「わー、今日はカレーだってよ!」 「やったあ!」 子供たちのはしゃぎ声がある人物目がけてラクスの傍らから進行方向とは真逆に駆け出していく。 ラクスは笑いながら足を止め、彼女が店を出るまで想像していていたよりも随分軽くなってしまった紙袋を抱きなおして少し待ちぼうけてみることにした。 後ろを他の子供たちと歩いていたキラは一斉に飛びかかられ、「大丈夫ですから」と言うラクスから半ば奪いとった両手一杯の紙袋を抱える状況に尚更子供たちに抱きつかれて、荷物を落としそうになっている。 「うわあ、ミヤ!背中に乗らないで!」 「えへへ〜」 ミヤと呼ばれた3歳ほどの少女は死角である背後をついてもがき抗らうキラのふいをついてまんまと首に抱きついている。 それ続けとばかりにキラの背後に列を作り出す子供達を視認するやいなや青ざめて後じさるキラは少女の体重に背をそらしながら、ひたすら口の開いた紙袋から覗くトマトが潰れやしないか、玉ねぎが落ちやしないかとハラハラしている。 やがてどうやら必死の様相でなんとか子供達を宥めかわしたらしい、ミヤは渋々といったむくれ顔で地面に降り立ち、つまらなさそうな顔で子供たちが苦笑交じりに弁明を続けるキラと共に夕日を背負ってゆったりとこちらに歩んでくる。 小川べりの弧橋手摺りに背をもたらせ、ラクスは微笑ましく滲み出てきた彼らの笑顔に囲まれて笑うキラを見守りながら、ふと空いた手に寒さを感じた。 子供体温そのままの彼らは手を握っていただけでも存分暖を供与してくれていたらしい。 そろそろ到来する寒波に血の巡りが滞り始めた白い肌を握りしめて片手間に紛らわしながら、ずりおちてくる紙袋を肩で受け止め、胸に抱きなおす。 自分の吐く息が白い見える。 もうそんな季節なのですね、とラクスは感慨に耽りながらまた「はー」と故意に白息を出してみる。 父とよくこうして遊んだものだ――――――クラシカルなパイプを好んだ父親を回顧しつつ、 「はー」三度目の息を吐いた。 幼いラクスがパイプを美味そうに銜える父親の姿を見つけては真似したがるので、とはいえよもや稚児に吸わせる訳にもいかなかったので、彼はしばし困り果てた末の思いつきだったのだろう。 冬の庭へ二人で赴いて、「息を吐き出してごらん」 …よく彼が言っていたものだ。 白いもくもくとした視覚化された温度が空に触れては風船のように舞い上がることもなく手の届く範囲で薄れては消えていく。 ラクスは子供たちの賑やかな声が接近するにも気付かずに夢中で「はー」吐息を吐き出し続ける。 こんなにたくさん煙を出せば、もしかして一つくらい空へ届くのではないか―――。 「ラクス?」 はっと我に返ると「ああっ」 緩んだ力が髪袋の落下を防げず、肩からずり落ちて派手な音をあげて地面に落下―――――… 「…ギリギリ、セーフ」 「せーふ!」 ミヤが低位置で傾ぐキラの足元で腕を広げてセーフポーズを決めた。 器用にもキラは荷物を片手一杯に抱きかかえもう肩腕で比較的軽量なパンの入った紙袋を重量に震えながら抱きとめている。 「ご、ごめんなさい!」 はっとしてラクスは苦悶顔で意図を糾弾するキラからいつの間にか手元から離れた荷物に手を差し出して、腰を落としたままふるふると震えるキラから紙袋を受け取った。 無理な体勢から開放されたキラは苦しそうに息を弾ませている。 「……ごめんなさい」 ちょこんと萎縮したラクスは紙袋を胸に抱きかかえて俯いてしまう。 キラはワザとらしく疲労の風を色濃く演じながら、内心可愛いなあ、場所がここでなくて二人きりじゃなければと不謹慎な事を思考していると、「うわっ!?」 「持つの!」 「私ももつー!」 ようやく遊びの方向からベクトルが動いた子供たちがわらわらとキラに群がり、キラの持つ紙袋に手をつっこんでは野菜や肉を手分けして取り出していく。 「みんな!」 前触れなく重量が急激に失われ彼らの行動に体を振り回されるキラが抗議の音をあげているうちにあっという間に荷物は空になってしまう。 出遅れ取り残される形となった残りの子供たちはもはや標的と化した紙袋を持つラクスにぎらりと瞳を光らせて 「お姉ちゃんも分けて分けてー!」 「あ、待って…!」 情け容赦なく袋に飛び込んでくる手に精一杯踏ん張りつつもよろめいているとまたもや瞬く間に空袋となり、手内は用を失ってしまった。 「さーかえろかえろ!」 「導師さまが待ちくたびれてるのー」 勝手気ままにのたまう子供たちは呆然とするキラとラクスを尻目にさっさと進み始めてしまう。 ぽかんと自失状態にあった彼らは、ぽつりと 「なくなっちゃったね…」 「ですわね…」 呟きあい、顔をあわせるとくすりと彼らの優しさに微笑んで真っ赤な夕日に髪を肌を染めた小さな影たちが帰路を手のひらほどの小さな足で徒競争を始める後姿を眩しそうに見遣った。 「…じゃあ僕たちも。ラクス、いこ?」 キラはすっかり手空きとなった彼女の手を握りしめるキラ。 「突然なんですか?」 はははと軽く笑い声をたててキラは手を繋いだ手に強弱をつけて、ラクスの手のひらを握りこんだまま、閉じたり開いたりしつつ言った。 「だって、繋いでほしかったんでしょ?ずっと手を握りしめてたもん」 子供たちは前方でラクスを真似て白息を吐き出しては僕の方が大きい小さいんだと歩きながら喧嘩している。 反論しようとするとつい目に入り、そのまますっかり、いつの間にやら毒気を抜かれてラクス目を細め見つめていると、 「……さっきやってた遊び、何か思い出があるんでしょ?」 落ち着いた声は体を向けてこちらを窺う邪推もなく、けれどやはり隠し切れず語調はこちらを気にしていて、先生に謝罪をする子供のようで、そのままキラはまた綻びだらけの素知らぬ仕草で、こう言うのだ。 「歩きながら、僕に聞かせてくれる…?」 「…………はい………」 ラクスはつんと鼻が痛くなる感覚を憶えながら、徐々に湿り気の増していく手のひらと赤ら顔を横目に、殊更しっかりと左手を握り返した。 思いつきで指をそっと絡めてみると、ゆっくりと指の間に別の力と体温が染み込んで来て、可笑しくもないはずなのになんだか笑えて、くすくすと声をあげる。不思議そうな顔でやっとこちらを窺ってくるキラ。 子供たちの笑い声が遠く遠くへと過ぎ去っていき、こんな風に穏やかな今もきっと、私の中で思い出となっていってしまうのだろうとふと切なくなって、また視界がゆるりと液体に歪んでくる。 寒さが沁み渡った透明の空には出てくるときに見上げた太陽は落ちかけていて、真っ赤な空を駆けていく鳥の群れが頭上を寄り添うように横切っていった。 そろそろ本格的な夕闇が迫っている。 とおいそら/fin. |