○好きシーンで創作30題 >>配布元 12.後ろから抱きしめる もうなんというか限界だった。 ザフト正規軍によるラクス襲撃を受け、AAで慌しく出航して危く戦略結婚完了寸前のカガリを式場から連れ出し、カガリが融通を利かせたお陰でスカンディナビア深海へ無事雲隠れし―――。 プラント、地球の報道映像を毎日毎日チェックを欠かさぬことで情報収集に当たるAAは、今になって家出同然、情報に関しては民間人と同レベル、裸一貫で飛び出してきたことを今更ながら悔やんでいた。 情報網がほしい。が、それをするにも迂闊に外部に情報が流失してはラクスの身にも危険が及びかねない、という危惧により、現時点ではAAに宇宙へ通信を開くなどといった芸当も下手に行使もできず、急速に動転し始めた世界情勢の只中にあってもなお、停滞の空気がAAには宿っていた。 キラは、フリーダムのシステムに手をいれながらもまさか日中ずっとそうしている訳にも行かず、時折ぷつりと緊張の糸が切れたようにぼんやりとしてしまっていた。 (……なんで僕こんなにゆったりしてるんだろ) 不謹慎だなと自身でも思うのだが、気の抜けは無意識の支配下なのだから、こればかりはどうしようもない。しかし急に再び剣を手にとりAAに搭乗するという性急な展開に泳がされていたものの、この二年、「また戦争になったら」と恐ろしく夜、想像したほどの衝撃や不安感はさして到来せず、 「…多少は過去への苛みがマシになったのかな」と安堵した。 しかし再びフリーダムという剣、兵器――――を手にした以上、いつ戦場に駆り出すかは予測不可能である。 2年前も感じた焦燥感と、ひた隠しにする恐怖がよりダイレクトな欲求へとキラを駆り立てたのかは、当人でもよく分からなかったがこういった行動にでたということは開き過ぎた空白期間も考慮に入れなければならないから、理由は一概に言えないのだが。 ともあれ限界だった。 不謹慎万歳。 彼女の夜勤当番が終わったらしく、早朝、とはいえまだ夜の名残が強い時間帯に、廊下を一人歩くラクスの背中を、悶々と続く熱にどうしても寝付けず、たまたま切れたミネラルウォーターを補充しに飲みに出ていたキラが発見するやいなや、 「ラクス…!!!」 「っ…!?き、ら?」 有無を言わさず抱きしめてしまったのはいたしかたなかった。 腕の中で驚いた恋人は、目を白黒させながらも嫌がるでもなく彼女が覆われるような格好でキラに抱きつかれている。 「…どうされましたの?こんな時間に…」 「部屋の冷蔵庫に入れてあったミネラルウォーター。足りなくなっちゃって…」 「でも……あら、本当ですわね…」 振り返る間もなく抱きつかれてしまったのでラクスはキラの格好を見ていなかった。少しだけ目線を横へやると、確かにキラの袖はオーブ士官服のものではない、夜着の半袖の白Tシャツ生地である。 しかしどうして抱きついてきたのかが分からない。真夜中水を補充に出てきた彼がなぜ自分に抱きつく必要があるのか。ラクスはなぜか強制力を増す腕に困惑しながら再度訊ねた。 「キ、ラ。あの、…繰り返すようですが、どうされましたの?」 「だから、水」 「いえ。ではなくて、いきなり、こう、でしたので…」 後方のキラへ顔を傾けた些か無理な体勢で上目遣いに見上げてくるラクスの問いかけに、キラはそりゃあ、と思案するも、 「あー…うん…だから」 今更ながら理由が明確にならない。 彼女の背中を見つけたら、もう黙っていられなくて、というか寝付けなかった理由がたぶんきっとこの行動に如実に、分かりやすく直結しているのだろうなとあたりをつければ否、とは心から返らなかった。 人間正直が一番だという格言だかなんだかがはたと思い当たり、キラは我慢と対比すればミジンコくらいの最後の踏ん切りを思い切り振り払った。 「そりゃ…衝動的にだよ!!」 「え?」 もう我慢する気などはない。 蒼い目をぱちくりとさせる恋人に、キラハ分かんないかなあと大仰に溜息づいて、頭部でひとつに結った髪をさりげなく掻き分けると、他愛もなく露になったラクスの血の通ってなさそうなくらいに白い首筋に顔を埋めた。一連の動作のまま軽く吸い上げる。 「っ…ぁ!?」 かかる息と温度に、身を捩るラクス。キラはその手慣れた行為とはかけ離れた、甘ったれた声でぼそりとラクスの耳傍にむくれた半眼で囁いた。 「だって随分、してないでしょ?」 「……………キ、ラ!」 彼の意図を察したラクスは抗議の音をあげる。ラクスは直接的でも間接的でも分かりにくくてもそういった類の発言は進んで嫌がるのだ。おそらく育ちが起因しているのだろうが…しかしそんなものはこの二年間でよくよく学んだことである。今更気にもしていられない。なにせこちらも切羽詰っているのだ。 「出航して、カガリ助けて、スカンディナビア国まで潜行して、その間ずーっとずーっと緊張状態が続いて、そんな暇なかったでしょ?」 「…それは、そうですけど…」 一方の腕が抱きこんでいた華奢な肩を離れ、ラクスの頬をやんわりと包み込む。愛しげに撫でる指は赤ん坊を撫でるように優しくて、けれどどことなく彼の放つ雰囲気が子供たちに向けるものとは一線を隔しているのは―――気のせいどころではなく明確である。 「キーラ」 ラクスがめっとキラの手をつねった。うっと痛みに多少顔を引き攣らすキラ。 「だめです、…手つきがいけない子ですよ」 「だってもう、我慢できないんだよ。無理だ、無理」 ラクスの悪態にもキラは平然と返して、多少抵抗された腹いせに今度は首筋に軽く噛み付くと可愛らしい悲鳴があがった。 それだけでもかなり期待値が高まってしまい、キラは溜息づきたくなるもなんだか楽しくてまた吸ってみると、赤い痣になるだろう鬱血がラクスの柔肌に滲む。 「ラクス、すぐに肌に残っちゃうよね…かわいい」 うっとりと呟けば、喜んでどんどん自身を追い詰めている気がしてきた。Mか僕は。どちらかといえばどちらでもないような、いやラクスは嗜虐心を疼かせるタイプだ。髪に指を差し入れてやりながら、キラはラクスの髪に軽く口付ければ花の香りが鼻腔を擽る。 ごくりと唾を飲んだ。 「今もだけど、もうさすがに自慰は虚しくて…やっぱ本物のラクスがいいよ」 「キラ!!」 顔を真っ赤にして本格的に振りほどこうとじたばたするラクスをキラはうりゃっと易々拘束してそれとなしに彼女の胸周辺で腕もろとも挟んで抱擁してしまう。とはいえ無理やりは気の進まぬところで、あくまでも彼女の意志を尊重して、いやその気にさせるように仕向けるのが腕の見せ所である。 「しーたーい」 「キラ…」 「だめ?」 「いえ、その…」 「……いやなの?」 意識下においた猫撫で声で――――絶対ブリッジやカガリやマリューには今では絶対に見せられない生粋の甘え気質全開で猫のように後ろから抱きこんだまま頬へ擦り寄ってみれば、やや堅いながらも妥協の溜息をつくラクスであったが、肉に埋められるような柔らかさが心地よくキラの腕に伝わる一方、彼女の早鐘の鼓動も無論伝わっていた。ほんとかわいいなあとキラはにっこり微笑む。 「…………でも、あの私、夜勤明けですので…」 「うん、貸すよシャワーなら…」 きゅ、とキラのラクスを束縛する力が強まればとくとくとラクスの背中に彼の激しい心音が響いて、ラクスは思わず破顔した。それでも尚反抗するみたいに呟いてみるのは、この些細な駆け引きを楽しみたいからであって拒絶の意図はない。 「…では、替えのお洋服は…?」 「だいじょうぶだよ。僕がとりにいってあげるから…」 腰を抱かれ、そそくさとした足取りでキラに宛がわれた個室へと恋人を連れ立ち、すっかりミネラルウォーター補充のことなど忘れて戻る彼の足取りは、羽のはえたように軽い。 対するラクスはすっかり了承しながらもこの間の抜けた移動時間に対し、いつも思うのだが、一体どうした顔をしたものかと目線を足元斜めへ落としたまま、ふいに当初の初々しく頬を染めていたりと可愛らしかった彼を思い出して、なんとなくラクスは彼くらいしか打ち明けない本音をぼやいてみる。 「キラがこんな方とは、私…思いもよりませんでしたわ」 「僕だって、結構前だけど、君があんなに乱れるなんて思いもよらなかったよ?」 「キラ!!!」 「はははっ」 おおらかに笑うキラにラクスは結局、完膚なきまでに腕の中で告白攻めと鬱憤とどれほど辛かったかの嘆きを受けて、啄ばむように与えられるキスの合間、 …どうしてこうキラは別方向へと転んでしまったのでしょう。と真剣に考え込んでしまったが思考はすぐに白濁したので、再び思い出したのは背中に巻きついたぬくもりを感じながら、喉の渇きを訴えた朝方頃を指した時計を認めてからのことだった。 13.手を伸ばす(空白の2年間キララク連載「夢」・<confession>後) 僕は一人きりで闇の中、歌にのせて泣きじゃくる女の子を見つけた。 影一つ落とさぬ真昼の気丈な少女の姿はそこにはなく、母にも父にも先立たれ悲嘆と孤独に暮れて寂しさに耐え切れず自らの死への願望すら漏らした、平凡な少女であった。 プラントで名声を極める歌姫『ラクス・クライン』でもなく、クライン派代表として毅然と部下を率いる『ラクス・クライン』でもない、ただの『ラクス』である。 彼女は戦中同志として最も心を交えた同志であったキラにすら、『ラクス』を容易に露見させようとはしなかった。おそらく低いようで自我を保つレベルにおいてのみ誰よりも最高値にあるプライドとクラインを名乗る上での意地と生粋の天然さが巧みに繊維を紡ぎ、遮蔽していたのだろう。 何よりも『ラクス・クライン』であろうとすることは彼女のアイデンティティに関わる根深い問題であり、自我の大部分の形成を担った部品でもある。他人を受け入れ、何も求めず、何も言わず――――だからこそ彼女は、誰からも『何かを』与えられようとはしなかった。 与えることこそが、幼少から少女に必要とされていたし、父の傍で壇上に立つ時も戦中傷ついたキラをただ見守っていた時も、やはりそうであった。 しかしキラはラクスの核心に気付き、自ら曖昧な関係を打破させ『愛情』を与えようとした、がラクスは数日間自身の殻が破られたことによる衝撃と、与えられることへの戸惑い。そして与えられたことのない少女が与えられれば決定的に踏み出すだろう『未知への未来』に不安感を拭えずにいたのだが…ラクスはようやくキラの、多分、キラとしては初めて差し出した手のひらを恐る恐る握り締めて、ほしいものを『求めた』のだった。頬ではなく恋人にするキスと共に、二人はようやく有耶無耶にしていた不自然な関係から脱した。 そう、それはまだほんの数日前のことであって。 「あれ…ラクスは?」 キラは夕食後、目当ての少女の姿が見当たらないことに気が付いて、多量の食器を大型食器洗浄機に入れて一段落ついていたカリダに訊ねた。 息子に自分が食べた分の食器を早く持ってきなさいと暗に目線で促しながら、カリダは言う。 「多分、別の孤児院スタッフの方と外で話してるんだと思うわよ。さっき来てたから…」 「ふうん。…こんな夕方に?」 彼女がいなかったことに少し不貞腐れたキラは首を竦めてみせる。 モルゲンレーテから依頼された修整プログラムを届けに外出していた為一人遅飯となった自身の食器をカリダの元、台所へと運べば、すぐさまさすがの手際でカリダにより洗浄機に投入されていく食器。 ヤマト家ではかつて手洗いであったのだが、さすがに幼子を何人も抱えるこの大所帯では食器を使う頻度も多く不便なために数週間前から洗浄機が導入されたばかりだ。 随分と手間が軽減され、カリダやスタッフを密かに喜ばせているからか、どことなく母が楽しげに見える。 乾燥機も兼ねている為、一定時間すれば洗浄し、乾燥された大量の食器を食器棚へと詰めていく作業のみである。 「まあ、新しい子が入るのかもしれないわ。マルキオ様は、何箇所か孤児院を運営なさっているし、少し年齢が上がった子が来るのかしら」 「うちは女の子が大目だから、男の子かな…?」 「さあ。私は半々くらいがいいから、男の子がいいわね」 こういった会話はキラやラクスが手伝う孤児院への入居増減の激しさを示している、と言う訳ではない。 大抵初めて入居した孤児院での生活がある一定の年齢に達するまで継続されるし、環境変動が情操教育に悪影響を及ぼすことを懸念し孤児の移住は慎重に行われているが、この孤児院では―――――満12歳あたりまでが入居し、その後若干上の年齢層の子供が住まう孤児院へと転入するのが決まりである。