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1.幼き頃 将臣は、珍しく怒っていたのだった。いや、キレていたといっても問題なかろう。 古風な大屋敷の門前で、ぐしゅぐしゅと蹲って泣く少女を前に眉をつり上げている。 二人の年の頃は9歳ほどで、どちらも幼かったが、精神的にも肉体的にも保育園児というほど子供ではない。 高学年も目前、少しだけ大人びてはいるが、まだ少しだけ低学年という、所謂微妙な年齢に特有の、微妙な問題に今回の喧嘩は端を発した。 「のぞみ、なんでおれの帰り待たなかったんだよ!」 「だ、だって、みっちゃんが、まさおみくんに用があるから、先帰ってって……」 「んなの無視すればいいじゃねーか。なんでハイハイ言うこときいたんだ!」 のぞみ、と呼ばれた少女は顔をあげる。目が兎のように赤く、頬を伝う涙は拭っても拭っても 落下しては、アスファルトに色濃い歪な円を描く。 肩辺りまで段々と伸びてきた薄紅髪が、濡れた肌に張り付いている。 「だって。だって、みっちゃんは、私の大事なともだちだもん!」 望美の言う『みっちゃん』とは、同級生の美鈴という少女を指す。 2年生までは同じクラスであったが、3年生のクラス替えで離れてしまい、少し疎遠になってはいた少女である。しかしながら、新たに同じクラスとなった同級生とみっちゃんが幼馴染であったため、たまに3人で遊んだりもしており、全く無関係でもないけれどそこそこは親しい間柄であった。 そのみっちゃんが、今日の昼休みに、突然望美のクラスを訪れ、両手を合わせて拝みこんだのだ。 「おねがいっ!今日、まさおみくんと一緒にかえらないで!」 望美は、お隣に住んでいる将臣と一つ下の学年の譲と、大抵一緒に帰宅している。 譲とは、時間割の関係でごくたまに時間の合わないことがあり、その際は別々に帰宅するのだが、丁度今日がその日に当たっていた。つまり、帰路は望美と将臣の二人きりだったのである。 みっちゃんが知っていたのかは分からないけれど、将臣と帰宅する第一候補である望美に一先ず当りをつけて、やってきたのだろう。 望美は、訳が分からず面食らいながらも理由を尋ねると、みっちゃんは顔を赤くして蚊のなくような声で呟いた。「大事なようじがあるの」、と。 望美はその言を受け、ならば仕方がないと納得して、今日掃除当番だった将臣を残し、先に帰ってしまったのである。 「私、ちゃんとみっちゃんに、『先に帰るねっ』ってまさおみくんに言ってもらうようにいったもん! かってに帰ったわけじゃないもん!」 「知ってるけど。でも、帰るなよ!」 「なんで!?ちゃんと用事あったんでしょ?」 そうだよ、なんで私おこられなきゃいけないの? はた、と自分の行動が筋の通ったものであることに思い至り、 帰宅するなり家から引きずり出され、怒鳴られるという理不尽な仕打ちに怒りを覚えた望美は、頬を膨らませた。 一方、痛いところをつかれた将臣は、ぐ、と言葉をつまらせる。 「あった、けど」 「じゃあ私、わるくないよ!」 形勢逆転。状況は不利になり、立ち上がった望美が、少し目線の高い将臣に詰め寄る形となった。 たじろぐ将臣は、一歩足を引いてしまう。 そう、用事はあったのだ。望美が先に帰っているとも、話が始まる前に聞かされてはいた。 だが、肝心の用事に、将臣が望美に八つ当たりする要因が潜んでいたのである。 みっちゃんの用事とは―――将臣への愛の告白だったのだ。 掃除が終わり、望美を探して教室内に目を配っていた将臣に、廊下から呼び声がかかった。 見たことのあるようなないような顔に、将臣は記憶の底を探りつつ応答して傍へよっていくと、いきなり腕を掴まれ、人気のない第二音楽室前へと連れて行かれた。 第一声で、望美は先に帰ったといわれ、将臣はムッとした。 なんでアイツ、俺にいわねーんだ、と毒づく前に、――――すきです。と実にシンプルな告白を受けたのだった。 