消えゆく星-1




マルキオ邸は海が近いこともあり潮の匂いが自然、外に出した椅子に腰掛けるキラの鼻腔にも届く。
風向きが変われば途端に親しむ香りは、どこかへと攫われていく。
トリィが青空で小鳥と戯れ、その下で子供たちが遊ぶ様をなんともなしに見遣りながら、しばしまどろんでいたのだと日の傾き具合で知って多少驚かされた。
つい先ほどと錯覚する頃は座しながらも見えていた太陽が、いつのまにか頭上、屋根に隠され見えぬ位置で燃えており、周囲も明度を増している。
この辺りは季節が真夏とはいえ、過ごしにくいというわけでもない地域だというのに、やはり夏はどこでも熱いらしい。キラは額に滲む不快な汗を手の甲で拭った。

海辺に移住し、滞在日数を重ねていけば些か欠点も露呈されてくるとはいえ、しかしそんなことは…もう二年近くも住まえば正に都。
今では何よりも、慣れ親しんだプラントでさえ遠い昔のようだ―――。
やはり人間は地球に還りたがっていたのだ、などという、古典的なB級映画の常套句は、あながちジョークでもなかったのかもしれないなぁ、とキラは思う。
プラントは言うまでもなく、キラの故郷ではあるのだが…大戦が終結し、地球へ降り。
こうして、長いようで短い月日を、母さんやラクス、子供たち、大切な人たちと過ごした平凡で穏やかな、幸せな時間の中にたゆたっていると、時折、訳もなく泣きたくなる瞬間が訪れた。もうそう子供でもないのに、何故なのだろう。

ある日、いつものように子供達を見守り、椅子に腰掛けている時分、ラクスにこの疑問を尋ねてみたことがあった。
涙腺が勝手に緩んで雫が目じりへと僅かに濡れる、不可思議な現象はなんだろうね、と。
普段は忘れがちなささやかすぎる疑問を、なんとなく思いついたからであった。特に深い考えはない。
コーヒーを注ぎにきたラクスは、カップを握ったまま困った顔をして「…そうですわね〜」と語呂を濁してしまう。
もしや素朴なようでかなり難解な疑問をぶつけてしまったのかと、今更にキラが後悔し始めていたところに、ラクスはふわりと春の匂いのする微笑をはえた。
「幸せなのでしょうね。今が」

…尋ねておきながら、キラは彼女からの回答に結局返答できず、うろたえて眉を顰めてしまったが、その理由は今でも分からない。
自分の感情なのに。謝辞をも忘れ、その時代わりに心を占めたのは、母親から初めてキスを受けたような、酷く居心地の悪い気恥ずかしさだった。



「お兄ちゃーん!!見て見て〜っ!!」
…またしても僕は微睡んでいたらしい。一人の少女が、こちらに意識のないない合間に掴んだのだろうキラの袖を、
服が伸びそうなほどぐいぐいと引っ張っている。
血色の良い、小さな手は色づいた季節外れの紅葉のようだ。
「おにーちゃん」
「え?あ、ああ。どうしたの?」
微笑ましい気分に浸っていたら、少女は無視されたと感じたのか不満げに頬を膨らませてしまった。
ごめんごめんと謝りながら、子供が家に戻ってくる際、決して静かではないだろうに気づかなかったのは、案外熟睡していただろうか。と内心で苦笑する。
一応子供達の監督役なのだから(あまり役にたたないとしてもだ)夏の暑さでだれてたかなと首を傾げながら、家の中を窓硝子越しに窺う。
なにやら大事があったらしく、ニュースに子供たちが釘付けになっている。
ラクスとカリダも家庭菜園から戻ったらしく、籠いっぱいに採ってきた野菜を台所におくと、あわただしく興奮した子供たちの相手をしている。
端末の中の夜空に浮かぶ幾数もの光を指差して、これは?あれは?と、逃げはしないのに二人に齧りついて問うている。
「みんな、星か何かの特集番組でも見てるの?」
窓を眺めたまましばし傍観していた彼に焦れた少女は、キラを引いて家の中に戻ろうと手を引く。
笑って、促されるまま椅子から立ち上がり、後ろから腕を伸ばして玄関扉をあけてやる。
キラの腰元ほどの背丈しかない少女は機嫌を直したのか、嬉しそうに答えてくれた。
「うん!今日はね、お星様が落ちる日なんだって!」
「星が、落ちる…?」
室内はよく空調がきいていて、唐突な冷気に頭が少し痛んだ。クーラーかけすぎ、と空調を操作しようと足を
向けたかったが、盛り上がりをみせる輪の中へ、有無を言わさず連れ込まれていく。
子供の好奇心は凄い。
先ほどから袖越しに、むんずと小さな手に圧迫される彼の腕は、少女の期待度数に比例しているらしく、飛び上がるまでもないものの、段々と痛みが増してきている。
背後から女の子に従えられるようにして、だるそうにやってくるキラに気づき、最初に顔を上げたのはラクスである。
見つめるやいなや瞬いて、端正さを可笑しげに崩した。
彼女と過ごして気がついたのは、案外ラクスは天然ながら多少(これもまた天然だから始末に終えないのだが)からかい癖があることだ。