最終的に孤児院を出る年齢は17歳である。プラントでは15歳で成人とされるのだが、オーブでは 古来からの伝統というかカレッジなどの学制がどうやら絡んでいるようで、とりあえずは卒業するまで、という取り決めが政府によりなされている。(戦後間もないこともあり、補助・援助金・奨学金などもオーブでは支給される)孤児院を出た後、社会人として働きにでた人々の多くが孤児院OBとなり、休日などにはキラ等が住まうマルキオ所有の島にも度々足を運び、手伝いにやってくるものも多い。 キラも孤児院を手伝う身であるから、数日他所の手伝いに駆り出された時もあったし、自分とあまり変わらない年端のスタッフが働いている別の現場へ所用で赴いたこともあった。 スタッフの中にもどこかで見覚えのある顔だ…と当人に窺ってみれば、クライン派の元ザフト兵であったというケースもある。元より穏健なシーゲルとは親睦があることもあり、マルキオ導師とクライン派の結びつきは深く、戦後リタイアや休暇として望む人手は可能な限り積極的に受け入れているのだと後に、やたらしっかりした肉体の男性を不思議そうに見つめるキラを少し雰囲気で察したのか少し頬を綻ばせた導師から説明をうけた。 そういった理由から中々男性比率も高く、今まで気も回らなかったが…いや、だからなんだ。 妙な不安感から一層キラはそわそわと周囲を見回し、彼女の気配がないかと探るも、垂らした感覚の釣り糸に該当するものは感じられない。いつしか、己でも把握できぬ直感が唐突に直結させる不可思議な次元でキラは他人を自覚する嗅覚が異様に研ぎ澄まされていた。殊にラクスとは―――――波長が合うのか互いの思考が一致することも一度や二度ではなくなってきている。 絆とはまた別次元の繋がりが生まれたからであろうか、他人にそわそわするというよりは、自身にむず痒いようなそれこそ言葉に乗せて彼女と自分以外の他人に発信すれば、「のろけか」と笑われてしまいそうな体たらくだが…キラは朝に顔をあわせて以来、彼女と話すらしていないのだ。だからといって、どうということもないはずなのだがなぜか落ち着かない。 今まではずっと、彼女がどこか不鮮明であったから、そうも気にならなかったのだろうか…? キラは過去を過去と次第に納得できるようになった上でラクスと思いが結ばれてから、今までがどれほど彼女と不自然な関係を構築していたかが身に染みて実感していた。それは、キラに暗明を同時に齎し、戦慄をもさせた。 キラが気紛らわせがてらなるべくさりげなく、といった風にカリダに話し掛けた。 「ラクス、家にはいないから、外にいるのかな?」 「そうじゃないかしら。あ…そういえばキラ」 「なに?」 「あんた、しっかり捕まえときなさいよ」 「なにいってんだよ母さん」 「折角、やーっとあんたたちが上手くいったかしらと思ってた矢先に、相手が別の人にとられちゃう、なんてことにならないようにね」 意地悪く母が笑う。 「べ、べつに……どうだっていいだろ。……なんなの?別の人って」 なぜラクスとの関係が明確に動いたことを知っているのか、息子としては今の今まで育てられた母に恋を知られたことにより生じたなんとも言えぬ気恥ずかしさを押し隠しながら、母の意味深な言葉に、キラは険を顰める。 「今日来てた、ていうか、前々からずっと来てる人よ」 その言葉に、キラは瞠目した。 「それ、……誰…?」 初めて――――知った。 いつもキラの傍に寄り添い、気が付けばいつも共にいてくれた彼女が、自分ではない他の男の傍に、いる? キラは瞬時に脳内で描き出されたラクスの背後に宿る未見の影に平静に見かけを保持しながらも内心かつてないほどに動揺している自分を発見し、緊張に伴い小刻みな呼吸と変化する。 カリダはそんな息子の状態は露知らず、あくまでもからかうように、殊更拳を握りこんで黙り込んでしまったキラに追い討ちをかける。 「あら。ここから見えるわ。玄関に出て御覧なさい、もっとよく見えるわよ?」 「……っ、そんな、の、別に…用があるからで」 「いいから、早く行きなさい」 言い訳がましく募ろうとするキラに、カリダはぴしゃりと跳ねつける。 「あんたは周りをみることも覚えないとね。みんな、変わって行くものなのよ。どうしたって」 そんな不安を助長させるようなことを言わないでくれ、と思いながらキラはしばし内心地団駄を踏んだ物の、結局母の思惑に動かされるようで些か気に食わなかったが、結局焦燥感に後押され玄関へと足早に歩を進めた。 →title.18 14. ──越しに触れる(ガラス越し、格子越しなど) ラクスが唐突に「宇宙へ行く」と言い出し、よりにもより偽者ラクス・クラインのシャトルをラクス本人が強奪する荒業を繰り出し撃墜の危険に晒されながらもキラの搭乗するフリーダムの迎撃により無事宇宙へと昇ってから、数週間ほどが経過していた。キラはラクス達が身を隠すファクトリーから定期的に送信されてくる情報を確かめることで、逃亡の身である彼女の安否を確認していた。マリューが自室に設置されているキラの端末へと寄越したデータを受信し、展開されるファクトリーで取り扱われている最新の技術データに軽く目を通しながらも、内心で安堵する。 ――――今日は、まだ大丈夫のようだ。 愛想のないファクトリーからのプログラム点検依頼がラクスからのここ数週間の便りと成り果てている現状は、さすがにどうなのかと恋人であるキラは首を捻らずにはいられない。ラクスといえば、よほど多忙らしく、通信でさえもほとんど寄越しはしない。 いや、むやみやたらと音声を交わすことはAAの今の現状を思案すれば極力控えるべきではあるしならば通信文で……と普通は思考が転じるのであろうが、それすら数週間中で2回やり取りをしたきりであった。 「これは、恋人としては、どういう状況なんだろうね…」 そしてようやく、本日ようやく三通目がデーターに紛れてキラの元へと到着していた。決して嬉しくないわけではないはずであるがキラがメールを開く目つきは期待は薄く、どことなく死んだ魚のような瞳である。それには彼の気分を多大に損ねさせるだけの過去2通に忌まわしき悪夢に纏わる理由があった。 一通目は、わくわくしてキラはメールを展開させた。 だが彼の輝いていた瞳はしばし静止し、画面に目をとめて驚愕する。 内容は <私の部屋を施錠し忘れたので、お手数ですが鍵を閉めておいてください> というきわめて端的な内容であった。 「…ねえラクス、これ、僕宛てに送る内容なのかな?」 キラが渋面で呟いた言葉後、独り言で愚痴が延々と続いていたという。 二通目は、さすがに用件だけではないだろうとキラは不安半分期待半分という微量ストレスを感じる心理状態ながらも純白の軍服に包まれた腕を恐る恐る伸ばし、メールを展開させた。 が、それは彼の一点の曇りのない不安を裏切らぬ非情な内容であり、これまた簡潔な一文が白紙の背景に綴られているのみであった。 <機体が完成間近です。キラにそっくりですよ> 「…………てか、意味分かんないし」 (僕にそっくりって、何だよ?) おそらく彼女が指している機体とは、フリーダムの改良型、ストライクフリーダムのことであろう。キラ自身もフリーダムに改良の余地があることは知っていたし、伝説にまで謳われた最強の機体であることはファクトリーも十二分に承知していたが、だがそれでも月日にのってザフト・地球軍の軍事工場で停戦後も防衛という謳い文句で技術は更に発展し、朱に染める刃は歴史の中のほんの一幕である平和の最中にあったとて、日々技術者により鋭敏に研ぎ澄まされていく。 フリーダムは当時ザフトの最新技術の髄を結集して製造されたではあるが、それでも「二年前」の機体であることには変わりがなく、改良にも限界がある。 フリーダム、改良型製造にはキラ自身、全くの躊躇がなかったわけではない。 兵器はいくら体面を取り繕おうとも人殺しの道具だ―――キラは先の大戦で身にしみてそれを理解しており、戦場で守るためとはいえ力を振るう以上は人を殺めているのだという自覚もある。 しかし、だからといってキラは震えているつもりもなければ、ただ大切な人たちを失っていく様を指をくわえて傍観する気もない。 決意はフリーダムに再び搭乗すると決めたその瞬間から、今だ揺らぐことはない。 守る、ラクスを。カガリをAAを、オーブにいる母さんや子供たちが平和に暮らせる未来を。そしてストライクフリーダムは何も戦力不足が叫ばれるAA(ファクトリー)の攻撃力増強の一種を担うだけではなく、格段にパイロットの生存率を向上させる意味合いをも持つ。ラクスはこの点をも考慮し、キラにファクトリーから回されてきた話を 持ち出したのだろうとは察していた。 一点は、キラがMSにおいて抜きん出た操縦技術を有するパイロットであるということだ。現実的に戦場での彼の損失はすなわち、AA部隊の危機を招く。 そしてもう一点は――――純粋にキラ自身を案ずるものだ。 ラクスの顔にはストライクフリーダムの打ち合わせで顔をあわせる通信でもメールでも実際対話する時にでも、常に悲哀がつきまわっている。 一度だけ、彼女が端末越しにキラに何かを言いかけて、「いいえ……なんでもありません」と濁したことも記憶に新しい。 だが戦場に立つのはラクスとて同じ。キラはいつもなるべく穏やかに彼女へと一言伝えるのだ。 「僕は、いつもフリーダムにのってても一人じゃないよ」 君の温かな存在が、常に傍にいると。 (ラクスは、人のことばっかり考えすぎなんだよな) キラは先ほどまでの仏頂面から、ふと笑みを漏らす。 どちらかといえば彼女のほうがよほど命知らずで、こちらが危ないからやめてくれと引き止めようとしても案じようとも必要とあらばお構いなしに腕の中から飛び立ってしまう。ラクスはあまり物事に執着がない女性だ。 ふらふらと逃げ出してしまえば、帰ってくるのだがこないのだか分からない。ある場面では豪胆でありながら冷静、とも思えば弟気質が強いキラが呆れてしまうほど無邪気で子供。捕らえどころのない、当人が知れば首を傾げて否定するだろうが「変わった人」だ。 自身のこととなれば、なおさら軽んじる傾向が強い。それはキラにも適用される非難であるのだが、いまいち自覚が至らないらしくぶつぶつと文句を内心で零している。 「まったく、人の気もしらないで……今回のメールもそっけないんだろうなー」 僕と彼女の愛情は等量じゃないんじゃないかと疑心暗鬼に陥りつつも、問題の三通目のメールを頬杖づきながらマウスを握り、カーソルでメールのアイコンをクリックし冷めた半眼で展開して、キラは思わず瞠目しフリーズした。 <キラが傍にいると思うのに、どこにもいなくて困ります> 「………困りますって、ラクス」 脱力してのろのろと片腕がデスクから滑り落ち、あごを端末にのせ額に当てた手の下の体温が上昇している。 ものすごく嬉しい。赤らんだ顔で、さみしいとかは絶対言い出さない久方ぶりの、ラクスの強情さにも触れてキラはにやける口元をそのままに栗色の長い前髪をかきあげる。 「素直じゃないなー、相っ変わらず」 文面だけ受け取れば何を傲慢なともとられかねないのだが、それが彼女なのだ。 困っているらしい。僕がいなくて。存在は感覚に接触しているのに、見渡してもそこには相手はいない。 それはキラが幾度となく経験していることで、やはり僕と彼女とは繋がっているのだと実感するとうれしくてたまらない。 「おんなじだね。僕たち」 なんだかんだで振り回されて、結局は愛想のない一文にも一喜一憂してしまう自分はあんまり嬉しくもないがたまに可愛いなとも思えてくる。 心底幸福そうな表情で返信文を打つキラを、丁度彼に所用があったカガリが訪問早々に一言、「………気持ち悪いぞ。お前」と呟いた。 15. 撃ち抜く(空白の2年間キララク連載「夢」・<confession>後) キラは扉を控えめに叩く音に、ベッドに無造作に横たわり沈んでいた意識の焦点を合わせた。 「キラ……ラクスです」 「……………なに?」 それは些か険の篭った声であったのだろう。 ラクスは扉外で首を捻りながら、どうやらキラはご機嫌斜めのようだと経験から察した。