「どうして!ラクス、上手くいってないのか」
首をふるふると振り、否定する。
バルドフェルドも頷いて、そうだよなあと頭を掻いた。
喧嘩でもおっぱじめたのだろうか。
「じゃあなんでだ。…それだけなのか?お前たちは。もうそこいらの青臭い恋愛関係じゃないだろう」
以前ラクスは俯いたまま、微動だにしない。
「…どうしても、だめなんです」
「キラも、そうなのか」
「さあ、存じませんわ。どちらにせよ、まだ早いですし―――」
「ラクス。キラと結婚しない、子供も産まない。ならば、どうするんだ。ずっとそのままなのか?」
失笑した物言いにぴくりと彼女の肩が萎縮するも、か細く覇気に欠けた声が絞り出た。バルトフェルトは彼女に発言をしいたような罪悪感に駆られ、眉を顰める。
「…クライン派の後継につきましては、私なりに考えております」
「そういうことを聞いてるんじゃない。…キラを捨てる、ということか?」
「……………ちがい、ます」
歯切れの悪い間を持った返答に、バルドフェルドは険を顰めた。
棒読みの彼女の台詞には、否定も肯定も匂わせてはいない。
予想以上に事態は深刻だと彼は弟、妹のような彼らを案じるが故に、あえて彼は核心を突いた。
「違わない。そういうことだろう。お前は他の男の子供でも産むつもりか?一緒さ」
「…………ずっと」
精彩を欠いた硬い声で、ラクスは言った。端正な面が、能面のように一切の感情を消していた。
「ずっと、考えていました。いつか終わりだくるだろうと。私が、『ラクス・クライン』がいつまでもこうしてはいられるはずもないと。分かっていたのに…」
バルドフェルド自身も、オーブでのあまりに穏やかな暮らしに身を投じていた傍ら、ファクトリーでは諜報活動、軍事訓練等遂には欠かす事はなかった。
一般人として社会に溶け込むには、バルドフェルドも部下も、そして『ラクス・クライン』もやはり例外ではなかったのだ。マリューと語らい、コーヒーを口に入れながらどこか停滞した違和感が常に付きまとっていた。
彼女の面持ちを窺えば、おそらく彼女もそうであったことは、想像に難くない。

「ラクス。…そう、決めたなら別れろ。離れろ、お互いのために。未来を否定して先なんかない。アイシャと俺は、否定してはいなかった」
「…………………」
「……お前たちが、離れられるのか?俺にはそこが疑問だよ」
「……………私が、固執しているだけですわ」
「そうかな?」
回りくどく、彼は『ラクス』を批難している。彼女自身彼の、意図を含んでいることをを承知していたし、傲慢甚だしい思考であることも理解していたが……それでも繰り返してきた無意識に忌避する思索を初めて、他人に口を出す機会を恵まれたのだ。それだけは喜ばしいことであったのかもしれないが、話を総括すれば随分と身勝手な話である。
『ラクス・クライン』としては先見性に基づいた正しい行動であるのかもしれないが、いくら高名な名文であったとて一人の女としては、酷い人間でしかない。

「巻き込んだことが辛いか?だが、もう渦中のど真ん中、戦力の要だぞ。キラは」
「それは、私の甘えです。悔いています。…キラは、戦いをする人では、なかったのに」
「それでもキラは絶対にお前を責めないだろうさ。『お前』を守りたいからこそ、フリーダムに乗って今まで戦ってきたんだぞ。それを放り出すのか?なぜだ?」
「私の傍にいると、危険が付きまといますし、…目立ちすぎます。『今』だけならば問題は起こらないでしょうが」
含みを感じたバルドフェルドは、慮って口を開く。
「何か、アイツが目立ってはならん事情でもあるのか?」
ラクスは勢いよく顔をあげ、強く首肯した。彼もその迅速な挙動に瞠る。
「はい。どうしても!何に、変えても……」
深刻な表情の彼女に、何事かを言い募ろうと口を開いたところで、

