「ごちそうさまでした」
ぱちんとキラは手を合わせて白のワンピース姿でテーブル席、正面に座るラクスに半笑いで拝むと、 キッチンへ食器を運ぶ為に席を立った。
裏ごししたトマトペーストを加えたラクス手製のトマトスープをぺろりと平らげたキラは、普段の鬱憤だとばかりに纏わりついてくる子供たちと一日中遊びに遊び尽くしていながらもまだどこか足りないのか、元気そうにハロと戯れ始めた。跳ね回る大勢のハロ。

「カガリも正念場だね。今度プラントに行くらしいよ。アスランと一緒に」
「そうですか……」
ラクスは布巾で洗い終えた食器の水気を取りながら、相槌を打った。
「忙しく、なりそうですわね」
「……うん」
返答された声音は、彼女が言外に持たせた含みを明確に捉えたのだろう。
表情とは違い、消え入るような低い声だった。
キラとラクスは定期的にオーブと連絡を介しつつ、何やら周辺は俄かに慌しさを増している。
いいのか悪いのかは分からないが、不穏な空気がどこからか穏やかな、ようやく日常と呼べる
値にまで達した2年に隙間風が吹いてきているように思った。
彼女の首に垂れる後れ毛を、微かに揺らしていくような微々たる変調。
しかし、遅々であるだからこそ恐ろしいのではないか。
寝首をかかれるような、実感を伴った危機感は2年前を否応なく回顧させる。

「ラクス!」
「はい?」
唐突に跳ね上がったキラのテンションに、ラクスは少々面食らって食器をすべり落としそうになった。
キラは先ほどの空気などどこ吹く風。
満面の笑みでとことこと白のエプロンを身に付けたままの彼女に駆け寄ってくる。
「外、出ようか」
「何か御用でもあるのですか?」
「……うーん。別にないけど。お月見でも、しよっか」
やたらかいつまんだ台詞だったような気もしたが、とりあえずラクスは素直に頷いてエプロンを首から抜きとり、椅子に折りたたむ。精一杯の微笑を返すと、キラもまたにっこりと笑った。
眠りについているハロ達が、それこそ一斉に、ブーンと不服のモーター音を上げる。
今度一緒に行きましょうね、とラクスははにかんで代表してピンクハロを撫で付けて宥めると嬉しかったのかそのまましんと静まり返った。
キラもなんとなく承諾にほっとしたようで、胸を撫で下ろしている。
まるで父親のようだとキラは毒づくと、ラクスは可笑しげにくすくす手を当てて肩を震わせた。
むくれた彼が玄関口へと足早に赴いていったので、少し言い過ぎただろうかと多少不安げにラクスが距離を縮めようと駆け寄ると、それまでのキラの動作がぴたりと止まった。

玄関扉を半分開け、夜風に髪を軽くなびかせてキラは
「行こう」
手を差し出した。少年のそれではない、骨ばった皮膚の薄い男の手はとても不器用に彼女の手の収まりどころをなだらかに仕立て上げる。
「作法とかはアスランみたいに上手くできないけど、こんなので良かったかな」
キラは自信なさそうに俯いて苦笑してしまう。
ラクスは瞬間ぽかんとして、けれど喉の焼けるような甘い蜜が一斉に体中へと満たされていってしまう。
こんな些細なことでもラクスの心を容易く弄んでしまうくせに、自覚はない。
「十分及第点ですわよ?」
「……光栄の限り」
ラクスは微笑んで、宙で浮く愛しさにそっと手を重ねると、「っきゃあ!?」
そのままぐいと手を引かれ、ウッドデッキの木目を跳ねる様に外の草原へと連れ出された。
ショールが月の出た夜空を慕う微風に細い肩からふわりと触れて、少しだけたなびく。
キラは踏み心地のよい草に片足で体重をかけ、ラクスをくるりと回転させる。
意図を介すると、ラクスは軽いステップを踏んだ。
回る光景と緩い弧を描くショール越しに、月が輝いている。
闇のフィルターを通して尚、月光は優しく小鳥が戯れるように踊る二人を包み込み、潤沢の腕で抱擁する。
「ラクス」
ふいに腰を引き寄せられてラクスはキラの体に寄り添った。
柔らかい体と心地よい温度が服越しに感じられて、キラはより近づこうと更に腰を抱く力を強める。
実質彼女と二人でいるのは数年だというのに、ずっと昔、遥か以前からまるでそうしていたように、それこそが自然の形のように思えるこの例えようのない思慕は、果てのない海底のよう。
胸から顔を上げて、ラクスは至近からキラを見つめた。
鼻腔には草の匂いが香る。
彼女の光に潤む青の瞳と、やがて見詰め合った透る紫の双眸には誰よりも思う互いの姿が。
合図も何もない。
ラクスが少し爪先立ちに、キラは少し首を屈めて二人は思いの任せるままどちらともなく目を伏せ、ゆったりと口付けを交わした。
唇の線の線まで、細胞の隅から隅までを合わせるように何度も何度も温もりを交える。
夜風に誘われて、肩にかけていた白のショールが、逆立つ緑の波に陰影を残し、うねる大海原へと旅立っていく。

願わくばこうして何万回も何万年もキスしあっていられるように。二人は夢中で月へと忠誠を誓いあった。
砂山のような頼り無い、けれど宝石のようなこの日々は、私たちを幸福にあまりあるほど充足してくれる。
二人がいて、キスしあえて抱きしめあえて子供たちと共に過ごして。
今以上の至上の世界が、一体どこにあるというのだろう。






何万回もキスをしよう/fin.