夕飯の時はいつも通りの彼であったのに、ラクスが知らぬ数時間の間に一体何があったのだろうか。 「お風呂は入りましたか?私はもう頂きましたので…」 「…ん、まだ…」 短く、素っ気無く返された返答に、ラクスはますます困惑しながらもまた過去の傷が疼いているのだろうかと思い、 「…キラ、お疲れでも、早めにお入りになってくださいね」 一声、ラクスは声をかけて自室へ戻ろうとするもキラの必死さの滲む激昂の声に呼び止められた。 「――――――ラクス!!!」 ぴたりと足を止め、思考を巡らせながら陰鬱であるときに決まった彼の様子、との違いに行く先を引きかえして再び扉前で控えめに佇み、小さく彼の名前を呼んでみる。 「キラ…?」 「…ごめん、話したいことあるから。入ってきて」 消え入るような儚い語呂にラクスはやや間をもって、言葉を返さず沈黙で肯定するとそっとドアノブを下げてキラの部屋を押し開く。太陽は沈み月が顔を出したすっかり夜更けだというのに部屋は灯りも付けられておらず、カーテンの薄布すら全開にされた窓際からは月光を隔てるものなく、燦々と部屋を照らし出していた。 その中、窓際から隅に進み壁に横付けされたベッドの上で、キラは座っている。 「どう、されましたの?」 部屋に足を踏み入れてから、幼少の頃から刷り込まれた過敏な心が、殊更にキラの闇の深みを捉えてはいたがラクスは僅かに違和感を覚えていた。 戦後少したってから、キラは急速に現実と戦場との境に囚われ罪の意識と未来への希薄さに生を窒息させていくようにたゆたっていたが、その頃に感じた感覚とも違う。一体、何にキラは…? 一方、キラは彼女を部屋に入れてどうするのだという疑念に苛まれていた。 この苛立ちを、どう伝える?大体、何に苛立っているのかすらも分からないのだ。 だというのにキラは呼び止めずには居れなかった。それはある種の甘えであり弱さであったが、この頃のキラは自ら放出する迷いの靄を彷徨い、心の把握が至らなかった。右往左往視線を泳がせながらも、とりあえず言葉を紡いでみる。 「………あの、さ」 「はい」 「夕方、ラクスいなかったじゃない?どこ、にいたの?」 キラは全く自然に、嘘をついた。母に彼女の居場所を尋ねた上に夕方ラクスの姿も発見していたが罪悪感はなかった。 「ああ。他の孤児院スタッフの方と、お話していたのですわ」 「ふぅん…」 興味もなさそうに相槌を打つと、ラクスは続けて散歩にでもいく風に気軽に言った。 「そうですわ。私、その方のお家に遊びに行くことになりました」 キラは彼女から放たれた不意討ちの砲撃を受けた瞬間、一秒ほどの合間にして、驚愕し、動揺し、激情に駆られ、混乱した。 「…………………はぁ!?」 ラクスはマイペースさを保持し、明るい話題に生粋の性格が戻ってきたのかほわほわと蝶でも舞わせそうに穏やかな笑顔で嬉しそうに胸の前で手を合わせた。 「楽しみですわ!私、こちらにきてからお友達とも疎遠になってしまって…連絡も、島にいる以上あまり取れませんし。スタッフの関係者で女の方はたくさんいるのですけれど、男の方とはいえばアスランくらいで。年上の方はいらっしゃるのですが、同世代の方はなかなかお友達がいなくて…………寂しかったんですの」 時間を持て余せば退屈ですわと言い出し突拍子のない行動に繰り出す行動派の彼女である。子供達を連れて島から離れて、少し大きめの海岸に遊びに出れば、その警戒心のなさとプラント議長という重役の父の傍らで自然、身に付いた処世術、気性の穏やかさと、思わず心配して構いたくなるほどの無垢・無邪気さで会話したご近所さんとすぐに仲良くなってしまう。 ナチュラルだとかコーディネーターだとか観念を持たぬ彼女には、オーブで住まう、優劣差別に辟易したナチュラルの友人も多かった。 キラも母や食事の場でラクスの話の中登場する、様々な友人達のことは耳にして知っている。とはいえ、安易に孤児院に連れ込んだりはしないし時間はきちんと守り、遊びと子供たちの世話を混同することはない。 キラはキラで、カレッジを復学して駆け足で卒業した後、技術者としてオーブのオノゴロから仕事を回してもらったり、たまに実際現場で解析・開発作業などに加わることも多くなり友人と呼べる人物も増え始めている。 なるべく穏やかに暮らしていたいというキラの願いをカリダは尊重し、「もう少しゆっくりしてもいいのよ?」とも提案していたが、キラは気紛らわせの意味もこめて戦後一定期間経過後、自ら主体的に動いていた。 ラクスが友人を多く作るのもいい。しかし、キラとラクスは以前ならばまだしも現在は 「男女」として心を通わせあったばかりの間柄である。二人の間には世間一般の 恋人同士の尺度とは些か違う。―――――告白したから付き合うとか、気持ちが離れたから別れるとかもはやそういう問題ではないのだ。 気持ちが別たれるはずも惚気でも何でもなく考えられなかったし、また離れられる訳がなかった。相手が相手を求め、相手がいないなど想像もつかぬほど。 同志の頃の絆とはまた違う、二人でも把握できぬ深度での絆が育まれつつある、後にその結びつきはより強固なものとされていくのだが―――――この時点では、二人はまだ海岸の水際で不器用さを丸出しのまま、途方に暮れていた。 キラは控えめに、彼女の発言と彼らの関係を考慮しての矛盾を指摘した。 「………ラクス、男の家にそんな簡単に行っちゃうのは、どうかと思うよ?」 しかし彼女の応答は即答である。 「なぜですか?」 心底不可解、という尻上がり気味の語呂。 「…分かるでしょ?君なら」 「…?…良い方ですわよ」 ラクスは眉根を寄せて、友人に文句をつけられたようで心外気にすら見え、キラは多少皮肉っぽく言う。 「はっ。ああいう男の顔みて、まさか君が分からないわけないだろ?」 「なにがですか?………普通、だと思いますが」 「はあ?普通って………」 …――――まさか。 キラに一閃の予感が過ぎる。 彼女は実質どれほどのものであったから今更知る由もないが、アスランからも聞いていたがラクスはプラントで知らぬものはいない有名な歌姫であり、同時に旧プラント議長の娘である。 ラクスに向けられる視線は政治も絡むとはいえ、基本的には好意的なものばかりであり、彼の想像の域は脱しないがおそらく彼女にとって男女も問わず好意を向けることが「標準的」であったのだ。 しかし害を向ける視線も感じ取れねば裏での駆け引きも多い政治家は務まるはずもなく、その悪意にも対処できるのが彼女であるが、その両極端な感情ばかりを受け取り、人の心の挙動には細やかに対応できるものの感情面、というか色恋沙汰では、標準的なレベルからは随分と欠落しているのではないか。 「ラクスって、アスランとは何歳頃から婚姻統制で引っかかってたの?」 「……えーと……、13歳からですわ」 「……13歳」 そして、おそらくラクスはクライン家という家柄故に環境もおおよそ制限され、父親の仕事上大人との付き合いが多くなり、同世代との、特に男との交流もままならなかったとしてもおかしくはない。その上、ラクスは一人娘である。 度々父の話を漏らす彼女の話からいっても、母がいない分まで愛されていたことは疑いようもない。 ラクスは、もしかしたらば何も知らないまま婚姻し、その意味もよく分からぬまま――――情勢悪化により必要に迫られキラとアスランを試した過去を除外すれば、 純粋すぎる、悪くいえば「幼稚な好意」だけで年数を重ね、キラと共にあるのではなのか。 キラの推測は脳内で反映されラクスの困惑した表情横に、 『何をキラは不機嫌そうなのですか?』という吹きだしがそのままつけられていそうな気がして、しかも全く違和感もなくおそらくこれだけ言い募って無頓着なのだからおおよそ事実であろう。 キラは軽く頭痛がした。 →title.21 16. 共犯、共謀 キラが翌朝目覚めると傍らにはいたはずであるラクスの姿はなかった。 「……らくす?」 横になったまま寝呆け眼でごしごしと目を擦りながら、虚しく隣へと投げ出された片腕が冷えに曝されてやけに心細く、キラは手持ち無沙汰に手のひらを握りこんてみる。記憶を辿ってみても間違いなく一人寝ではなかったし、体に残る軽度の倦怠感と睡眠不足による眠気が何よりあったし、その上キラは「うわー…母さんこなくてよかった」と覚醒すれば心底安堵するであろう出立ちであった。 シーツは何事もなかったにしては乱れすぎているし、この有様が発見された暁にはこれからどんな面をして話せばよいのやらと恐慌状態に陥りかねない。いや、陥るであろう。 「…あ、やばい」 キラは昨夜投げ捨てたはずの物体を探してベッド下を恐る恐る覗くも、そこにはなく。キラは一息ついて、どこにいったんだと次にのろのろと辺りを見回すと、丁度ベッド脇に昨晩無造作に脱ぎ捨てたきちんと折り畳まれているキラの黒い衣服に眼が留まる。さすが複数の子供を一手に相手にしているラクス、面倒見も良い上に気もよく利く。 こういう点ではとてもキラでは考え及ばず、感心していると、 「……ん?」 ベッドからそう離れてもいない(八畳ほどの狭い部屋なので)床中央部に存在をあれほど誇示して転がっている白いものを眼にしてにびしりと固まる。 「……………」 目当てのものを思わぬ位置での発見であった。 表面上は極めて平静ながらも、迅速に丸められたティッシュを迅速に速やかに回収してしゃきしゃきとダストボックスへ放り込む。極度の緊張により止めていた息を吐き出し、その場に腰を砕いてしまう。 「あ、あぶなっ!!マジであぶなっ!!!」 ぜいぜいと荒い吐息で冷や汗を垂れ流した。 ななななんでラクスは一番危険度の高い爆弾を見落としてるんだしかも床といっても相当目立つ位置に。その上に現在のキラの惨状が加味されれば、結論に至にはもはや時すら要さないであろう。 「…てか、寒っ」 キラは派手にくしゃみをして、鼻を啜る。 現実問題、全裸にシーツを腰に巻いた程度で冷え込み始めた朝を過ごすのは酷な話ではあった。 「て。ラクス…どこだ?」 はたと始点に帰り、きょろきょろと双眸を彷徨わせるも、彼女の姿は何処にもない。 いつもならば自室へ朝方密かに戻るにしても、必ず頬にキスを一つ落としていって、キラは眠気に目を塞ぎながらもラクスからのメッセージを受け取るというのに今日は何も感応しなかった。 どうしてキスしていかなかったのだろうか。忘れた?そんな馬鹿な、ラクスが習慣を欠かしたことは一度たりとも。 …多少キラは機嫌を損ねたものの、不貞腐れていても仕方がないと思い直し、とりあえず服を着ようと支度を始めた。 「ラクス大丈夫かなあ……体。無茶しちゃったし」 努めて、気を取り直すとぶつぶつ呟きながら、袖を通して着衣の一通りを終える。 たまに襲う、原因不明の痒さをもよおし、適当に腕を掻きながらそう長くもない廊下を歩いて皆が一同に会するリビングへと向かう。 裸足がフローリングを滑るたびにひやりとした感触に快さを覚えた。リビングに足を踏み入れると、パンの焼ける香ばしい匂いが食欲をそそった。 「今日は早いのね、珍しい。おはよう」 「……そうでもないと思うけど。おはよう」 カリダの先制パンチに、キラはぐらりと揺らぐ。 「あなたねぇ、もう八時回ってるのよ?学生時代をちょっとは思い出しなさい!」 渋面で、まあ確かに起床は遅めだが、深夜までモルゲンレーテからの仕事を受けていたりファクトリーよりプログラム設計を要請されたりと、なかなかに、最近は特に多忙ではあるのだ。と言い訳を羅列するが、やはり言い訳は言い訳でしかないのでささやかな反論をするに留めることにする。 「…いいじゃんか、卒業してんだし、とりあえず働いてもいるし」 しかし、尚もカリダは追尾の手を緩めようとはしない。ここぞとばかりに急所を付き捲る母にキラは辟易しながらあーあーと半ば聞き流す体制に入った。 「そりゃそうだけどね!ラクスさんなんて他にもたくさん仕事を抱えているらしいのに、子供たちの面倒までみてくれて、家事も手伝ってくれて!」 「あー…ラクスはなんでもやっちゃうから例外だよ」 「例外って……あんたね」 「母さん、あんまりラクスに無茶なことさせないでね。なんか忙しそうだから、マルキオさんと」 容量オーバーになるまで彼女は活動しかねない。何でもできることはまず自ら動き始め、自らに頓着しないから、戦場でも実生活でも良くも悪くも。 