軍人なんて嫌い。
銃なんて嫌い。
血なんて嫌い。
帰ってきたら一緒に誕生日を祝おうとその朝、優しく笑って嘘を吐いたお父さんも嫌い。
嫌い嫌い大っ嫌い。








第3話「雨の中、ただ一人待つ君に傘さしかけよう/T」









埃っぽさと硝煙の匂いと鉄の錆びた剥き出しの骨組みは、退廃的な雰囲気を醸し出していた。
銃から漏れる独特の臭気と煙は、発砲した直後のもの。
リザは一つ睨みすえてから、保護の耳当てを取り外した。
練習台の人型は子供から大人に至るまで的確に急所を穿っている。
首筋、心臓、足の付け根、頭、手首。
その至る所に弾痕が残り、崩れた木屑がトタン屋根から舞い込んだ隙間風に乗ってふわりと床で揺れた。

「リザ。そろそろ実践に移る気はないか?」
「・・・実践?」
教官の男がおどけて銃を打つ恰好を取って、バーンと楽しそうに言った。
しかし二対の目は微塵も楽し気ではない。
「仕事はやってる。上等だ。腕もいい。俺が見劣りすぐらいに。
だが殺さない・・・なぜだ?怖いのか。人を殺害する為の道具で、トリガーを弾いておきながら」
「・・・・違います。ただ」
「ただ?」

「趣味では、ないだけです」

リザはまた鈍色の光を放つ銃弾を手にとり、スロットルを回す。
いくら士官学校生とはいえ16の少女にしては、手馴れすぎた扱いだわ。
そう思えば、嫌でも自覚してしまって、無性に笑いたいような泣きたいような気持ちになる。

リザは、結局嘲笑しただけで。
無理やり終息させた。





++






リザは一夜泊まった東方司令部の仮眠室において、最悪の気分で目が覚めた。

「・・・・・なんであんな夢ばっかり」
テロリストと射撃訓練中に会話する夢だ。他愛もない、幾度も繰り返された。
だというのに、無性に気分が悪かった。
きっとあの男は生きていないだろう―――――何の確信もなかったが、そう思った。
軍に娘を殺されたというあの男は取調べを憎悪してやまない軍から黙って受けるほど、恨みもそう浅くないだろう。

鬱陶しい腰まではある下ろしたままの長い髪は、堅いベッドの中で横になったままのリザの顔に容赦なく視界の邪魔をして、朝日すら差し込む余地のない密閉された白の空間にある光源がゆるゆると開いたリザの青の目を焼いて、反射的に瞼を閉じる。

つい先日まで当たり前の光景として過ごした3年間も、離れてしまえばあっさり地獄のような日々だと他人事のように思えるのが不思議だった。

それに、今日は考えなければならない。
組織から逃げ出すことばかり考えていた3年とは比べようもないほど自由な選択。
確かに一見はそう。だがしかし、3年という年月は17歳のリザにとっては長すぎた。

「私には、もう何もない・・・」
唯一の親類であった祖母も激しさを増した戦乱で亡くなったという。
かつて祖母と二人で暮らしていた家、もう街すらも。
「何も・・・」
ベッドの中で横向きになって目の前で広げる女性そのものの手のひらは小さく、白く。
「最低だわ」
無力感が気だるくリザの体を襲った。
祖母が死んだというのに涙すらも出ない。3年で心まで冷徹な女と化してしまったのか。
情けなくて、嗚咽すらも出ない自分に嫌気がさして、リザはただ瞼を伏せる。
もう何も見たくなかった。
ようやく自由となった現実は辛辣なだけだと、この身が切り刻まれたほうがよほどマシといっそ思えるくらいに、よく分かっていたから。




+++



ロイは柄にもなくヒューズと呑んだ酒が後に残り、胃の不快感に顔を青くさせながら東方司令部へよれよれと出勤した。
自分でも分かるくらいのこの酒臭さは多少の香水か何かで紛らわせるとして、しかしえらく昨夜はヒューズに絡まれたものだ。
廊下を歩きながら同僚(主に女性)に愛想よく挨拶しながら、勤続先の部署へと向かっていると、
「マスタング中尉!」同僚の、階級は部下である男から背後に声がかかる。
「・・・・どうしたんだ?」
男でしかも部下なのでまあいいやと素面の不機嫌さで応対してやると、
「うわ、酒臭っ!少尉呑みましたねえらく!」とロイの豹変振りにはもはや慣れっこなのか、しれっとした態度で鼻までつまんでぱたぱたと空を仰いだ。
やたら気に食わなかったのでロイは軽く部下を肘でどつき倒すと、「ぎゃっ」とカエルを潰したようなうめき声と共に、プロレスラーがヘルプをかけるようにロイの腕をマット代わりにタンマタンマと叩いた。

