が逆だ、と笑う。今は彼女が幼子のよう。 微笑をたたえたまま彼女が呼んだ時のようにわざわざ軽く扉にノックを返した。 「じゃあ、開けるよ?」 自室のドアノブを捻り、ゆっくりと開放していくと、ハウルの笑顔がみるみる消えていく。 がらくたから発せられる目も眩む金の光の中心、ベッド間際にソフィーはハウルに背を向けて佇んでいる。 ハウルは笑みを消したまま、早足に彼女へと近づいていく。世界で一番大切な女性の名を呼びながら。 「…………ソフィー」 「だから、言ったのよ。私には似合わないわ」ソフィーの硬質な声。 ハウルは硝子玉みたいな瞳に優しさを溶け込ませて、そっと金に光らせる。 「…似合わないも何も、君はまだずっと僕に背を向けてるじゃないか」 ハウルは足を止めた。彼女との距離は、歩数を幾分稼げば長身の影が小柄な少女を覆うだろう、曖昧な距離。 それでも首からなだらかなに続く、露出されたシミ一つない真雪の肌は背骨の窪みに僅かに影が落ち、十分にハウルを魅せているというのに、まだ抵抗する。 「僕には分からないな。綺麗な君が、綺麗じゃないと言い張る理由が」 ソフィーが微々に身じろいだ。 反応を確認すると、ハウルはソフィーの正面へと一気に回り込んだ。ソフィーが驚きに息を呑む。 影が、完全にソフィーを飲み込んだ。 「…………ソフィー」 ハウルは感情を窺えぬ表情で…しかし澄んだ瞳は真摯そのもの。ただただソフィーを見つめた。 ソフィーは目線をそらしている。何者の言葉も、拒絶するように。 ハウルが彼女へと贈ったドレスは、首元が絞まったいつもの服装とは違い、肩の大きく開いたドレスは、襟元が純白の薄いレースが幾層にも重なり、僅かに血色の良い桃の肌が透けている。 ローズピンクの生地は胸から腰にかけなだらかな曲線は女性らしく丸みを帯び締まっている。 脚にかけての裾も派手すぎず、上品に白薔薇が蔦伝いに刺繍され、襟元と同様にレースがドレス裾を飾る。 赤薔薇のような豪奢な美しさではなく、控えめな穢れなき白百合。純粋そのものの美しさ。 銀色の髪は、人形のような細面を一層引き立てて、星の光にその身を輝かせているが如く。 「似合わないっていうことが分かったでしょう?」 ふてくされたソフィーが投げやりにぶつけてきた。 ぱちくりとハウルは大きな瞳を瞬かせる。 「………分からないなぁ。うん、本当に君が分からない」 うんうんと頷きながらハウルは顎に手を遣った。 「君、本当は魔女とかだろう。そうだ、そうに違いない!」 言い募ると、ハウルは二の句継がす余地なくソフィーを抱きしめた。 けれどソフィーは怒りに顔を染めている。 「なんなの!?そんなに私が見たくないの!?」 「バカだなあ。ソフィーは」 腕を伸ばして抵抗しようとする彼女を更に抱擁の力をこめてあっさり一蹴すると、柔らかな身体を素直に楽しむ。 「綺麗だよ。…綺麗」 ハウルがこめかみ辺りの銀の髪を梳かして退かせながら、露になった耳もとに唇を押し付けるように囁く。 彼の低い美声は弦を弾いたように、やけに鼓膜で反芻して。 「な、何を」 熱い息がかかり、ソフィーは身を退こうとするも、我が物顔でハウルの腕に境界を留められる。 「美しい」 「…嘘よ」 「僕にとっては、君が誰よりも」 彼の容姿に魅惑される女性は数多といるだろうけれど、ソフィーは彼の声ですら惑わされている。頑な意志が魔法のように酔い始める。溶解していく。 「…魔法でもつかってるの?あなた」 「まさか」 剥き出しの肩にハウルの額が押し付けられる。伝達される彼の熱。温かい。 耳飾がかしゃりと音を鳴らした。ソフィーの肌を打つ。 綺麗、綺麗だから。 ハウルの小さすぎる言葉は、ソフィーの為だけ捧げられる。 抱きすくめられる腕の強さが、ソフィーの拒絶に張っていた緊張の糸を切断した。 観念したようにようやく強張っていた顔も緩和して、くたりとソフィーはハウルの体に身を預ける。 彼が微笑む気配に、ソフィーはふと顔を上げると、それこそトドメを刺された。 「よく似合ってるよ。ソフィー」 にっこりとハウルは屈託なく笑った。黒髪が大きく揺れて首を沿う。 ソフィーは微笑みを返した。先ほどまであれほど沈んでいた気分が、彼の無邪気な笑顔にすっかり蕩かされてしまっている。 厳禁だと思いながら。誰に賞賛されるでも私は嬉しくはない。 きっと貴方の言葉だからこそ、初めて賞賛も意味を為すのだわ。 「勿体無いなあ…でも」 声帯を震わせて、ソフィーの耳を甘噛みした。 「ちょっと…やめてハウル。―――――っああもう。で、どうして?」 顎を押しのけた恰好のまま、ソフィーが問うと、もがもがと何事か言った後、 「きゃあ!?」 「だって、そりゃあソフィー」 迷惑そうな細腕をさっと掴み、踊りでもリードするようにハウルが軽やかに身を反転させると、 行動を読みきれず足元を崩したソフィーの腰を一本の腕で支え、掴んだままの腕は手首から滑らせソフィーの手のひらを絡めている。 「僕がいつもとは角度の違う君の美しさに息を呑んだ。それが会場に居る皆に知られてしまうんだよ?」 本当勿体無い! ハウルは憐れっぽく糾弾すると、空で指を捻らせソフィーの唇にルージュで光沢をもたせる。 「ちょっとサリマン先生に感謝したくなったよ…まいったな」 失笑を噛み砕きながら、桜の唇を掠め取った。 /その瞬間感じたこと → ----- 随分と久しぶりの更新となってしまいました。お待たせしていた方、遅くなってしまい、ごめんなさい。 本当ならば05.01.27にUPできるらしかったのですが、延び延びに。 あと4つこなす項目が残っています。頭が痛い…! この話もさらりと流すはずだったのですがどうしてもソフィーのドレス姿が描きたくて増やしてしまいました。 次で終わる…?終われればいいなと思いつつ。 ハウルテンションを忘れているため、やたら時間がかかって文が細切れになってしまいました。うう。 05.02.09 |