「宇宙にも上がるみたいだし、CMの仕事あるし。あ、大丈夫って言い出したら気をつけてあげて。それから―――」 ぺらぺらと饒舌にラクスについて話す息子の姿にも慣れてきたとはいえ、やはりたじろがずにはいられないカリダ。 きっと母親の前で自分の恋人のことをこんなに恥ずかし気もなしに語る子だとは―――いや実際に二年前、戦場から生還した彼は疲れ果てていたとはいえ、確かにそうではあったのだ――――だというのに、この変わり様は…… 「なんなのよキラ」 「は?」 用意されていた朝食のサンドウィッチ(ラクスが今朝大量に作り置きしていったものだ)を頬張るキラは訳が分からず問い返すも、「いいのよ気にしないで」と返答され、そうかと再び腹を満たそうとしたが、向かいのテーブルに座ってじいと母に凝視されていてはどうも居心地が悪い。 (一体なんだっていうんだよ…) 息子の心情など露知らず、一方のカリダは思索に没頭していた。 やはり、ラクスと心を通わせてからであろうか。大戦直後の息子は疲弊し、どこか俗世を拒絶しているような感があったが序々にカリダがよく知るキラへと回復の兆しをみせていた。 ラクスは、元より孤児院へと居た訳ではなく、数か月程経ってからマルキオ道師の紹介ということで身を寄せていたのだった。 彼女は父の死により孤児となり、自宅等も政治的要因による襲撃にあい、プラントにおける財産が凍結解除になるまでは孤児院に住まうことになるとは導師はカリダに説明していたが…。遺産事情については詳細は導師も濁したが、迄相当の時間を有するという話で当初、ラクスは孤児院に転がり込んできたのだ。 カリダは、『ラクス・クライン』という名は避難先であったオーブ本土のニュースや新聞で目にしていたが、まさか時の英雄とこれほど親密な間柄が自分と成立しようとは思いもしなかった。 まず息子と顔見知りであったことにも驚き、その上友人という間柄でもない雰囲気を纏っていた二人に驚き、その進展しのなさにも驚いていた。 息子と彼女の男女としての過程は、紆余曲折していたように見えた。 時には珍しく不機嫌さを如実にし、目を腫らして彼女が現れた時は何事があったと心配したものだが、続く息子がやけに晴れやかに嬉々としていたりもしたか。 しかしそれでも決着はつかなかったようで、いつも通りの息子とラクス、停滞状態が慢性化しかけた際にはさすがに口を挟もうかと焦れたものだが、当人達で数日後解決していた。 思い返せば、そんなこともあっただろうか、もう二人は馴染みすぎていて、男女でない彼らなど遠い昔のことのようであるが。 「キラなんかでいいのかしらねーラクスさん…」 今更ながら嘆息すると、キラまでをも賛同しはじめる。 「ほんとだよね……いいのかなぁ」 「あんたねえ……」 「だって、僕だって不思議なんだ。出会うはずも、なかったんだよ本当はラクスにも」 パンを食みながら何事もないように大戦を過去として間接的に振り返った息子に目を瞠る。やがて手元のコーヒーカップ淵を撫でながら「そうね」とだけ、呟いた。 「ラクスさんは、何事もなければアスランくんと結婚。しかもプラント定住、議長の娘、プラントの歌姫。だものね…」 「テレビの中の人だったろうね、会えても」 もしくは何十年か後に再会して、旧友の妻としてアスランの子の母として、挨拶を交わしていたのかもしれない。 昨夜のように抱き合うこともなく、互いの思惟や感触を感応をさせることもなく、母のような匂いも安らぎも、そして子供のようにあどけなく微笑んで、胸板に頬を寄せてきたり、肩に甘えて寄り添う彼女と出会うことなくずっと、 ただ個人として一人きり―――……?か? キラは目を伏せ、鼻で笑い飛ばした。その想像のしようのなさに対して。 「……ありえないなぁ…人生変わっちゃうよきっと」 「かもしれないわね」 あんたはどこか大人びちゃったというか、些細なラクスへの所作で分かる。 どれほどラクスを労り、他の誰にも向けない蕩けるような優しい瞳を、息子が無意識に彼女に向けていることか。 「出会わないはずなんか、なかったんだよ。それじゃ不完全なんだ」 「なぁに、惚気?」 とはいえ先程から惚気続けているのだが、どうも当人達にとり自然な姿であるらしくこれしきではカリダも動じない。 「ラクスは、もう一人の自分っていうか……僕だけじゃ。もう出会っちゃったら、無理だよ」 「ラクスさんってのんびりしてるけどしっかりしてるのに、なのにどこか抜けてるわよね。あんたが、たまにお兄さんにみえるわ」 「だって可愛いじゃん、ラクス」 「そうね」 カリダはあっさりと首肯した。絶世の美女との形容も決して世辞でもなく不適当ではないだろう。 性格も穏やかで懐っこく、いつも見るもの幸福にする笑顔を浮かべている。その優しげな空気にひかれるように、子供たちは彼女を母のように姉のように思慕し、周囲に自然と輪が広まっていき、微笑みまで伝染していく様はまるで、贔屓目なしに聖母の如く、である。 「……僕がいってるのは見た目たけじゃないよ?」 「分かってるわよ。ぼんやりしてるとことかも、でしょ?」 「……あーそれも違うけど……まあいいや」 キラにたまにだがようやく無条件に甘えてくれる、限りなくありのままのラクスを指して、今可愛いなぁと言っているのだが説明しようにも超感覚的な域が多すぎて、理解は得られないだろうと確信じみたものがあったので、適当に濁す。 「ま、なんであれラクスさんはすっかり中心だわ。私もあんなほんわかした娘ができて嬉しいわぁ…」 よく転んでたりして、危なっかしいけどと苦笑するカリダに、似た面をして頷くキラ。 「思いついたら即行動だしね」 戦時でも同様であったがやはり決断すれば着手、実行は素早い。ぼんやりとしている彼女を思い描ければ、眼を瞠るも道理であろう。 「あれには驚いたわ、ちょっとでてきますって言って、宇宙にいってたって知った時は」 「旧クライン派代表だからね……ジャンク屋との交渉事とか、色々やんなきゃいけないだろうし」 「ほんとに、不思議に魅力がある子だわ…だから撮影のオファーも来たんでしょうけど」 ラクスは容姿に関して埋もれていては勿体ないほどの逸材であろうし、表舞台にたてばひきて数多に相違なかろう。ただようやく数年ぶりに彼女がその気になり、今回の仕事に至った訳であるが、いいことなのかもしれないとカリダは思う。 「…ラクスさんは、そろそろ飛び立つ時期だったのかもしれないわ」 彼女が真に翼を広げるには、このオーブは本来窮屈ではなかろうか。ずっとどこか、カリダは違和感を感じていた。ここで終わる器量の人間なのであろうか、と。 「いつか彼女は、目覚めるべき人よ。キラ」 「……分かってる」 母の暗に言わんとしていることは理解できる。はばたく翼をもいでは、拘束してはいけないと忠告しているのだ。 「でも、まだその時期じゃない」 意識化に常に存在する思考ではあったが、今思い悩んでも詮のないことだと半ば強引に打ち切る。まさか、自分が彼女と離れられる訳もないし、何者も彼女との間を隔てることなどできはしないのだ。 なによりも気配を手繰れば、ほら、ラクスを撫でる空気を肌に感じることができる。どうして、別離など考えられるだろう? こんなにも思い、思いあっている僕たちが、なぜ。問題として提起することすら馬鹿らしくなるほどだ。 「僕もラクスも魂をきっと束縛し合って、一つなんだ」 「……よく分からないわ、あんたとラクスさんが言ってることは同じだけれど」 キラは目を細めて、茶目っ気たっぷりに笑う。 「それがたぶん、僕達なんだよ」 →27 17.前世からの付き合い 18. サイン(空白の2年間キララク連載「夢」・<confession>後) キラは玄関へと、無意識下にだがどことなく早足気味に向かい、玄関扉ノブに瞬間手をかけたものの 扉にはめ込まれた硝子越しに目にとめた光景に、瞬間思考が停止する。 キラは紫の瞳をいっぱいに大きくして驚愕の表情を自身が浮かべていたことなど、自覚してはいないのだろう。 ラクスが玄関から続くささやかなテラスを架ける階段を下りたすぐ脇で、青年と楽しそうに会話を交わしていた。声だけは室内にいるキラには聞こえない。彼女の描く微笑はいつも通りの彼女の優しげな気風であり、見慣れた笑顔であるはずだが今は潮風に桜の髪が弄られ、表情は窺えない。白い頬が焼けた空の太陽に染められ、一見その人形じみた整いすぎている容貌に活気を供与しているようだ。 対して、向かって立つのはキラも全く知らない少年だった。おそらく年齢は、キラよりも一つ、二つしたほどであろう。短髪ではあるが些か長めの黒髪がその明確な好意は宿し潤んだ灰の瞳を垣間見せ、会話に応じた所作一つにしても細心に意識が張り巡らされていることが男の目からしても見て取れた。 少年は優しげで、精悍であった。背も彼女を覆えるほどに高く、端正と称して遜色ない顔立ちでもあろう。 ラクスは何が楽しいのかずっと肩を揺らし、口に添えた手を離さない。 「……ラクス……」 呟いてはみたものの、声が届くはずもなく、彼女が振り返るはずもなくただ空気に死に絶えていく。 もはやキラは少年のことなど眼中にはなかった。ドアノブから手が力なく離れ、だというのに硝子越しのキラなしに展開される仲の良さそうな男女の姿には愚鈍なほどに釘付けにされたまま。 楽しげなラクスが、ひたすら悲しく、辛かった。今まで感じたことのない感情が、どうしようもなくキラを急かすも、どうすればいいのかすらも分からずただ心は動揺に蹲るのみ。 ただ眼前に広がる母が言っていた通り、そう、その当たり前の光景が、想像では酷く現実味を失っていたのに、今はどうだ。この、なんと生々しいことか。 キラはやがて目を細めると、自室へと踵を返した。要領得ない思いが腹のうちでのた打ち回り、怒りにも似た何かが静かに窓から差し込む夕日から逃れた。 * ラクスは子供達を部屋に送り、風呂から上がった後タオルで水分を拭いながら廊下を歩いているとふと、夕食後からこのかた、キラを見かけていないことに気が付いた。 自室に戻る前に、ひょっこりとリビングへ顔を出してみる。 「あの、お風呂、いただきました」 「ええ。…て、あら?」 先に風呂へ入り、リビングでグラス片手にマルキオとくつろいでいたカリダは、あたりを見回してから首を捻る。 「キラ、は?あの子、そういえば見てないわね…お風呂入ったのかしら」 「あら?カリダさんも、ですか?」 「ええ。私があの子をけしかけ………」まずい、と思ったらしく、なんでもないわとカリダは笑みを繕う。 あれは急きすぎた荒治療だっただろうかと彼女は心配したが、いつかは時は停滞しているものではないと頭ではなく現実的に実感して感覚を引き戻してやることも必要だった、と思い直す。 立ち直り始めた息子が今だ自分に優しい夢の中で甘え続けることを良いことだとは思わない。 まだ若い、未来も、多くあるのだから。 目を伏せてグラスのワインを傾けるカリダに、ラクスは何事かがキラに起こったのだろうかとどことなく察っしがついたものの彼女に尋ねることはなぜか憚られた。肩を竦めたラクスに勘付いてか、カリダは失笑しながら重くなりかけた空気を振り払うかのように明るい声で言った。 「ラクスさん。悪いけど、キラ、ちょっと見てきてやってくれないかしら」 「……?……あ、はい。分かりました」 「ごめんなさいね、ラクスさん。あの子、図体ばっかり大きくなっても昔から甘ったれだから…」 ラクスは否定するでもなく了承がわりに微笑むと、「おやすみなさい」と言い残し、リビングを後にした。 カリダも軽くグラスを持った手で就寝の挨拶を贈りながら、はあと溜息つく。 「…難しいものだわ。子育てって……キラも17歳。いい加減、子供じゃないんだから…」 「キラくんも随分元気になりましたが、…まだ停滞していた彼の成長も始まったばかりですから。カリダさん」 マルキオ導師の言葉に、カリダは笑って言った。 「子育てはそろそろラクスさんにバトンタッチかしら…。他の子もいるのに、好かれるあの子は大変だわ」 「ラクス様は、面倒見がいい方ですから、悪いようにはなりませんよ」 導師の柔和な細面に、カリダは頷いてワインを口に含んで研究所で働く夫を思い浮かべるも、多忙でなかなか連絡がつかないこともついでに思い出し、酔いのせいにして少し毒づきたい衝動に駆られたりしていた。 