「なんか、マルク大佐から『お嬢さん』のことで・・・だそうですよ!痛いですってホント!」
「・・・・『お嬢さん』?」
ぴたりとロイはどつきをやめると、部下をぽいと放り出して少し思案すればすぐに隠語の相手には思い当たった。
ホークアイ大将のお嬢さんのことだろう。
しかし朝っぱらから嫌いな上司からの、しかもアポなしの急な呼ばれに、ロイは二日酔いの胸をさすりながらますます不機嫌そうに眉をひそめた。
だが、まあ仕方がない。現時点では上司なのだから。
「分かった」
咳き込んでいる部下を尻目に胸元から匂いの柔らかな香水を取り出し、首筋に振ると、部下が不思議そうな顔をして訊ねようとする仕草をも無視して嫌いな上司の下へと足を急いだ。
どうせ、なぜ女のものの香水なんですか、とかそういった類のことを聞こうとしたのだろうが、ロイにしてみれば愚問だった。
男は女の匂いに惑わされる。
匂い付けをやたら振りまくる女ほど、足蹴で追い払いたいものはないが、香水は適宜に使用すればウィークポイント――――ロイの場合はアルコールの匂い―――――くらいは、加味したくらいの魅力的な芳香へと変貌するのだ。

女の匂いを嫌いな男はいないので、女の匂いを拝借すればいくらかロイはアルコール摂取を隠蔽できる。
簡潔に言えばそういう理由だった。
入れ知恵は実体験に基づいているので、死角はない。



・・・・





しかし憂鬱なものは憂鬱だ。後に「大佐は嫌なことになると目が死んだ魚のようになりますね」とリザに忠言されて半ば強制に改善させられる羽目となるのだが、
正に『死んだ魚の目』で、ロイはマルク大佐の待つ執務室へと向かっていた。
内心ではなんで背筋もこんなに伸ばして慇懃丁寧に接してやらなきゃならんのだと毒づきつつ、上辺のみ非常ににこやかな好青年スマイルを湛えて木製の大袈裟に上質な扉(こんな上司なんか平用の鉄製で十分だろうが。経費の無駄だ)をノックする。

「マルク大佐、お呼び頂きましたロイ・マスタングです」
「ああ、中尉か。入れ」
中からの重量感のある声に促され、ロイが中へ招かれるとどっさりと書類が賓客用テーブルに所狭しと積まれている。
嫌な予感がした。

「リザ・ホークアイの今後の身の振り方について、1週間のみだが猶予が与えられたのは知っているな。
本来ならまあ、即刻士官学校に出戻って、逐一こちらからも組織に関する取調べを行うんだが。ホークアイ大将のお嬢さんだ。
特別待遇で臨時にだが身を寮に移ってもらう」

ロイは奇妙な言い訳と口上に、しばし呆れた。
市民に戻るか軍に戻るかの猶予期間すら、士官学校の寮――――つまりは軍の檻に結局は放り込まれるということだ。

「はあ、そうですか・・・」
気の無い返事をしてしまったと心象を心配したロイだったが相手は聞いてもいないのか、神経質に執務机を歩き回るマルク大佐は一歩的に話を進めていく。
「そしてだ。身柄を保護した君に彼女についての処理は一任する」
おい人の話くらい聞けよと裏で自尊心を震わせていたロイは、思わず呆けた。
「・・・・・・は?」
「この書類はお嬢さん関連のものだ。処理と身柄の手配などは頼む」
ポンと快活に肩を叩かれ、ロイは「了解しました」と敬礼付きで反射的に口走ってはいたが、責任者は書類上はこの上司のはずだった。
臭いものには蓋をしろとばかりなあまりに露骨な押し付けがましさに、
コイツは絶対に将来蹴落としてやると覚悟を決めた。


「おーい、運ぶの手伝え」
「ひええええ」

ロイは丁度執務室前を前通りかかった不運な部下を捕まえて山のような紙束の一部を軽々両手に抱え、デスクへと戻っていった。
後には呼び寄せられた汗をかいた数人の部下がぞろぞろ続く。









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