「それに、…私に、クライン派に、縛られてほしくはありません」

彼は、見落としていた重大な点に苦虫を潰した顔をし、それ以上何とも言い募れず仕方なしに沈黙へと転じる。
彼女が願う「平和の人」は、バルドフェルドが願う通りの二人となれば、否応なく表舞台へと引き出されるであろう。
確かにクライン派代表の『ラクス・クライン』、ましてや子供を持つ以上、普通であれば夫婦関係を自然と結ぶ運びとなるであろうが、彼女の『夫』という立場は一般家庭のそれとは、責任、求められる何もかも―――その次元すら異なる。
表立てば夫として彼女のサポート…キラの一般のコーディネーターよりも秀でた能力等を考えれば、今まで以上に否応なくクライン派に取り込まれることになるだろうし、代行として立たねばならぬ場合も考えられる。
「ラクスの夫」と一概に言えども、内容は唐突に「軍の総司令となれ」と一般人に宣告されると等量だ。キラの願いである「平穏な人生」へ相反する結果を生むことは自明の理である。
将来的に、キラが表舞台に立たず、注目されぬことを条件とすれば、秘密裏に夫婦関係を結ぶという手もあるが、彼女が大切にする父から受け継いだ派内にまで彼女がそれを隠匿できるかといえば、否だ。
信頼関係というものは双方が嘘偽りなく透明であるからこそ、強固に構築されるものであり、クライン派は特に部下が代表に対し、代々信奉が篤い。

バルドフェルドがクライン派に身を委ねてからその信頼関係の緊密さ、部下の優秀さ、人脈の広さにはかつて砂漠で部隊を指揮していた有能な彼が舌を巻くほどであった。
伊達に黄金同盟の立役者の一人であったシーゲル・クラインをトップとしていているだけのことはあると、「砂漠の虎」と異名を得た彼を心底感嘆させたものだ。
彼女が部下から寄せられる信頼を、裏切る真似をできるはずもなく、喩えキラが夫となったにせよクライン派内部からの視線は彼女に見合わなければ、厳しいものとなるであろう。偉大な父以上に、能力を超え「人間そのもの」、生粋のカリスマ性に魅了されている者も多く、信仰対象とされている節も否めない。
バルトフェルド自身も肌に感じることであり、またクライン派に所属する彼も、その一人であるのやもしれないが、当人に言わせれば、たまたま理念が一致し、また単純に「ラクス・クラインを気に入っている」という酔狂でクライン派に付き合っているのだ、というところであろう。彼は死ぬまで無宗教家だとダコスタに豪語しているが、ダコスタが前述した通りの一員であると自覚に至っていた、のかもしれないがほろ苦い笑みをのせただけであった。

何にせよ、ラクスと共に家庭を持ち、歩むというならばキラが願うであろうオーブでのような「平和な暮らし」には遠ざかることとなる。現状ですらラクスは命を狙われるという事態に陥り、キラを巻き込んでしまった形となっているのだ。
その上、キラ自身にも何事か事情があるらしいというではないか。

アイシャとバルドフェルドのような間柄となれば…とも思案するが、彼女は『ラクス・クライン』である。当人たちはともかく、周囲が許すはずもなく、また彼自身も、彼女に限ってはあまり好ましいとは思わない。
相手を大切に思うが故の八方塞がりにも、彼はそこにラクスの愛情が見える以上、彼ら二人を尊重し、互いの幸せを考えるのならば。
思いつめるラクスも、事情を考慮すれば無理からぬように思えた。

バルドフェルドは、部下から上げられていたものの放置していた事案をふっと思い出す。
いずれはと戦中から半ば除外していたことではあったが、どうせ秘匿にもしておけないことだ。未来を真剣に考えるのならば、良い機会であろうと、彼なりに最後の躊躇を振り切り、口にのぼらせた。

「………今まで。黙っていたが、どこからか婚約破棄を知った連中が、金と権力をちらつかせてお前に対面を望んでいる。 
中には、クライン派と友好関係にあった者………婚約者の次点候補にいたものや、優秀で気の良い奴も、いる」
彼女に会いたい、機会があればと望む者やバルドフェルドが、内心でコイツならばラクスを支えられると思っていた者もいた。
ただ、キラとラクスの堅牢な絆を目の当たりにすれば縁のない話だと一蹴していた、むしろそうであれば幸福なことだとこの二年、近くで見守っていたのだが、よもやこのような話をする日が到来しようとは。
対するラクスはさして驚きもせず、冷静そのものであった。バルトフェルトもおおよそ予測していたのか動じる様子もない。