「だから男の人は……」 マルキオが杖を持って立ち上がろうとしたところで、カリダのぼやきにぷっと吹きだす。 →title.15 19.抱き合う カチャン。 玄関が開錠された物音が孤児院に小さく、本当に小さく響いた。 夜半すぎということもあり、ノイズが賑やかな昼間と比較すれば誰もが音量高く感じるであろう。 しかし、自室で依頼されたプログラムを組んでいたキラは、音量高く感じたにしては 些か敏感すぎる聴覚で音速並みにそれを拾って、はっと顔を上げる。 長期戦も覚悟で――――無論、プログラムの為ではない――――眠気覚ましにコーヒーを啜りながら組んでいたプログラムをディスクに端末操作など手馴れたはずの彼にしては、覚束ない手際で保存すると、部屋を矢のように飛び出る。 想定していた外はもう夕暮れだ、というシチュエーションを飛び越えすぎて、もはや廊下の窓から差し込むのはコールタールの空に映えた冴え冴えとした月光のみであった。 キラは、何を今更と彼女と共に過ごした時を考えてしまい、キラは見た目として平静をつとめていたが、 まるで恋をした娘のように頬は高潮して、尾まで完全に押し隠せるものではなかった。 ラクスが、ラクスが戻ってきた。 高揚が、笑顔が、期待が、喜びが、一切全て、ラクスへと恋焦がれる。 温度を確かめ合ったのは、昨日、この時刻。離れていた時は、ほぼ一日、24時間にも満たないであろうに、なぜこれほど。 いや、今はどうでもいい。どうでもよかった。 ラクスラクスラクス。笑顔ばかりが浮かんで、光が浮き出るほど闇が濃いのだという意味を、今のキラは知る由もない。 「あー、らくすおっそーい…」 「あらあら。ごめんなさい、ごめんなさいね」 キラは玄関へとたどり着くと、帰りを待つといって聞かなかった子供たちが、眠そうな目を擦って出迎えにでていた。 なんだか久方ぶりに目にした気さえする桜色の髪をした女性は、白のコートに目立たぬよう変装として、ニットの帽子を右肩に流した緩い三つ編みに被り、抱きついてくる彼らにびっくりしている。 まさか起きているとは思いもよらなかったのであろう、歓喜すればよいのか子供の夜更かしをたしなめるのがよいのか、微笑みながらもどこか戸惑いがうかがえた。 子供の、打算も何もない純粋な好意にラクスは甘受しかねているようにも見受けられて、器用な中に持て余された不器用さが可愛い。 キラは少し微笑んで…大変微笑ましいのだが、心待ちにしていたラクスが子供たちに独占されたこの惨状を、どう打破しようかと中々手酷いことを考えていた。キラは確実に性格がどこか、歪みつつあったが当人にしてみれば、独占欲を満たすのに形振り構ってられるか、である。 一向にラクスはこちらの存在、つまりは玄関先から少しばかり離れた廊下にぽつんと佇むむっつり青年には気がつかない。 「……………」 兎にも角にも、面白くなかった。どす黒い不機嫌オーラが、乙女モードから一転、噴出している。 (………そうだ) ふと、意地悪を思いついたキラは万人を蕩かす笑顔でにっこりして、 「……ラクス」 意図して、心中で呼び掛けながら控えめに名を呼んだ。 彼女の反応はすぐに表面化して、ひっそりほくそ笑む。 「……………キラ?」 すぐに顔をあげて、きょろきょろとキラの姿を探すラクス。 意識の中心から外されたと悟った子供たちは、余計にラクスの腰周りに、巾着の如くまとわりついたが彼女は宥めも忘れて完全にロストさせている。 あえて声をあげるなどという良心は、ささやかな報復の前に吹き飛んでいた。 ちょっとは手間かけてくれたほうが愛情は味わい深いのだきっと、デミグラスソースや手間の込んだ料理が旨くなるのと同じで。 やがて、彷徨っていた蒼はキラへとたどり着いて、花の蕾が綻ぶ。 「キラ」 声は、少しだけ子供たちとは違う類の柔らかさを秘める。 やはり、ラクスは気付いた。彼女以外には誰にも聞き取れぬだろう意志の誘惑に、こんな手のかからない、 けれど万人には通用しないラクスと僕の異常なまで敏感な琴線は、良い音を弾く。 キラはようやく、心から嬉しそうに笑った。二人の触れ合う順序というのは意識下レベルながら相当にまどろっこしい。 「おかえり、ラクス」 「ただいま、帰りましたわ。ああ、ごめんね。とりあえず家に上がりますわ」 彼女の歩行を阻害する子供たちの頭を撫でてさりげなく脇へと移動させながら孤児院に入ると、構ってもらえ、気を良くした子供たちに手を引かれ、ラクスはこちらへと向かってくる。 パンプスを靴箱に仕舞う最中にも、文句やら我儘で口々に甘えられるラクス。 「ラクス眠いー」 「遅いよぉ〜」 「まちくたびれたぁ。夕ごはん、さみしかったー」 「本当に、ごめんなさいね」ぱちんとラクスは手を合わせて、片目を瞑る。 彼らも本気で攻め立てている訳ではない。というか、母親・姉代わりである大好きなラクスの連続した不在に 拗ねていただけであるので、いつも通りのラクスにすぐに寂しさは補充されたらしく、ある男の子は胸を張って、 「気にすんなー」とまでなぜか逆に宥めたりしている。 「あれ、いつのまにかキラがいるー」遂にラクス以外にもキラは発見された。 「ラクスにべったりしにきたんだよ!」 全く正解である。 まとわりついてくる少年に真理をつかれ、キラは苦笑した。 だが、はいイチャこきにきました、とは言えず、あははと濁して当たり障りなく構ってやる。 騒ぎを聞き付けリビングから夜着にカーディガンを纏い現われたカリダが、手櫛で髪を梳かせてやってくる。 「おかえりなさい、ラクスさん」 カリダが言うや否や、ラクスは彼女まで迷惑が渡ったと思い、「申し訳ありません」 項垂れて謝罪したが、カリダはびっくりして、ラクスに駆け寄ってきた。 「ラクスさん!夜更かしを怒ったのに寝なかったこの子が謝るならともかく、あなたが謝る理由なんて、なにもないのよ?もっと甘えなさいな…家族なんだから」 「かぞく………」 「そう!家族。あなたは、大切な家族。忘れちゃってるわね、いつも」 ラクスは瞬間。なにもかも、表情を取り繕うことも思考放棄により完全に忘れた後、はにかんで頷いた。 「………はい…」 そんなラクスの顔は、とても幼くて、18の女性にもクライン派を率いる指導者にもみえない。キラはそんな彼女の様子を父が子を見守るような微笑ましさのまま、くすりと笑って、声をかける。 「帰り、遅かったね。…かーなりさ」 ラクスは、キラに目をやると、あからさまに拗ねた表情。 語尾に付け足されたニュアンスに、ラクスは苦笑する。擬音ならば、メソメソといったところが適当である。 「ただ今帰りました。撮影が長引いてしまって……明日はカメラ撮りだそうです」 「え、明日もあるの?」 キラは目を丸くした。思った以上に彼女は拘束されてしまうようだ。 「広告用のポスターを、撮るんだそうです」 「楽しみねえ」愛娘のデビューを喜ぶ母親のように、夢心地なカリダ。 「へえ…。そうなんだ…そっか」 キラは騒ぎ立てる胸の不可解さに疑問を抱くも、彼女が一日家を空けていたことはこの何とも形容しがたい不安の理由には該当しない。 ファクトリー関連で宇宙に時折あがるラクスはジャンク屋との交渉などの関係で数日に及び、帰宅できぬ場合も珍しくはない。 キラはやはり心淋しいものの彼が同伴するケースも間々あったりするわけではあるが―――慣れというのもあるし惰性というものもあるし、年齢という点においても、たった今ほど陰欝な気分におとしめられるはずもない。 「なんだか、久しぶりで懐かしかったです」 「…ん?何が?」 わざと聞きそびれた風を装った。 「……なにもかもが、懐かしかったです」 目を伏せて、開けると、キラの口元が僅かに引き攣った。 澄みきった湖の瞳は、どこかへと、僕のいないどこかへと、彼女は思いを馳せている。キラもカリダも、孤児院も、何もかも透明になって、ラクスは幸福そうに時を覗き込んでいる。埃の被ったアルバムを捲っていて、なくしたと思い込んでいた写真をふいに見つけたみたいな、酷く愛しげな青い眸が、感情を彩って心から細められた。 ………僕の知らない彼女。 妙に苛々した。 「あ。楽しかったんだ?」 立ち込め始めていた靄を追い払うために、キラは努めて明るくいった。 ラクスとカリダは、女性らしく洋服に纏わる話を展開していた。 「ん。お洋服がたくさん着れるのは嬉しいですわねー…。ひどく気を遣って頂いていたのが、申し訳なかったのですけれど…」 「そーなの…」 些かキラの懸案とは論旨がずれているなあと思うが、キラは答える。 「ても、今のラクスじゃ仕方ないよ」 「どうして?」 「どうしてって…」 相変わらずラクスは自身のことには普段はさほど頓着しない。 今や彼女は大戦で停戦へと導いた英雄、もはやプラントに留まらぬ世界のラクス・クラインである。ただ容姿まではオーブで認知されていないものの、ネームバリューでいえば世界でも屈指。 混乱を避けるため、撮影は偽名を使用しての参加ということであるが、無論彼女を起用しようと決定した企業上層部は、功績を知るがために、待遇はおそらく、相当手厚いものであったろう。おそらく、容姿が可憐なただの平和の歌姫であった以前にも増して過剰なほどに、周囲は緊張をはらんでラクスを取り囲んで多大な敬意を払い。 周囲にとっては最善であり必然であり、おそらく、皆似たような行動を取るだろうことは疑う余地もない。 しかしそれが当人、ラクス自身にとって最善となりうるかというのはまた別問題として発生する。 「私は、気にしませんのにね…」 キラは寂しげに笑う彼女の肩を抱いた。 「やっぱ、割り切るの、難しかった?」 「……そうみたいです」 「僕は、君は君だと思ってるよ」 「…ありがとう」 頬を寄せて小さくキラの肩口で言うと、ぱっと離れて頬を染めてにっこりするとリビングへ一目散に駆けていった。 置いてきぼりにされたキラは「……やっぱ可愛い」とにやけながら彼女の後へと軽い足取りでつづく。 先程の気分が彼女の愛らしく懐っこい微笑み一つで見事払拭されているのが、現金だなと多少将来を思案してうなだれていると、息子の、母親をものともしないイチャつきにも、なんだか慣れっことなったカリダは、特に気にせずラクスの後を追った。 後日またからかってる予定ではあったが、それはまた別のお話である。 「ラクスさん、お風呂どうする?」 「シャワーだけ使いますわ。入ってしまうと多分寝てしまいます」 「…あんまり無理しちゃだめよ?あなたは特に体力モリモリってタイプでもないのに。そんなに細い体だし」 疲労を微塵も顔に見せないラクスにカリダが心配して言った。 「数年前に戻っただけですから。私、大丈夫ですわ!」 カリダは納得していない面持ちを崩さない。 「…宇宙へは、いつあがるの?連絡がきていたんだけど」 「えっと………明日の朝一番で……あ」 はたと険しい形相のカリダと、リビングへやってきた似たような顔をするキラに気付いて失言に固まる。 「ラクス……なんでそんなに詰め込むんだよ」 「だ、だって…仕方がないじゃないですか。私はラクス・クラインですもの」 「……………」 二人はそれでも食い下がるまいと、半眼で構える。少女が凡庸でないことも理解しているし、負う責任は大変なものだ。 オーブにいてよい理由も判然とはしないほどであるが―――だからといって体を悪くしそうなほどのオーバーワークを見過ごせるものか。 無言の仕打ちに、ラクスはたじろいで、胸の前で両手で開いて、普段穏やかながら怖い二匹の猫を制する。 「……わ」 「「わ?」」 「わかりました、あの、今後は調整しますから…」 「絶対よ?」 「約束だからね?」 「…………」 眼差しだとか言い聞かせる口調だとか語尾上がりが似たもの親子だなあと内心愉快に、こくんと頷く。 「私は、ラクス・クラインですもの」 キラはあっさりと言ってのける彼女が、どれほどその悲壮さを自覚しているだろうかと考え、やはり苦ともしていない、という結論に、またもや至る。何十度目かの思案であった。 それは一部彼女のアイデンティティとなっているし、疎ましいようでもありながらやはり彼女は一部を複合して彼女なのだ。 世界に飛び出すことを恐れる今ならばオーブでも惰性のまま燻っていられるだろう。 だがおそらく――ラクス自身が知っている。 このまま終われるような宿命の元にはいないのだと。 