それと同時に、名も顔もろくに思い出せない女子を前にして、容姿やら声やら仕草やらを吟味する間もなく、理不尽な怒りの波が将臣を襲っていた。 なんで、あいつ、こんな用事なのにおれを置いていくんだ、と。 おれなんか、あいつにとってどうでもいいのかと。 まさおみくん?と顔を真っ赤にした少女が、窺うように見つめてくるのを横目に、頭をぐるぐるとさせながら「ごめん。無理」とだけ残して、さっさと帰ってきてしまい、今に至る。 短い前髪をかきあげて、己がどれほど頭に血が上ったまま衝動的な行動をとったかを 思い、苦い笑みを浮かべた。 「……そうか、そうだよな。のぞみ、悪くねぇよな……わりぃ。ほんと」 望美は、将臣から引き出した謝罪に意味もなく、平らな胸をそらした。 「そうだよ。悪くないもん!」 「でもさ。もう俺に言わずに、帰るなよ。……ちゃんといえよ」 「まさおみくん……?」 顔を逸らしてどこか寂しげさを感じさせる無表情をとった将臣に、望美は目を瞠る。 将臣は、昔から望美の前ではいつも闊達であったし、しょ気たり泣いたりといった顔を見せたことがなかった。蔵に閉じ込められて最初の頃は泣いていただの、母親にこっぴどく叱られて沈んでいただのは、話に聞いていたはけれど、実際目の当たりにしたのは数えるほどだ。従って、実に現状というのは、望美にとり物珍しい光景であった。 何故かこちらに非があるような気分になった望美は、殊勝に頷く。 「うん。わかった、今度から、ちゃんというから……」 「そうしてくれ」 普段と雰囲気の違う彼を、またじいと見つめる。 訝しげな視線に気づいた将臣は、破顔して、額を小突いた。 「なーに見てんだよっ!」 「だ、だって。なんか、おかしいんだもん」 「おかしくねーよ!……つーか、俺も、よくわかんねぇんだ。なんで怒ったんだろ」 「なにそれ。変なまさおみくん」 「だな」 「だよね」 瞬間、お互い無言で見合わせて、二人同時に吹き出した。 「ふふっ」 「ははっ」 次第に声が高くなり、お腹を丸めて笑い出した。 妙なわだかまりは一気に融解し、日常の二人に戻った彼らは、涙目で指を差し合い、道路を転げる。 傍から見れば奇怪な行動をとる彼らを見つめる大人たちがいた。 「あの子達、何してるのかしら?」 「さあ……?まあ、仲がいいのはいいことよ」 「そうね。喧嘩してるよりはいいわね」 一緒に買い物へと出ていた有川母と春日母は、有川家門前で笑い転げる我が子を 不思議な顔で見守っていた。 2.気がつかない価値 「将臣くんといるとね。すっっっごく楽なんだよ」 「へえ。それで」 「それでって……」 「なんでいきなり、そんなこと言い出したわけ」 いいながら、弁当から攫われるカット塩ゆで卵に気がつかず、ストローを 唇に挟んだまま、飲みたくもないのにジュースを吸い上げる。 「変だっていわれた。幼馴染っていっても、やっぱどこかで意識しちゃうよとかいわれた」 「……意識?お前相手に?」 「私相手にする?」 「……ねーな」 「ないね」 しばらく静まって考えたものの、どう考えても彼・彼女相手に、緊張などという単語が そぐうとは思えない。 あって当たり前、ずっと昔からそうだった。空気のような存在。 相手の匂いだって、やすらぎの一材料。男とか女とか、そういった隔てを気にせずいられる関係。 お互いに、それを居心地よいと思っている。確認せずとも分かる。 そしてそれは、片方の勘違いでもなんでもなく、この二人に限っては外れていないのだった。 「ま。俺は、窮屈な相手と一緒に居るよりゃ、楽な相手のがいいけどな」 「だよねー」 望美と比較しても大きな、弁当箱のご飯をかきこむ将臣。 「俺と並んで寝れる神経の女が、意識なんかするわけねーわな」 「別に進んで寝てるんじゃないけどね。夜更かしの結果だよね」 「お前しつこいもんな」 「いいじゃない。負けて終わるのは性にあわないもん」 「諦めてるよ。お前に関してはその辺り」 「なにそれ!って、あああ!!!たまごがぁ!!!」 「おっそ。今更すぎ」 「ひっどい!!」 |