「…あれだけオーブでアスランが目立ってしまえば、破談の漏洩は時間の問題ですものね。アスランも、私の父も公にはなっていないとはいえ、死にましたし。私も戦場で父の代行として立ったことは有名ですしね」
カガリの傍に常につくアスラン。親密な関係だということは、労せず調べられ、また婚約が無効になっているという確証を得るも容易いであろう。
かといって、結ばれた二人を恨むでもない。心から、幸せになってほしい。
これは彼女自身の問題であり、結果的にどう作用しようともそれは変わらないし転嫁するつもりもラクスは毛頭なく、そうできるほど、ラクスは器用でもなかった。

「ラクス。…お前は今、望む望まないに関わらず、最も魅力的な権力者であり…魅力的な女だ」
度重なるラクス暗殺未遂により提示される形となった、今だ揺るがぬ世界への影響力と彼女が宿す力の巨大さが引き起こした不幸を、バルドフェルド恨みたくなった。
どうして平和が似合う、この優しい女が戦場へと駆り出され、重責を背負い、世界に立つ運命となってしまったのか。
孤児院に住まっていた頃のラクスは、ファクトリー関係で度々会う機会もあったが、いつも子供たちに囲まれ、キラの母、キラと共に、笑顔で幸せそうだった。本来日なたの匂いが、よく似合う穏やかな女性であるのに。
戦争とは、日常ありふれた光景を他愛なく奪う。
その上、ラクスは厄介なことに、一度覚悟を決めて駆けるとなれば、最前線に身を置かねば気が済まぬ、穏やかな女性とは一面を隔したはた迷惑な性質を有している。後方で無意味に存在のみを誇示し、部下に指示するだけの指導者とはおおよそ無縁であり、であるからこそ兵士から信奉も得られるのだろう。また、敵の術中を如何様のものか把握しながらも、自ら進んで飛び込む豪胆さも併せ持ち、周囲の背筋を凍らせる天才でもある。聡明であり十分に指導者としての気質も持ちながらも、その自覚に欠ける愚者、と評されても致し方のないだろう。
実際あるジャンク屋から揶揄されたこともあったがどうせ忠言しても、口では理解してもおそらくは気質まで聞き入れることはないだろうので笑い話として済ませてしまうし、バルトフェルトはそこも気に入っている。

「表舞台に立つと、こうなりますのね。必ず…」
寂しそうに目を伏せるラクスに、勇ましく凛とした『ラクス・クライン』の影は微塵もなかった。打ち解けるにつれ、バルトフェルドにもようやく垣間見せるようになった彼女の『表裏一体』の裏の姿――――――この、か細い、ただの18の心優しい一人の女性がそこに存在していた。
「まあ。なんにせよ、慎重に考えろ。相談ならいつでも俺がのってやる」
「バルドフェルド隊長…」
「な!」
陽気に笑いながら、ぽんぽんと桜色の頭に手のひらで撫でつける。
「お前は一人じゃない。俺や、まあ頼りないが…ダコスタもいるんだ。いつでもいい」
『ラクス・クライン』に対してならば、相手は属する派の指導者である、絶対にしない所作であったが、今は自然と宥めてやりたくなったのだった。
抱く感情も、微笑ましくとても温かい。兄弟はいなかったが、親愛が彼をそうさせたのだろう。
ラクスの鼻が、ふいにつんと痛みだし、情けなく表情が崩れるのを自覚し、頭を垂れて隠そうとする。バルトフェルトは気づかない振りをして依然と、逞しい手で「ラクス」を許した。
「お前はもう、家族みたいなもんだ。クライン派もみんな家族だ。な、そうだろう?」
「……はい。………はい…っ」
鼻むじろんだ小さな声が吐き出された。俯いて、頼もしい兄のような人に、ラクスは何度も何度も、馬鹿の一つ覚えのように意味を成さず首肯し、バルトフェルトは妹を見守る兄のような心境というのは、こういうことかとやや苦味をおぼえつつも、慈しむ微笑をたやすことはなかった。