いつか、僕が正直に、ラクスに懸案事項をぶつけたとき、彼女は顔色一つ変えずに言った。 「そうね。きっとそうだわ…私は、多分ずっとそうだと」 人生に関して、彼女は同年代の女性よりもよほど達観し、悪意をこめれば諦観ともいえる達観さは老熟の域に到達している。 だが、ごく普通に友人達とじゃれつきながらカレッジに登校する平凡な学生の様を、無表情で眺めていたラクスを思い出すと、本当は最も凡庸たる所に願望があったのかもしれないと、キラは描かずにはいられないの。 子供たちと遊んで、笑うラクスは本当にごく普通の少女で、彼女を知らなければ誰も戦艦に鎮座する指導者だとは考え及ばないだろう。 それほど彼女は、彼女こそは平和な風景に溶け込んでいたし、キラの中での彼女は、真っ白なノースリーブのワンピースをはためかせながら海辺でお気に入りの歌を口ずさみながら散歩する後ろ姿であった。 日常のラクスはとてもありふれた毎日を繰り返すばかりだけれど、そこに彼女がいるということはとても幸福だ。 忘れているけれど、忘れてしまうけれど凡庸すぎるこの時こそが最も尊いものだ。 忘れたくないのに、慣れというものは時として人間を愚鈍へと蹴落とす。 キラが母とラクスの気の知れた会話を聞き流しているうちに、カリダは起床も早いというので先に寝室へと戻っていた。 「………キラ?」 ビー玉みたいな眸で不思議そうにこちらを覗き込むラクスは、必死に灯るとする孤独な炎を姿を余韻からか彷彿とさせ、キラは急かされて腕でラクスの体を捕まえた。 「…キラ?」 囲んで、ゆっくり、抱擁する。 不思議そうな目を向ける彼女は、今やキラの不安を甚振るようであったが首を振ってラクスの肩に顔を埋める。知らない化粧の匂いが、鼻腔に悲しく香った。 ラクスは、なぜキラが今にも泣きそうな顔をしているのかが、よく分からない。 彼の湖面の静寂は、彼女を受容するようでありながら、悲しく手を払いのけるようでもある。 しかしどうあるにせよ、私が、傍にいることは事実である。 ならば何の躊躇があろうか。 彼女は、彼女の最善を、芽吹いたささやかな望みを実行に移す。 ラクスは一方的に抱きしめられていた拘束の隙間から、細腕を外に出すとキラの広い背中に、回りきらない腕を回した。 → 21. 殺す(空白の2年間キララク連載「夢」・<confession>後) キラとて世間一般には遅すぎるだろう初恋が14、5の頃ようやく訪れた、超恋愛初級者であるが、ラクスはその上を行く超ド恋愛初級者であった。 いや、そもそも「恋愛」と「好意」に区切りがあるのだろうかと疑問を抱いてしまうのは、彼女に些か失礼であろうか…とはいえ、目の前で大きな青い瞳を丸くさせてきょとんとキラの前で棒立ちの幼さが翳る(若干偏見というフィルター越しなのかもしれないが、いやそれでも)ラクスを見上げれば、不安に駆られるというものだ。 「ラクスは、アスランのことは、その…」と言ったところで、ラクスにとり相当唐突な話題の転換であったようで、「…はぁい?」素っ頓狂な声を上げた。 「………いや、いいや」 それでなんとなく、アスランのことはどうせ男としてもあんまり認識していなくて訊ねても「お友達ですわー」という未来ぼけっと彼女が発するだろう台詞が目に見えたのでそこでやめておいた。半眼でベッド上から床へ足をやや乱暴に着地させ、やや開脚気味の膝上にどんと片肘をついて頬に手を添える。姿勢が悪い。 「君は、あの、…遊びに行く人の家で、何するつもりなの?」 ややストレートにぶつけてみたが、ラクスはほんわかと思いついたように顔を綻ばせた。 「あのですね、お花を頂くんです!」 「…………花?裏手にも咲いてるじゃない」 険悪な表情でキラが冷静に指摘する。 「いいえ、その方のご両親が今オーブで植物研究をしていらっしゃるそうで…独自に交配させて作り上げたお花なんですって。私も、記念のお花を頂いたことがありまして…実際に目にもしてみたいですし」 彼女は無邪気に笑う。多分、君が目を伏せて思い描いているのはその綺麗なお花なのだろうけれど君を見つめていた彼が思い描いているのは多分そんなお綺麗なお花のことではなくて。 「興味が湧いたの?」 半ば聞き流しながら、キラは一応質問を返す。 「ええ」 ラクスはとても楽しそうだ、夕方の話でもきっと思い出しているのだろう。 シンプルな白いノースリーブのワンピースや細い肩からすんなりと伸びる白い腕は、暗闇に近い月灯りの中でも映える。彼がきっと興味があるのはお花のことではなくて、こうして所帯を共にする住人しか知り得ない夜着のラクスはどんなのかなとか、 ラクスの腰ほどまである、触れれば柔らかな感触を齎す絹みたいな髪だとか、抱きしめれば骨なんてどこにあるんだというくらいふにゃふにゃした身体とか、告白したときに思わず抱きしめてしまって、少しだけ鼻腔を擽った君のどこか懐かしく優しい匂いだとかそういうものなのだろう。 「お花にもとてもお詳しいですし…変わりに私がお勉強を教える、というお約束を―――…」 「ねえ、ラクス」 思いつくばかりの妄想を並び立ててみたけれどそのどの視点もある一点に帰結する。 「はい?」 だから、分かるのだ。 彼女の嬉しさに茶々を入れるのは気が進まないが矛先がどうでもいいのでその嬉しさに罅入れることも僕はどうでもいい。 「彼はどうみても、君をそういう対象で見てたよ」 冷静なキラの声が、急に静まり返った部屋に響いた。 さすがにラクスでも理解できただろう、『そういう』対象という遠まわしながらも17であり、「彼=男」である以上は辛辣なほどに露骨な指摘にもラクスはまっ白に笑ってみせた。 「まさか、そんな訳ありませんわ。お互いにお友達です」 ラクスはベッドに腰を据えたキラに腕を引き寄せられ、二人の膝が触れるほどにまで距離をつめる。彼女が見下ろし、キラが見上げる形となった。 ラクスは見下ろした彼の瞳の色に、戦慄する。 温和なキラが、今まで見たことがないほど冷ややかで甘栗色の長い前髪から覗く紫には優しさが一片もない。細められた双眸は静かに怒りに燃え立っている。 「…お友達はあんな目はしないよ。あれは、『君目当て』の目だ」 「そんな…」 ラクスは、動揺とまさかという笑みが交えられているので分かりにくいが、みるみる覚束なくなっていく。 キラは分かっていなさそうな、いやどうせ分かってはいない。 人はある物事を聞いたことでそれを知ったかのような感覚にしばしば陥るが、自身に経験もないことを実際それほど自覚することはできない。 だから口端で嘲って、いつしか固く結ばれてしまったラクスの、キラと比較すれば小さな手のひらを、彼女の指先から広げさせた。そしてそのまま両手のひらを包み込む。 「君は、僕が好き?」 「……はい」 つい最近に交わしたばかりの思慕を繰り返すと、少し頬を桜色に染めた彼女は気恥ずかしそうに頷いた。心なしか上昇したラクスの体温が伝染したように思うが、すっかりキラは冷え切っているのでそう錯覚させられているだけなのかもしれない。 昼間辺りであればラクスと同じように初々しい心で無邪気に恥ずかしがれたのかもしれないが、見知らぬ脅威に脅かされていつも傍にいてくれて当然だと傲慢に思い込んでいたラクスが、「男」と接触していた。 その事実は急激にラクスとの間を遠ざからせたように思えて、喜ぶ気にもならないのだった。まるで全てが、彼女が与えてくれる好意が嘘のような、そんな気さえ。 「それでラクスは、僕に何を望んでるの?」 「何を…?」 「そう。好きになって、それで?」 ラクスは間髪いれず答えた。 「傍にいたいです。ずっと」 「…それだけ?」 「ええ。それだけで、私は十分ですわ」 ラクスは月光の下で聖母のように微笑をたたえる。 キラは瞬間、まるで無欲な少女の姿に息をとめ、次に苦虫を潰したような表情で言った。 「君は無邪気だけど、それも好きだけど。…結構、残酷だね」 キラの不可解さにラクスは疑問符を打とうと口を僅かに開いたが、開放された手のひらから上へ伝い片腕を強く引かれたと思った時には、背中がスプリングの弾みでバウンドし、視界は彼いっぱいのままだが背景が床から天井へと反転していた。 ただそれだけの違いが、彼の表情を凶暴なまでに変化を遂げさせていた。 能面のような一切感情を窺えぬ白紙の無表情。ラクスは視線をそらせず、射られるような瞳は恐ろしいようでもあるのに、なぜかそらせずにいる。 「ねえラクス。君は女で、僕は男なんだよ?」 ラクスは中途半端に中央へ身体をベッドに預け、膝下は床に放り出された格好のままつい数秒前まで見下ろしていたキラを見上げていた。混乱する脳裏には、無関係にも日の光の中で優しいキラの笑顔が浮かぶ。 →title.29 22.ラインを辿る 23. 騙す ラクスがそれなりに……、いや息を呑むほど可憐で麗しい容貌を有していることも暮らしを共にしていたここ一年でよく知っているつもりだし、キラが今だにふいに見惚れる瞬間が基本的に美形が多いコーディネーターにおいても類い稀な美少女に対する免疫がついてきているとはいえ、いまだにある。 しかし内面の美しさ、穏やかさ、そこに彼女がいて、ただぽっと笑うだけで空気が変わる。皆が笑顔になる。 どうしてだろう……?憂欝な何もかもを純化させる力でもあるのだろうか。 内面からの輝きと豊かさが外面に反映され、彼女を女神じみた高みへと押し上げているのやもしれないと、 エターナルでの凛々しい彼女の姿をも目にしているキラはそう考えている。 「キラ」 甘やかな声が街中にいた僕の名を呼ぶたびに、周囲の同性から嫉妬の念が突き刺さる。ラクスか通り過ぎれば人が振り返った。それは彼女が有名人であるとかあまり知らないオーブの人々でさえ例外ではなく、ラクスが自覚なしに発する華やかなオーラに当てられているに違いない。しかし僕が思うよりも周りは正直であり、それを忌避していた僕を事態は嘲るように、唐突に時は襲来した。 「私に、CM依頼、ですか?」 「そう。お願いできないかな、ラクス」 不精髭をたくわえたラフな服を着た男性が孤児院のテラスに向かい合わせた彼女にいった。ラクスはティーカップを受け皿に置くと、申し訳なさそうな表情で何事かを応答しようとしたが 「頼むラクス!」 否定の匂いを予知した男性は額をテーブルに擦り付けて懇願する。これにはたまたま同席していたキラも驚いたし、ラクスもまた同様であったらしく目を丸くしていた。 我が社の戦後復活の社運をかけての商品なのだと涙交じりに説得を受け、シーゲルの友人ということも働いたのだろう「今回に限り」という契約書を交わし、ラクスはTVへと久方ぶりに登場する……ただ違うのは彼女を知らぬ地、オーブであることだ。 「……ほんとによかったの?」 僕は彼女が歌姫であると受け入れているが、それが今のラクスが真実望む事態であるのかが心配になったのだった。 「ええ。大丈夫ですわ、今回限りですし」 「…やっぱ嫌なんじゃないの」 「えぇそうですか?」 「ほら、その顔がもう、嫌そう」 「…そうですか?」 馬鹿正直にキラの言い分を肯定するようにラクスはぺたぺたと自身の顔を触る。表情筋は確かに笑みを刻んでいるはずであるのに、内心とは裏腹ではあるが。 「わかるよ。ラクス、笑い方とか違うし、心からって時と。すんごい上手いけどさ」 造作もなく言い放つキラにラクスは些かの驚きと戸惑いをもって迎えていた。 「…………変わった方」 「そんなことないよ。みてれば、わかる。僕は少なくてもわかった」 「そうですわね。キラは確かにわかりましたものね」 「そう。だから、無理するなら、やめといたほうがいいよ。意味ないかもしんないけど……僕からも一緒にお願いするから」 真剣な顔でこちらを見つめるキラが、なぜだかほほえましくて不思議とラクスは意図せぬ笑みを浮かべた。 「なに?」 「いいえ〜」 ラクスは素直に嬉しかった。キラがこうして、自分を気遣っての配慮を配ってくれることも、また自身も共に頭を下げるとまで断言してくれた。……だが、やはり今回理由がどうあれ望んでラクス自身が引き受けた話である。先方も父の友人、幼少時代、父とともに邸宅に呼ばれたことも幾度があり、ラクスも感情として好きこそすれ嫌うはずもなく。無碍にするわけにはいかないのだ。 「だいじょうぶですから、キラ。