22. ラインを辿る


「………キラ」
隣で眠っていたはずのラクスの声に促され、枕よりも一段下ほどの高さになる僕の腕に乗せられた暖かな重さを確かめながら顔をそちらへと向ける。
「起きたの?」
「うん………なんとなく目が、覚めたの…」
起き抜けの彼女はたまにとてもあどけなくなる。
顕著なのは言葉遣いで、普段は語ろうとはしないのだが抱かれた後などはラクスは幾分か気が緩むらしいと、あまり良い思い出ではないらしいのか、それとも父が必ず絡む話であるからか、いつも隠しきれぬ悲哀が眸を陰らせながら
―――――たまに昔の話をぽつぽつと自発的にし始めるそんなある中で、幼少時は元はこの話し方であったのだとラクス自身が静かに語っていた。
それは、そうだろうなと思う。
丁寧語でしゃべる癖など日常生活でもつくはずもなし、彼女の付近に同じ言葉遣いの人間と生活していたなどという特殊な状況がない限りは……クライン家は確かに地球の一国、スカンディナビアでも資産家ではあったということだが、彼女の母はコーディネーターでありながらも、初期の技術により誕生したために、調整があまり上手くいかったなどの弊害から生れ付き体が弱く、ラクスを産んでまもなく亡くなってしまったのだと聞いている。

「…キラはおきてた…の?」
「……うん、ちょうど、今さっき目が覚めたんだ」
「そぅ…」
僕は咄嗟につかなくてもいい嘘をついた。
暗闇の中、ベージュのカーテンに浸透した月明かりに、僕の腕を枕にして少し俯きがちに眠っていたラクスが照らされた様……絶頂を迎えたのちくたりとして、つうと下って白頬に散った汗を飾る君があまりにも綺麗だったので飽くことなくじっと時を忘れて見つめていたのだ、本当は。だから睡魔に唆されてようやく目尻に涙が滲む始末なのだけれど、いくら聡い彼女でも「起き抜けだから」という至極妥当な理由を打ち出されては
感付く余地もなかろう。
僕と彼女は精神感応というか、相手の思考がふいに接着したりするのだが今回は運良く感知を免れたようであって、安堵する。
「ラクスと僕って、不思議だよね」
ラクスのふわふわな髪を梳き、手慰めにしながらいった。
「絆のかたちが…?」
先んじて心中に浮かんでいた言葉を取られてしまい、キラは今回は免れなかったかと笑いながら髪に恭しく口付ける。
「そう。ありえない、…てか、自分でもびっくりしてる」
底無し沼のように性質が悪くて歯が溶けそうなほどの糖質を擁した、深遠を覗き込むような絆の有り様に。精神感応時というのは、彼女とのセックスにとてもよく似ている。他人である彼女かまるで肉を隔てぬような、キラの細胞の隅々にまでラクスという存在そのものが浸透して充足する、その満足感。
欠如していた自分がようやく還る、母なる羊水に溺れる様な途方もない、これほどまでの幸福がよもや訪れようとは過去思考したこともなければ体感したこともなかったが…彼女に出会い、全てを、初めて知った。
「私も…………こんなに、ヒトを大切に想えるなんて、しらなかった…」
蕩ける微笑を浮かべて、枕となっているキラの腕に唇を寄せ、軽く吸い上げる。
目端で愉悦にのぼせながら、痕もつかぬ程度の弱弱しさに内心で催促し、実際にもラクスに耳打ちすると彼女は柔らかく目を細めて、要求に応じて今度は幾分か強くキスをすると鈍い痛みと共にようやく、ラクスの痕跡が残滓した。
よくできましたと頭を撫でるキラに、寝ぼけ混じりでくすぐったそうに身を捩りながら、ふいにぽつりと漏らした失言にキラは機嫌を損ねた。
「でも、キラはそうじゃないのかもしれない…」
「………なんで?」憤りのままに、キラは鼻であしらった。彼女に対してはもはや容赦も遠慮もない。
「昔の僕じゃ考えらんなかったくらいに…浸かりすぎてるのに」
それは己を見失いそうになるほど。弾む息の中伸ばした指が空を掻いだて掴めぬだけで、君の実体の喪失に怯えるほどに。
「………つかる?」
妙な言い回しにラクスは、こくりと小さく首を傾げようとしたのだろうが横になった状態では動作が枕にしたキラの腕に封じられて、
俯いたようにしかみえない。
「ラクスにどっぷり」
「変な…いい方。…ですよ?」
変調した語呂に、少しばかり覚醒してきたのだろうかと思い、彼は、今は
幼い彼女との甘い戯れを望んでいたのでこの会話を打ち切るかを悩んだが、まあいいかと開き直って続行させる。
かつての彼ならばまず気恥ずかしさが勝り、延々と囁いてきた言葉をも口にすらすることは叶わなかったであろうが、特に強制したわけでも意図してでもない。自然とラクスと過ごすうちに零れで始めた言葉の雨。
「…変かな、僕としては的確な表現なんだけど」
「まあ、わからなくもないけれど……恥ずかしい言葉ではあるかもしれない…」
ふっとキラは笑って、ラクスの重みで痺れた腕ながらも手を桜色の髪へと伸ばして、軽く梳かす。
再びひょっこりと顔を出した彼女を歓喜して喉でくつくつと笑み、
「そっかなぁ…でもラクスも嫌じゃないでしょ?」言いながら、彼女の白い額にキスをする。
「……場をわきまえてくれるのなら、いくらでも…?」
僕の裸の胸にぴったり頬を寄せて、さながら子猫みたいに彼女がにじり寄り、触れ合う温もりと柔らかさに涙が出そうな陶酔感の中ひとしきり僕と擦りあった後、ラクスは僅かに上体を浮かして僕の唇に、柔らかな唇を重ねた。
しみじみとああラクスだなぁと思う瞬間である。
彼女はすっかり素の状態というのは先程の寝起きありのままで、甘えるのもありのままの姿だ。語調については「だって、お父さまにはこうやって話していたもの」とは当人の言である。思いがようやく通じあい、またラクス自身のこと両親のこと、鉄壁とも思われた慈愛の微笑みの裏で、静かに涙を流していて感じた寂しさだとか、それら一つ一つをゆっくりと深めていき、ようやく一人の少女が、おそらく父親以外では決して許諾しなかったであろう甘えた顔をキラに、ふっと予期せず腕の中で覗かせたのだ。
大衆から尊敬の眼差しを受ける勇壮で麗しいラクスでもなければ、孤児院の子供たちが母のように慕う心優しいラクスでもなく、エターナルで傷つき果て涙を堪えていたキラを何も求めず、ただ彼のあるがままを受けとめた無償の安らぎを供与するラクスでもない―――――打算もなにもなしに、無邪気で子供っぽく、嬉しいことには素直に笑いって気に食わなければ相手お構いなしに拗ねるラクスだった。
彼女をようやく見つけたとき――――とても、とても愛しかった。何にももはや変えられないと確信した。
僕は、泣きながら蹲っていた女の子の潤んだ瞳からぽろぽろと零れ落ちた、ただ寂しくて孤独に震える涙を拭いたいと思っているのに、それでも意固地に精一杯笑って、笑いながら突き放して皆を泣きながら癒し続けた、 淡く儚かなすぎる彼女の涙を拭ってあげたいと願った。そうでまでしなければ「ラクス・クライン」を守れなかったラクス。
一層の孤独を恐れるがゆえに、誰に対しても微笑で拒絶を叫び、 崩壊してしまった父を支柱とした彼女の世界の瓦礫を前に途方にくれて死を一人望み続けた彼女の嗚咽は、 火のついた赤子のようであった。
僕は取り乱して抵抗する君に、ひとりじゃないよと、君はありのままでいいんだよと、甘えてもいいのだと強く抱きしめた………凛としていた少女の体は随分と大きいように感じていたけれど、実際は酷く細くて小さく、そしてとても脆かった。
幼少期、誰でも経験するごく当たり前の他人への甘えをあまり知らないラクスは、実は誰よりも希求していたのやもしれない。
多くの人々から尊敬の眼差しの一手を集め、割れんばかりの拍手を身に浴して微笑みながら、抱擁の手を拒絶というヴェールに厚く包んで。

