王室付き魔法使いとなってからのハウルは、自分の都合で動く悠悠自適の生活を手放さざる得ない状況に追い込まれていた。
「だから嫌だったんだ僕は!縛られるのは好きじゃないね」
「仕方がないじゃないの。まあ、家計は前に比べれば安定するからありがたいけれど」
暗に無駄遣いはするなと仄めかしてみたりもするが、ハウルの耳は都合よく忠言の一部分のみを抽出して抗議してきた。
「仕方がないじゃないよソフィー!ああ僕がこうやって寝過ごしてしまう理由だって、そのせいだ」
「だから何?」
「もう少し嘆いてみたりしてもいいんじゃないのかな、奥さん」
「はいはい。片付かないからはやく朝ごはん食べてね」
またハウルが批難を続けようと口を開けたところで、
「はいどうぞ旦那さま」
さっとフォークに刺さったままのベーコンエッグを目の前に差し出すと、しばしぱくぱくと物いいたげな顔をしていたが、渋々ぱくんと口に含んで咀嚼した。
ソフィーは我侭なハウルに適任の妻といえた。
3人姉妹の長女という重役を背負い、妹二人の諍いを見事解決してきた腕、培われた宥め技術は伊達ではない。
ただし、時々ミーガンみたいだよとぼそりとハウルが呟いているのを聞いた時ばかりは、ソフィーは何ともいえない微妙な渋面を切り返すしか上手い手段が見当たらない。
ハウルがぬるぬるうなぎとなった原因は、おそらく―――いや99%の確立でミーガンのお陰であろう。
初対面時点で正直ソフィーは仲良くなれないタイプだわと自覚をきたしていたに関わらず、よもや義姉ともなろうとは年老いた姿の彼女には予想だにもせぬ展開だった。
(大体がハウルに恋しているという自覚すらなかった)
義姉になったから折り合いがつく、という訳でも当然の如くあるはずもない。
結婚の挨拶に行っためでたい日ですら緊迫した空気が漂っていたというのに………とても喜ばしいことであるのに、そういう点においては少し頭の痛い出来事の前兆が起こり始めていた。
勘違いかもしれない。
ソフィーはぬか喜びを味わいたいほど幸せに飢餓している訳でもなく、
「マイケルはまたマーサのとこに花を持って行ってるのか。マメだなあ」
「あんたが言う台詞じゃないわね」
「………ソフィー、僕はマイケルみたいにねちっこいことはしないのさ」
「どういう意味よ」
「短期間で片がつくからね」
ふふんと誇らしげに胸をそらすハウルをよっぽど頬でもつねってやろうかと衝動を辛うじて押さえつけて、ソフィーは先ほどから一向に進まない食事を急かす様に食器洗いを始める。

こういう他愛のない会話や二人で過ごす空気。
そういったほんの些細なものこそがソフィーにとっては幸福そのものなのだ。
幸福の後には不幸がくる、と脅迫じみた迷信もあることであるし、とりあえず今は十分すぎるほど満ち足りている。
慌てて出て行ったために放置されたマイケルの皿と自身の取った軽食の皿を脇へ寄せて、洗剤へと手を伸ばしたところで大異変が唐突にソフィーを襲った。
「………っぐっ!」
胃からせりあがってくる不快感に口元を押さえる。
彼女の、自分を急かす為だろうソフィーの大仰な仕草が止まり、
不思議がっていたハウルは妻の異変に気付き、顔色を変えて立ち上がる。
「ソフィー!どうしたんだい!?」
椅子が激しい音を立てて後方へ倒れこんでいくのを気にもとめずにハウルは、背を丸めて視線を右往左往させる彼女の様子を覗き込んだ。
青ざめた蚊の音が辛うじてハウルの鼓膜へ伝わる。
「……もち、わる…い…」
「気持ち悪いんだね!今洗面所へ連れて行くから」
うずくまろうとするソフィーの膝を腕に抱き、横に抱えて二階へ続く階段を飛ぶように駆け上がると洗面所へと連れ込んだ。





「はぁ、はぁ」
胃の内容物を吐き出し、ハウルから渡された冷たい水を飲み干しすっきりさせたソフィーは荒い息をなんとか収めるべく胸に手を当てて早い心臓のリズムを遅滞させようとする。気分が悪かった。
最近眩暈や立ちくらみが頻繁に生じていたとはいえ、ここまで明確な不調は初めてだった。
目までタオルで嫌な汗を拭う。拭うことで視界を閉ざした。
無言の圧力が、ハウルの怒気から逃れるようにソフィーは汗を拭う仕草を続ける。
腕組んだハウルは椅子に腰掛けるソフィーの横で冷静に見下ろしている。
「……なんで黙ってたの」
「ただ体調が悪かっただけだもの」
「そういうことはちゃんと言わないと、いやいうべきだろう?」
「風邪みたいなものかもしれないし、そんなわざわざ…」
ソフィーの内心では疑惑が確信に変わりつつあったが、まだそうと早とちりする段階にもないと思っていっていたところに、 次の彼の言葉でソフィーは仰天した。
「分かるんだよ僕には。多分だけど、最近薄々感じてたはずの君の疑問は、大当たりだよ」
「………え?!」
「…こういう時魔法使いって職業は、いいんだか悪いんだか分からなくなるね」
ハウルは金色の髪をかき上げながらはにかんで言った。

「君と僕と、愛の結晶に最大の感謝と幸福あれ!」
その瞬間、ソフィーの顔は太陽にも負けないほど真っ赤に染まり、ハウルは満面の笑顔でソフィーを抱き上げると部屋中をくるくる回った。