私は」 苦笑するラクスからはやはり、どことなく依頼に対する渋りが滲んでいて念押しするように無言で視線を交えるも、 「……ね?」 「……………………」 結局、僕は仕方なしに「……ラクスが決めたんなら頑張って」と不本意ながら言った。どうせ言い募ったところでラクスはのらりくらりと言い逃れるし、彼女が決めたならば突っ走るだけであろう。そう軽く考えていた。僕はプラントでの彼女などあまりよく知らなかった。いや、あまりにも無知でありすぎて、後悔と共にあんな事態になろうとは思いもしなかったのだ。 →title.19 24.忠誠を誓う 25.腕を組む 26. 告白 「私、思うんですけれども」 「んぁ?ふぁに?」 AA内、キラの個室。 キラは部屋着で濡れた頭にタオルを無造作にかけたまま簡易冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルをあおぐ。 所用を頼まれ部屋にやってきていたラクスはベッドに腰掛け、キラを待っていたのだった。部屋の解除キーナンバーは乗艦の際にラクスと互いに交換しあっていたので、屋主不在の合間にごろごろしながら相手の帰りを待つというパターンもそう珍しい物ではなかったので、キラも別段驚きもせず「お帰りなさいませ〜」というのんびりした彼女の持てなしにも微笑でかえした。 ラクスはキラが何度言っても髪から水分を十分に拭わない悪癖に、嘆息しながらベッドから立ち上がる。 「あなたはちっとも言うことをきいてくれないのですね。風邪をひいてしまいますわよ?」 「いや、だって、面倒くさいし…勝手に乾くって」 ボトルのキャップを締め、端末が置かれているデスクにミネラルウォーターを手元を見もせずに転がせる。なかなかにキラは大雑把な性格である。気性が穏やかでぼんやりとしている彼だが、手を抜けるところは徹底的に抜くようなところがここ二年の彼との生活で知った内の一つだろうか。 ラクスは呆れ顔を崩さず、だらんと肩にかかった白いタオルを引き抜きキラの頭髪を掻き混ぜる。水滴が何筋も浅黒い首筋を伝っているというのに、当人がちっとも不快そうではないのがラクスはいつも不思議に思えてならない。 「それは乾くんでしょうけれど、乾くまでに風邪をひいてしまうといっているんです!」 「大丈夫だよ。僕、体強いし」 「…そんな根拠もなしに自信満々な…」 アスランが聞けば「それはお前達、お互い様だぞ」と苦言が飛びそうな台詞をラクスが不機嫌そうな表情で小さく呟く。 普段から突拍子もない行動で周囲を驚かせ、戦時ではその桁違いの次元で無茶ばかりするラクスではあるが、こういった日常生活では意外と普通の感覚を有している。とはいえ、アスランが言するならば「たまに」、という棘ある言葉となるやもしれないが。 「コーディネーターだからといって、風邪をひかないわけではないのですから…」 「うん、まあね………でも」 しぶとく言い募ろうとするキラにラクスは手を止めずに 「では、私がキラのようにシャワーから戻って、髪を濡らしていたらどうしますか?」 「そりゃあ!ぬぐってあげ……」 当然のように声を上げたキラは、はたと自身の矛盾に勘付き、罰の悪そうに顔を背けて、 「…ほら。お分かりになっているではありませんか」 「……………………そう?」 憮然とするキラは、くすくすと笑いながら言うラクスのなすがままにキラよりも背の低い彼女に合わせて心得たように自分から頭を垂れた。 なんだかんだ言い繕うものの、キラもラクスにこうして面倒をみてもらうのは気恥ずかしいながらも嫌いではなかったし、心地の良い癒しの時間でもあった。彼自身は極端すぎるほど控えめな言い訳をしてこういったラクスの行為を肯定しているが、ラクスの母性を感じさせる行動は、根が甘え性のキラにはたまらないものがあった。 さすがに16歳当時のような、女性の一挙動に素直に頬を染める………というのは、ここ二年のラクスとの係わり合いにより手慣れてしまい、逆に翻弄さえしてラクスを脅かすようにもなったが、内面はさして変化はない。 頭を水分を拭われ、亜麻色の髪を揺らせている。 ラクスはどことなくしょんぼりとした子犬を連想させるキラの表情に手は止めないながらもある感慨を抱いて魅入ってしまう。 タオルが宙に漕ぐ度に彼の、男にしては長めの髪からシャンプーの匂いが鼻腔を擽るけれども、ラクス自身が使用しているものと同じであるはずなのに彼の体臭を含んでか、その香りは微妙に差異がある。 決して不快感を伴ってラクスは甘受している訳ではなく、むしろ小さな幸福感すら覚えてひっそりと深呼吸をしてみる。 「キラはなんというか…」 「ん?」 「惜しいですわよね」 惜しい? 首を傾げて彼女を見おろすと、上目遣いに頬をほんのりと染めながら紅に彩られた形の良い唇を横へはえる。 どきりと心臓が鼓動を跳ね上げ、どんな甘い言葉を呟くのかと期待に上気していたところに、天然の踵落としが食らわされた。 「性別さえ違えば、完璧な女の子ですわ…」 「え、えぇ……ぇ……?」 想像とは違いすぎる言葉にキラは、もはや伝説のMSと囁かれた機体を操るパイロットの威厳を微塵も感じさせぬ情けない声を上げた。 「ほら………その呆然としたお顔だとかが、ああ…可愛らしい……」 「そ、そんな頬染めながら言わないでよ!!男なのに、可愛くなんてないって!!」 幼少から度々中性的な容姿に対しての言及として――――「可愛らしい」と比喩される自身にコンプレックスを抱いてるキラは必死に叫んだ。 しかし否定すればするほど過去の記憶の中で人々が賞賛として笑顔満面で吐いたつもりの、嫌がらせが妙に信憑性を帯びて浮き彫りにされてきて、キラはなんだかやるせない内心の中、ラクスも事あるたびに唐突に口にする事をも回顧して、複雑すぎる思いながら苦虫を潰した顔に低い声音をのせる。 「……僕は男だよ?ほら、だって君を抱いてるのだって、僕が男だか…」 瞬間的に、穏やかなものから一転してラクスの鋭い眼光が光り、キラの続く台詞を黙殺させた。 「ぅ………」 蛇に睨まれた蛙の如く、縮こまるキラはひたすら意味不明なうめきを漏らすのみで以後の不謹慎な表現、及びラクスの機嫌を損ねる発言を沈黙の内に撤回させられてしまう。ラクスは普段は蚊も殺さぬ温厚な人柄であるが、その怒りを買えば氷点下の凍える怒気が相手に待ち構えている。 一気に淀んだ空気に関わらずラクスの髪から水分を拭う行為は止んでおらず、ますます不気味さを加速させる。しばしラクスの眼力は継続されたものの、ようやく彼女も行動を起したことで気分が晴れてきたのか、無表情から緩々とした微笑へとラクスの表情が一変した。ふうと冷や汗を背に感じながら胸を撫で下ろすキラ。 ラクスは気分屋で気まぐれでよく怒りのツボが二年も過ごして未だに分からず、たまにこうして痛点に嵌ることがあるがしかし気分屋で気まぐれで、…悪く言えば少々身勝手なので彼女の気分が回復するのも気まぐれである。 「……でも、最近は大丈夫ですわよ!……その、この二年で、成長されましたから…」 少年から青年へ、16歳から18歳への過渡期に立ち会えたことを嬉しく思いながらラクスは宥め代わりに言った。けれどこれは、本心でもある。 「へえー…そりゃ嬉しいよ」 さっぱり嬉しくもなさそうに投げやりに吐いたキラに聞こえぬようぼそりと「…やはりどこか可愛らしいですけど」と呟いたが、 「最後は蛇足だよ」…あざとく聞いていたらしく、不満満面でキラは頬を膨らせた。 そういう所作こそ子供っぽさや可愛らしさを増長させているのだが、どうせ当人は勘付いても居ないのだろうしラクスも可愛いキラは大歓迎なのであえて忠言する気も今後金輪際持ち合わせることはないだろう。 「まあ。褒め言葉ですわ」 「どこが?」 「うーん…………どうして可愛いのかしら………あ、さらさらした髪だとか」 ようやくほぼ全ての水気を吸い取ったタオルを頭から降ろして、キラの指馴染みの良い髪に触れる。 亜麻色が指で透けば、うっすらと水痕が指紋型に残留する。 「…で?」 「あとは、優しい瞳や、顔の輪郭………」 ほっそりとした指で瞼や頬、顎を辿られながら、キラはその優しく触れる指先の心地よさに心の安らいでいくのを感じる。 「肌の色……もですし」 「なんで?黒いのがいいの?アスランは肌白めだけど…格好いいし、ああいうのの方が女の子は好きなんじゃ…」 「……私は好きなんです」 若干太くなった首へと指が降下し、Tシャツから覗いた鎖骨をなぞる。少し色の黒い肌さえ、愛しさに溜まらずラクスは自然と慈しむような笑顔を浮かべる。 キラは甘やかな鈴の音と、ラクスが夜にしか見せぬ、女そのものの顔――――に釘付けになりながら密度を次第に増す色香に唾を飲んだ。 ラクスは、もはや『彼の可愛らしいところ』というよりは『ラクスがキラの好きなところ』を、恥ずかしげもなく指摘しながら肩から腕へ下り、手の甲へと伝う。開かせた手に指を蛇のように這わせ、指の合間に絡める。 華奢な手がキラの体温に重なり、小さく力が込められた。のぼせていたキラは我に返り、驚いて為されるがまま両手を胸の前で繋いだ形となった。キラの指は力が入らぬまま弛緩し、ラクスに応えるでもなく無様に指が上をむいたまま。 「私よりも大きな手も…」 ついとラクスがキラの手をとり、自身の頬にキラの手を寄せた。 キラに対しての愛情が決壊して零れ落ちる少女の、頬に朱をさしたあどけない微笑みを一心にキラだけへと向ける。 「頬を包み込んでくれる温かさも、好きです」 「……………………」 キラは半ば愕然としながらも、みっともないほどに歓喜でうろたえ暴れる心臓を持て余していた。 (ほんと、天然って、恐い…) …下手な告白よりも、これはよほど相手に痛撃を与えられるんじゃないだろうかと、キラは、顔を赤くしてにやけて弛緩してくる口元を手で隠しながら、無自覚な目の前の女性が挙句の果てに 「キラ……」 甘い声で名を囁きながらキラの胸板に抱きついてきて、反射的に背に腕を回して密着してしまったこの状況を、これから一体どうしようかと、思いあぐねていた。 27.許す 28.寄り添う(第二次大戦後・まだ二人の間が平和な頃) …弱そうな背中。 目を覚まして一番に目にした、パートナーの綺麗な肩甲骨、白磁の肌に対し、 キラは冒頭の感想を持ったのだった。頭はまだぼんやりしていたが、普段の彼に感想を求めても、そう変わらぬ返答がかえることだろう。 この日の夜は、特に隣室で壁に耳を当てられて困るような時を過ごすこともなく、多忙な二人は別々の時間に帰宅してベッドに入り、泥のように眠りをむさぼっていたのだが、キラはなぜか目を覚ましてしまった。 最近では、少しでも多く睡眠時間をとることを密かな目標としているキラにとって、現状は芳しいものではない。 早く眠らなければ…そう思いながらも、こうして二人だけの時間を噛み締めるのも久々であったから(相手は眠っているが)、 しばし、キラはささやかな安らぎを得ることを優先させた。 まだ輪郭がぼやけたままの背中に、沈黙のまま焦点を合わせる。 前述の通り、特に困るようなこともしていないため背中部分の肌が見えるといっても、ワンピース型の夜着から露出している程度である。ただ、当人いわく首、肩周りは緩めの方が好き、とのことで非常に大きく開いている、のは確かではある。が、だからといってエロスやら淫らさは感じられない。 (でも、ステージ衣装あたりは微妙だよな) 胸元やら大腿部あたりの、こう緊張感を持つような見せ方は、キラが彼女を傍観している単なる一市民であったなら喜んで色々、…喜んでいただろうけれど、男としてラクスの傍にある以上、些か鬱屈した感想を抱かずにはいられない。 端的にキラの心情を述べれば、「気分悪い」の一言につきる。 男はある程度目を瞑らなければならない部分もある、とは理解しているし、またそれをラクスに吐き出している以上は認めざる得ない。 しかし納得したくないものは納得できないのだった。 「まあ、それも『しょーがない』で事済んじゃうことなんだけどさぁ…僕がどーがんばったとこで」 段々思考が働いてきたキラは桜色の神をちょいちょいつまんで、ブランコのように小さく振ってみるたりと、手遊びしつつぼやく。 指に触れる柔らかい毛が、少し羨ましい。