むかしむかし、のちに「ひと」なづけられるいきものは、もともとはひとつでした。
ほしにちゃくりくしたさまざまなぐうぜんがまざりあって、そしていきものがうまれました。



まだ「ひと」というなはありません。なぜならことばがないからです。
みんなはひとつでした。あらそいもなく、せんそうもなく、ぶきもなく。
みんなびょうどうで、なかよしでした。
いつしかいきものはぶんきし、やがておなかがすいてきました。
もうひとつではないので、たべものはあるいきものがたべてもびょうどうにいきわたりません。
けれどおなかはぐうとなります。



たべものをなかよくわけようと、あるいきものがうったえましたが、あるひとつのいきものがなかよしのたべものをうばいました。
するとうばわれたいきものはうばいかえそうとうばったものにかみつきました。
ふたりはぐるぐるぐるぐるじめんをころがって、たべものをうばいあっています。
それをみていたおなかをすかせたまたひとりのいきものが、ほかのいきもののたべものをうばいました。
れんさしてれんさして、ついにはなかよくわけようとうったえていたいきものまでたべものをうばいはじめてしまいます。
さいしょにうばいあったふたりは、どちらもしんでしまいました。
ちゅうとはんぱにくいちぎられたままのこされたたべものにいきものたちがむらがり、またぐるぐるぐるぐるじめんをころがっていきます。



みんながたべものをうばいあうなかに、おなかがすいていも、がまんするいきものがいました。
なんびゃくねんもなんぜんねんもがまんしてからだはやせほそり、ついにはしにかけていました。
しずかになったなあと、みみをすましましたが、しんとしずまりかえっています。
くうふくのためか、いしきももうろうとして、めをあけてもみることができません。
しずまりかえっているなかまたちは、もはやだれひとりとしていきていませんでした。
みんなうばいあいをくりかえして、やがてしんでしまったのでした。
たべものはすっかりすなとなって、さらさらかぜにまいおどっています。




おなかがすいたいきものは、はいずりまわって、くちでなにかをたべました。
めはみえません。
そのいきものはなかまをたべていました。けれどめはみえないのできづきません。
おなかいっぱいになったころ、ようやくよくめがみえるようになりました。
なかまはだれもいませんでした。




むこうからおなじようにいきのこったいきものがやってきました。
いきものたちはとてもさみしかったので、じぶんたちとおなじすがたをしたこどもをつくりました。


やがて、またなんぜんねん、なんまんねんがたって。
こどもがいのちをつないでいくと、ふと、あるいきものが「そら」がよくみたいといってたちあがりました。
それが「ひと」とよばれるもののげんがいです。ちじょうからはのがれられません。
あるいきものはそらがすこしちかくなって、うれしくなりました。
さらによくみようとがんばると、もっとそらがちかづきます。
がんばるうちにこどもがうまれ、あるいきものよりもこううんにせのたかかったこどもは、
おやがしんでからもそらをみつづけました。



そしてあるいきもののこどものこども、またそのこども、かぞえきれないほどこどもがそらをみつづけてしんでいったあと、やがて「ひと」といういきものになりました。




「ひと」はまだそらをめざしています。たかいたかいそらにてをのばしつづけています。
ときおりせんぞのようにおそいくるくうふくをそらをみあげることでみたしながら。
あしもとには、そらをむくはずのくさばなが、「ひと」のあしのうらにつぶされてしんでいきます。




このおはなしはかつてそんざいした「ひと」をちゅうしんにおいたせかいの、おおくそんざいするせかいにおいてはなんのえいきょうもあたえない、とある星でとあるちいさなしょうじょがひとり、わらいながらうたったわらべうたです。