「…甘えん坊だねラクスは」
「…んぅ……そんなこと……」
息が少し弾む程度に断続するバードキスの合間にくぐもったやりとりを交わす中、キラは彼女の口内を舌で荒らしながら薄めで長い睫毛を認めてから、上下する露となっている豊満な乳房に目をとめて、悪戯な笑みを浮かべた。
「……ちゅ…ん……っあぁ!?ゃ」
片丘を手のひらで揉みしだき、あがった艶声に触発されるままに翻弄する。
甘い吐息を漏らし始めるラクスの起こしていた体は次第に腕笑い初めて、やがて崩れ落ちる。
抱けば折れそうな細い腰を抱いて、白い肢体にキラは瞳に情欲そのものである黒い焔を焦がしながら圧し掛かった。
桜の髪が一筋、淡雪の首筋から浮き出た細い鎖骨に描く様はあまりに煽情的で、ごくりと唾をのむ。
「ほんと、綺麗すぎる。かわいすぎ……」こんなに美しくて、可愛いらしい彼女を我が物顔で 好きなようにできるという陶酔に酔わされるままに、首筋を辿り赤い舌を這わせる。
「首には、痕。撮影あるからつけらんないね。化粧品のCMだっけ…?」
大体今だってラクスはすっぴんだけど化粧なんてしなくても十分に綺麗だってのに、よりにもよって彼女に不要な化粧品とは。
ちえっと不機嫌そうに舌打つキラに、ラクスが「普段も、首はいや!」と小さく付け加えるも妖艶な雰囲気を纏ってお構いなく口を塞ぐ。
「とっとと、終わらせてよね…」
大体があまり彼女が露出する自体好意的でない彼は好き勝手に誰にでもなく毒吐いて、
花の匂いに篭められた思惟を感じながら、再び行為へと没頭していった。