こうしてラクスの髪に触れるまで、あまり意識したことはなかったのだが、自分の髪はどちらかというと少し固めなのだと、最近、今更ながら気がついたのだった。 シャンプー時、ふいに泡の中を進んで髪を梳かしてみて実感した。 どうでもいいことといえばどうでもいいことだが、どうせなら、ラクスみたいにふわふわしていた方がいいとキラは考える。 撫でるとき、気持ちがいいからだ。ふわふわはいい。 たまにラクスも遊び半分にキラの髪に触れるのだが、触れられるたびにささやかな喜びと裏腹、ラクスほど柔らかな髪質ではないため複雑な感情に悶々とさせられる。 くそ、母さんのふわふわが遺伝してくれたらよかったのに。などと複雑な気分に浸っていたりする。 しかしながら実際には、一般に照らすとキラの髪は標準よりも柔らかい類に該当する。 髪が柔らかすぎるラクスに固執して比較するが故に生まれた、犬も食わぬ悲劇であった。 「やっぱいいな。さらふわ」 触っているだけで、やさしい石鹸の匂いがする。ラクスの匂いも混じっているのだろう、石鹸のそれだけではない。 香水は彼女が嫌うため、使用していない。ただ、香をたくことはあるようで(その様を目にした機会はないが)たまに桜の匂いがふっと鼻腔を掠めるのだ。戦後は多忙なため、香をたく余裕もないのだろう。今香る『いい匂い』は、彼女本来のもの。 傍にいるだけで、彼女の空気に包まれる。気分が落ち着いていき、やがて心地よいまどろみが訪れていた。 母親の腕の中で、うとうととしつつ体温を求めて抱きつく…幼少時に体験した途方もない安らぎをラクスに感じた。 二人並んで横たわる中で少しだけあいた距離をつめた。背中からそっと抱きしめる。 「ん…」 「あ。ごめん、起こしちゃった…?」まずいことをしてしまった。眠りを妨害するつもりなど毛頭なかったというのに。 緩い拘束の中、身じろいだラクスは身体を反転させて顔をこちらに向ける。 一人焦るキラに、ラクスは眠気が勝るのか察しのよさが働いた様子もなく、目を指でこすりながら口を開く。 「ん…。きら…?もうあさ?」 「ううん。まだだよ、まだ…ごめん」 「じゃあ…ぅう」 静まり返った夜中の寝室で掠れた小声でしばし、会話が交わされる。 控えめにキラは、ラクスの体躯に回した腕を解こうとすると、ラクスは目蓋をゆっくりと閉じながら拗ねた表情した。 口を尖らせて、いやいやと首を振る。 「だめ…むー……ねむ……」 言いながら、キラの腕に抱きつきなおす。満足がいったらしく、再び健やかな寝息を立て始めた。 キラは睡眠妨害を最小限で留められたことにほっと安堵して、胸辺りまでずれていた毛布を、肩までかけ直してやった。 もはや言葉届かぬと知りつつ、腕の中のラクスにねぎらいの言葉をかける。 「ラクスはおつかれさんだね」 そういうキラも例外ではない。どうやらよほど前日疲労が蓄積していたらしく、目蓋が腫れているように重く、身体はけだるい。 もう限界が来たらしい。健やかな彼女の寝息に、リズムに、キラの睡眠リズムが脈動し始めた。波が静けさを取り戻し、潮がひくように意識が揺らぎ始める。 キラは薄目にラクスの髪色…薄紅を留めつつ、混迷の宇宙へ投げ出される前。オーブで二人、草原の中、日向ぼっこをした情景を思い出していた。 緑のふかふかシーツに肌をくるまれながら、柔らかな陽光をラクスと共に浴び、微笑を交し合った…穏やかな時を。 目蓋を閉じ、吐息を刻めば、キラはどんな闇にも負けぬ、かつて味わった幸福の夢に会える。 しかし夢は夢でしかなく、本物ではない。紛い物で誤魔化せるほど、キラは利口ではなかった。 「いつか…いつか、かえろうね。ぜったいに」 今はまだ、大好きな人達がいるあの日溜りの場所へ帰ることが許されない。 キラは辛うじて許されるやもしれないが、再び表舞台へと立つ覚悟を決めたラクスはもはやそうはいかない。 彼女の名を呼ぶ声が木霊す限り、小さな背中に多くの責任と、重圧と、理想と期待を背負いに背負って飛び出していってしまうだろう。 大嫌いな身分を示す服をまとって、勇敢に、踵を高く鳴らしながら、災厄にどこへまでも駆けつけるだろう。 ラクスがそうであるならば、キラのとるべき道は決まっている。 一人でなんか帰れない。こうして冷たい肌に、毛布をかけてあげる存在が必要ではないか。鳥肌をたてながら強がる娘を、放ってなんかおけない。 そうだろう? * 「ねえ聞いてる?ほんとにそう思ったんだって」 いつかの日、キラがそう述懐すると、黙って聞いていたラクスに、クッションを無言で投げつけられた。そのとき彼女が否定の言葉を叫びながらも顔が真っ赤であったことと、キラの顔面にクッションがクリティカルヒットしたと同時に赤ん坊が泣き喚いたことを報告しておく。 29. 押し倒す(空白の2年間キララク連載「夢」・<confession>後) キラは怒り任せにラクスを押し倒したものの、当の彼女が、一瞬驚きと戸惑いを覗かせたもののすぐに困惑一辺倒へと染まり、この状況下での危機感にまるで気圧される風もないことに、反対に彼が心中で動揺していた。 キラの両腕の合間に身を横たえるラクスは、真上から見おろされる紫を、不条理をつきつけられた子供のするような拗ねた目線を向けた。 「キラはどうしてそんなに怒っていらっしゃるのです?もしも、百歩譲りましてあの方が私にご好意を抱いていらっしゃるとしても…お家に窺いするだけですのに…」 …彼女は何を言っているんだ? はあ?と一般常識に照合しても明白に不適切な彼女の判断に、拍子抜けした顔ながらも、まさかと淡い期待を込めてキラは即座に返す。 「そんなのっ、決まってるだろ?」 「なぜですか!?私、アスランのご邸宅にもお伺いしたことがありますわ。どうしてそれがいけないことなのですか?」 「…っ………ラクスは、なんでそんなに何にも知らないんだよ……」 そこでキラははっと、親友がぼそぼそと話してくれた彼女との馴れ初めを思い出した。アスランとラクスは婚姻統制に基づいた婚約者である。ザフトに入隊し、赤服エリートとして忙しい身上であった彼、そして議長の娘であり歌姫として活動を行っていたラクスは、ごく普通の「婚約者」のように通信を交し合ったり自宅へ気軽に遊びに行くなどということは予想するまでもないが――――おそらくはなかっただろう。 身上・防衛の都合も難を来していただろうが、アポが事前に必要であり常にどこか二人で会合していても真綿に包まれた世界での逢瀬――――では、ラクスが経験上に基づいて彼女なりの常識を確立するのであれば『男の家にいってもお話するだけ』で完結してしまった、に違いない。多分。 「…キラ?」 「ほんとに、…………なんていうか、前途多難…?」 堂々と真顔で反論とも呼べぬ戯言を吐いたラクスに、キラは思わず深い息を吐きながら脱力して、キラはラクスの体から退きラクスの横へ転寝する。 ラクスは無意識下でどこか張り詰めていた何かがキラの影が視界から覗かれたことで糸が緩んでいくのを不思議に首を傾げながら、ふと強張っていた腕をゆるりと柔らかなベッドマットにのせる。 キラは長い亜麻色の前髪を掻き混ぜながら、嘆息交じりに再度、同様の意趣を込めて毒づいた。 「君は、本当に何にも知らないんだね?」 「……そんなこと、ありませんわ」 彼女にしては弱気な声音に実は確信犯だったりして、とキラは可能性の低い妄想に失笑を零しながら天井を見上げる。 「やっぱり。自覚すらないなんてね…」 「自覚…?」 いや、自覚を促すにもラクスはその材料すら手に入れていないのだから自覚しようもないか。無知というか純粋というか子供すぎるというか、他のこと、例えば人間関係を円滑に行うための生粋の処世術とか意外な分野にまで及ぶ幅広い知識だとか帝王学だとか、そういった一般人では及ばぬ域にまで達している器用な彼女が、恋愛関連には酷く不器用で不得手のまま……経験がないことを喜ぶべきところなのかは、微妙なところではあるがやっぱり嬉しかったりもするのが現実ではあって、少しだけ「彼女の天然に邪魔をされた」という拗ねは緩和されてきているらしく、キラの声音が優しくなる。 「…僕よりも奥手なんて、今時天然記念物だよ」 「なんですかその呆れたような言葉…」 「呆れてるんだよ」 「…そんなことありません!」 キラが首だけを動かして横目にやると、半ば自棄気味に声をあげるラクスが寝転んだまま頬を膨らませていた。それはおもちゃが手に入らず駄々をこねる稚児が連想されて、なんとも微笑ましくて逆になんだかからかいたくなり、 「てか、幼年学校の子のほうがこの手には優秀かも?」 にやにやと人の悪い笑みを浮かべてしまう。 「まあ!!」眉をつりあげるラクス。幼児以下と認定されれば黙ってはいられないのだろう。 「君は無意識に、『何もかもちゃんとしてないとダメ』みたいな強迫観念があるから、そんなに嫌がってるんだよきっと」 「そうでしょうか」 また床に細い足を投げ、大腿部までをベッドに預けた格好のまま憮然とする彼女は、心底自身の努力には気付いていないなのだろうなと思う。人の上に立つ人間と言うのは、それだけの度量も才能も人望も要求される。人の網目の中、いつしか一人歩きし始める評判に付いていくだけの人物たるには才能から全てを捻出できるわけもなく、おそらく彼女にとっては「当然の行為」が実は世間一般では「努力」に該当する行為でもそれは自身では見なされないのだ。プラント市民から絶大な人気を誇る、偉大なシーゲルの娘、ラクス・クラインであるためには相当の期待と無言の重圧を覚悟せねばならないだろう。 「そうだよ。ラクスは頑張りやさんだからね…」 言いながら、手を伸ばしてシーツの上に散らばったラクスの髪を一房摘んで人差し指にくるくると巻いてみる。桜色は褪せることなく薄闇でも色艶やかにひきたって美しい。先に目を配るとラクスの蒼穹の瞳がじっとキラを見つめている。若干眉間に皺が寄っているのだがラクス・クラインはこんな顔きっと晒したことないのだろうと傲慢にも優越感を覚えた。 「それにラクスは、人の心のことはよく知ってるけど、男のことは何にも知らない」 「男性のことなんて……分かりません、だって…私、ここまで深くお話できる方なんて…」 「光栄だね」 ラクスは吹きだして呟いたキラにきっと鋭い視線を送るも、予想とは違いあまりにも優しい光の宿る瞳――――まるで父親が娘をあやすような――――に瞬時にほだされてしまい、みるみる色をなくしてゆく。顔が赤まり、湯気が出そうな不可解な気恥ずかしさと、キラにしてみればようやく実感してきているという評価が下されるに違いないが、父以外の人に甘えてみたいという思いが胸に詰った。 「あ、……ぅ、…きら…」 ふいにキラの手慰みが髪から頬、そして額あたりへと伝い、ラクスの頭をゆっくりと撫でる。警戒心剥き出し子猫を慣れさせていく要領をなぞる様に、したたかに。 「でも大丈夫。男のことは僕が少しずつ、教えていってあげる」 「教える…?」 「うん。でね。まずは…」 穏やかであったキラの眼光が急激に強まり、ラクスは思わず肩を竦ませる。 「とりあえず、男の家には僕に黙って、てか絶対一人ではいかないこと!」 ラクスは心中縮こまりながらも空にたゆたう疑問符をそのまま口にすれば大反撃を受ける。 「…?……なぜで」 「いいから、ダメ!!」 「………う」 「い・い・ね?」 身体を転がせてにじり寄ってきたキラの顔が恐くて、ラクスは腑に落ちないながらもしょぼしょぼと小さく頷く。 「…はい………通信でお断りをいれておきます…」 「通信も男だったら極力、しないこと」 「えぇ…?」 「これが第一歩」 納得のなさたっぷりの彼女の字面になき反論に、毅然と言い返すと、そういうものなのかと緩々とした反応ながら世間知らずの兎は不承不承また頷く。 「それで。………これが、第二歩」 言うなり、少し笑ってキラは一気にラクスとの間を詰めると顎に手を添え彼女の唇を掠め取った。 「僕以外は、こういうの許しちゃだめだよ」 「……………キラ」 一瞬の接触に、呆然とするラクスに、キラは自分で行動しておきながら想像よりも生々しく襲来した柔らかさと熱に僅かながら羞恥をはえながらも、彼女に通達を出した。 「ちょっと前の復習だけど…軽いキスから、ね?」 fin. 30.終幕
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