「キラは本当に女性に好かれますわね」笑いながら言うのだからまた恐ろしい。
しかも本音であるかそうでないのか微妙なラインをついてくるけれど、一応キラは好意的にからかい癖、と捉えている。
「いや、そんなことないよ」
きっと悪気はないし(多分)事実を的確に述べているのだが、なんとなくキラは妙に焦って首を振ると、
「なんでー?私、お兄ちゃん大好きだよ〜」
追い討ちをかけるようにキラの腰ほどの背丈もない少女が、嬉しそうにキラの腕にぶらさがってくる。
子供に好かれるのは嫌いではない。普段ならば嬉しいなあとか、喜んでキラは幸福を甘受するところなのだろうが、状況が状況なので、
「あ…の、ええと…」とたどたどしく目を泳がせるより他なかった。
メロドラマで、三角関係に巻き込まれた男の気持ちとか、もしかしてこんな感じだったりするんだろうか。
キラがたじろいだまま嫌な汗をたらしていると、ラクスは「まあ、いいですわ」と一転破顔した。
ラクスに手招きを受けたキラは、どこか居心地の悪い気分のまま、足を向ける。
ラクスの隣にたったキラは、ついでに話題の番組を覗き込むと、やはり星に関しての報道であったらしい。
クローズアップされた星々が、子供にも分かりやすいように易しく解説されている。
どうやら児童向けの、教育番組のようだった。
時々夜空の端に飛び出してくる、案内役キャラクターなのだろう丸い物体は、なぜかラクスが常時手にしているハロに良く似ていた。
キラの前で、一番熱心に食いついている少年がいた。目線をあわせるために屈みこんだカリダが、彼の話し相手になっていた。
「今日流れ星が見えるんだってー!」
「そうね。すごいでしょうね今夜は」
「30年に一度の流れ星!?すごいね!」
「そうね」
「お星様が落ちちゃうのって、痛くないのかな。痛いよね」
朗らかなやり取りに横目をやっているうち、カリダと向き合う少年の姿に既視感を覚えた。
脳裏に、過去が前触れなしにふっと再生される。
これは――――ああ。一声漏らせば、合点がいった。
母さんは星が好きで、星の絵本を幼いキラによく読み聞かせていたのだ。
荷物整理の際、何度かそういった類のものを、どこかで見かけたような気がする。

――――地球から見るとお星さまはこんなに素敵なのよ。
キラが隣の少女のように小さかった頃、カリダが優しく笑いながら手を握って聞かせてくれた、星の話。
今思えば、コロニー育ちのカリダも、キラと同様にどこかで青く美しい地球の引力に惹きこまれていたのかもしれない。

