いつか、離れなければならないとはラクスは心密かに誓っていた。

誰にでもない、自分自身にまるで言い聞かせるように、呪縛のように。
けれど着地点に迫れば迫るほど息が詰まって、心臓がずきずきと痛覚を訴えて仕様がない。けれどそれすらも幻と、知らしめなければならない。
彼女の唯一胸が張れそうな、得意技なのだから。

「全てを否定したくなるって、こういう時でしょうか?」

ああ、引き裂かれるように痛む胸を掻き毟ってのた打ち回って背中を反らせ体を引き攣らせたくなる、痛烈な痛み。魂の痛み。
しかし現実はそうではなく、また彼女はそうできるほど上手くできてはいなかった。
視界が波のように揺れて色彩が滲み、やがて一緒くたになり鼻から上る熱に炙られ、同一化されていく。
「泣いてるの?………私」



笑う。












<何を今更>













Re:birthday











今回、彼女自身の幾度にも渡る暗殺未遂、そして結果的には彼に剣を再び取らせた挙句、また新しい剣を託すこととなってしまった。
―――――必要ではあった。
かつてフリーダムを、彼が望むならば、そして平和への志を共にするならばと望んでラクスは結果は身近にいた彼女が思い知り、痛感した。
<ラクス・クライン>という存在は戦火を齎す。
『平和の歌姫』であるはずの存在、歌を歌うだけの存在であったはずが、父シーゲルのバックアップという範囲を飛び越えてもはや彼女でも手におえぬほどに膨らみ、デュランダル議長にも利用価値を認められ偽者を仕立てるまでに肥大してしまった。
それが過剰であるかと問われれば、前大戦・今大戦を先導した指導者である彼女だ、過大評価ではない。
しかし、だからこそ問題なのだ。

「キラは、表立ってはいけない存在…」
彼の生い立ちは秘密裏に闇に葬られ続けなければならない。
キラの実母、ヴィアが妹であるカリダにキラを預けた理由はそこにある。
ブルーコスモスの当時最大標的であった、ヒビキ博士・そして最高のコーディネーターの実験体、息子のキラを守るためである。キラとは違い、ナチュラルとしてヴィアの胎内から誕生したカガリも、襲撃にあった際なんとかキラと共に難を命からがら逃れたのだと、カリダから聞かされた。

それは、キラすら知らない過去。

あなたから時が来れば伝えて欲しいと頼まれていたことである。
信頼におけるあなた、キラが大切にし、キラのアイデンティティを揺るがすほど身を焼いた出生の秘密を、唯一、打ち明けて心を開いたあなただからこそ――――と。











乱れたベッドの上、裸体でぼんやりと膝を抱えていたラクスは目線を傍らへと落とし、
健やかに上下する浅黒い胸と、そして安らかなあどけなさすぎる寝顔に、ある明確な意志を宿した目を細める。
水色に近いカーテンは部屋の奥へ導かれるに従い、色濃さを増し黒が継ぎ足される空間、部屋隅のダストボックスの中に捨てられた空き箱と開封された小さな袋、そしてキッチンに使用済みのガラスコップの内側に張り付いた水道水を、そろそろ飛ばそうとし始めているのか、アメーバが虫を食い始めた。
「ならば、私と未来を本当に共にすることは、危険すぎる」
ラクスは、多くは望まない。

大切にしたい人々が周囲にいて、穏やかに生活できれば…たとえ人が羨望のまなざしを向ける名声や地位を捨てても、ラクスはそれだけで幸福であると確信できる。
だがそれこそが何よりも難しい、ラクス・クラインであるが故の代償はいつも彼女の一番大切なものを悉く剥奪していき、孤独にする。
(ようやく見つけたと思ったのに、………どうして)
手放さなければならない時が来たのだろうか。
どこか直視を忌避していた、ツケなのだろうか。
<ラクス・クライン>はキラを平穏無事に生きていく為には、もはや障害でしかない。
あまりにも目立ちすぎる。
そして、巨大すぎる。
利用価値の高い、『力』の象徴のようなものだ。
彼女の内なる懸念が証明された形で、キラは銃をとり、MSに乗り、争いを望まぬ優しい彼がまた人を殺し。
「私は呪いのようなものですわね…キラを、危険に晒し、必要だからと利用し、戦いに引きずり込んでいく……ずっと、同じ…」


愛しいのに、誰よりも大切にしたいのに、愛しているのに愛されているのに嫌いになりそうなほど好きなのに好意を抱いているのに恋慕を、思慕を、一巡し続けているのに。




「好きなのに、大好きなのに……やっとみつけたのに………もう、一人じゃないって、思ったのに…」

















クライン派後継については裏で事しまやかに囁かれていたし、バルドフェルドとも再三話題に上っていた事項である。
旧クライン派は宇宙を拠点に活動する地下組織「ファクトリー」の実質総取締役となっている。プラント、オーブ、地球軍から有志が集い、結成された組織であるがゆえにどこにも所属せぬ中間役が、プラントからも出叛した旧クライン派であり、終戦へと導いた偉大なる指導者<ラクス・クライン>を盟主とする彼らに旗印として信頼と心強さを寄せたのだろう。
しかしその構図は、核が揺ぎ無いものであるからこそ持続されるのである。
万が一の場合を想定せずに構えるのは危険であり、また、一枚岩の旧クライン派とはいえ、トップが<ラクス>であるからこそ、上手く運んでいる節もある。

「やはり、君の子供の方が、これからの安定を考えるならば適当だろうな」
「世襲制は、あまり好きませんが……」
ラクス自身シーゲルから後継者として帝王学等、指導者としての知識を幼少より叩き込まれていたが愛情が勝っていたから良かったものの、自分の子供に同様の施しをするのはどうも気が進まず、また自由な未来を選択して欲しいとも、拘束される形となり現在にいたるラクスは、まだ産んでもいないというのに、そう願わずにはいられなかった。
「それでも、だ。案の一つとしては最有力候補だ。無論、内輪から優秀な人間を選出するのもいい。部下も君が決定したのだ、ついてくるだろう。…だがな、人の心というのはそう簡単には割り切れないんだ。どうしようもない隙をついて、意地の悪い運命って奴は俺たちを裏切る。いつも」

回顧しながらコーヒーを啜る。
アイシャを脱出させておけば、二人して今頃暮らせていただろうかと甲斐もないことを思考する。

「……キラとお前が、…まあ別れるとは思えない。ならば、未来は同じになる。結婚したり、子供ができることだってありえるわけだ。第二世代と第一世代は子供も、まあできるし……考えておいた方がいい」
「…それは、ありえませんわ」
「ん?なぜだ?」






「私がキラと結婚することも、子供を産むことも望んでいないからです」