「ねえ、星落ちちゃうの?かわいそう。痛いのはめーなの!」
キラと共にいた少女が、今にも泣きそうになっている。少年の言葉を真に受けたのだろう。ラクスは、今にも泣きそうになっている少女を宥めながら、ふいに肩を抱いて母のように優しく抱擁した。
そのシーンを見たキラは、内心少しムッとてしまう。
似たようなことをしてもらっているにも関わらず、つい羨望の眼差しを向けていると、目ざとくキラの膨れ面に気がついたカリダが肘で腕をこづいてくる。
「大人気ないわねえ〜キラ」溜息交じりに囁かれてしまって、気まずくキラはそっぽを向いた。
「……そんなことないよ!」感づかれてしまったことが本気で的を射ているだけに気恥ずかしい。
本当?どうだかね。
肩眉つりあげて呟いたカリダは意味深に言葉を残してから、騒ぐ子供たちに向き直った。
「今まですぐ寝ちゃってたから、流れ星なんてあんまり気にしたことなかったわね!みんなで今夜流れ星を見ましょうか」
カリダの提案に対する子供たちの返答は、リアクションをみれば一目瞭然であった。
「絶対見るみる!!30年に一度だよ!今回見れなきゃ僕もうしわしわだー!」
「しわしわイヤー!!」
「イヤー!!」
「いやだよねー!カリダママ、お姉ちゃん!」
デリケートな爆弾を手にしたまま口々にラクスとカリダ、女性陣へと一斉に吠え立てたものだから、各々、様々な意味合いで反応した。
「し、しわしわね……いやあねえ本当。……洒落にならないところが」と半ば本気で青ざめるカリダ。
「30年後ですか……私はその頃何をしているのでしょうね」飄々と構えるラクス。
対極の反応に、キラはぷっと忍んで笑うと、針のように鋭いカリダからの目がキラの頬を掠めた。
にっこり笑って、ひらりとかわすキラに「キーラー。あなたも頑張らなきゃいけないのよ〜」
恨めしげな目線を受けてキラは、思わず笑みを引き攣らせてしまう。確かに母に関しては、ジョークですむ問題ではない。
薮蛇だったろうかと軽率な態度を後悔するが、カリダは逃してくれそうにはない。
「な、何を?」
「まあ今は下世話になるから、勘弁しておいてあげるわ」
「「………………」」
そっちですか。
暗黙のうちに意味を介したラクスとキラは、同時に顔を見合わせてから、気まずさにふいと反らす。
さすがにバカップルを演じるには、真夏の気温は高すぎた。ラクスは少しだけ頬を染めて、息をついた。
「おばさま、意地悪です……」
「娘と息子には幸せになってほしいだけよ。ふふふ」
ぼやくラクスにカリダは軽妙にしれっと言ってのける。

「――――おや。どうしましたか?」
しばし、この話の開始当初から忘れられていたマルキオ導師が、亡霊のようにぬっと廊下から出現すると、獰猛な子犬たちが目を光らせた。
次の獲物が来たとばかりに、子供たちはあっという間に5人編成で、ぐるりと導師を囲いこんでしまう。
「今夜流れ星みんなで見るんだよーマルキオさまぁ〜」
「そんでね、30年後になっちゃうんだって!見逃しちゃうと」
「私しわしわになっちゃってるんだって〜」
よりにもよってマルキオ様に「しわしわ」なんて!(僕達はともかく)
顔を青くしたキラとカリダであったが、さすがに『導師』と呼称されているだけあり、平然と子供たちに対応するマルキオ導師に、母さんとは格が違うや、と半ば尊敬のまなざしで見つめていると、
「ふふふ」笑った瞬間にいつもは伏せられた瞳が薄っすらと開き、合間一瞬ぎらりと光った。気がした。
「………………」
偶然にもそれを目撃してしまったキラは瞬間かたまるも、気のせいだよね。と早々に疑問を片付けた。
幸運にも見逃していたカリダとラクスは、今夜は夜が大変ね、と容易に予測できる未来への対策を話し合っていた。
しかしそれも虚しく、彼女らの不安は現実のものとなった。



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