20. シーツにくるまる/1


「では、いってきますわね」
「……ん。いってらっしゃい」
今日こそはと、出で立ち寝着はシャツとズボンと寝起きままながらもなんとか、キラは目を擦り、ラクスを玄関先にまで見送りに出ることに成功した。
対するラクスは、ターミナルだけではなく人が集まる撮影現場にも出向くため、最も特徴的な髪を白の帽子にひっつめ、ベージュのロングコートを羽織った程度の軽装である。
いつもとは違う服などを着用すると逆に、ラクスの雰囲気と水が合わないためただでさえ目立つため、女性らしさを損なわないながらもベーシックなものが選択される。
出向くまでに使用する服はターミナルに所属する部下や支援者が好意で提供されたものが多い。ある女性パイロットが、密かに品定めをしているという噂もターミナルには実しやかに流れているが、今だ真相は闇の中である。

「…早く、終わらせてね」
キラはそっぽを向いて、言った。
なんだか所作が可愛らしくて、くすりと笑うラクス。
「はい。らじゃー、ですわ」
おどけて額に手を当てて崩れた敬礼のポーズをとると、キラは不服そうに息をついて見つめてくる。
真剣見がどうもラクスには欠けているためか、クーリングオフ前提の契約を行うような錯覚に襲われる。どうも信用しがたい。

「ら………」
「ラクスー、早くしろ!シャトルが飛ばなくなるぞ!」
キラが名を呼ぶ前に先手を打った形となったバルトフェルトの声が、道路に待たせた車から飛ぶ。
「あっ、キラ、ごめんなさい!続きは帰ってきてからで…!!」
「え。ちょ」
はーい!と返答して、一目散に砂浜から車へと駆けていく後ろ姿をぼんやり眺めて、ひょっとしてこれが見納めなんてことになりはしないかと埒も開かない感傷に耽った。
すぐに我に返って、バカじゃないかと自虐する。
うん、とりあえず帰ってくるには違いないんだし。荷物だってあるんだ、ちゃんと戻って、くる。
「………ま。僕は僕で頑張ろ」
まだ解析作業もケリをつけていないし、モルゲンレーテからエリカ・シモンズじきじきに来訪を申し付けられている。おそらくはかなり、「久しぶりに遊びにいらっしゃい」というような物見遊山気分では出かけられないことは、なんだかんだと仕事をまんまと押し付けられた数々の経験から骨身にしみて理解している。

「でもどうせなら、カガリにも会いにいこうかなぁ…」
モルゲンレーテ・行政府まではこの離れ島から距離がある。どうせ本土へ出向くなら、彼女や、できればアスランにも会っておこうか。

カガリとアスランは、どちらも戦後になっても付き合いの続くキラの良い友人である。
カガリとは、血縁関係にあるらしいのだが…どうもピンとこない。
唐突に友人が実はあなたの○○○ですと宣告されても、育ってきた環境も違うし何より実感がない。
家族がいた!という事実は、素直に嬉しいのだが、おそらくカガリもそうだろうけれども「だからどうした」という話なのである。実母実父が別にいると聞かされても、キラの母と父はやはりカリダとハルマであるし、当人にとっての現実が、『キラ』からみた世界を構築していく以上、真実がどうであれ、全てである。それ以上でもそれ以下でもない。
そうであったから、カガリに対して特別認識が変化する訳でもなく、先に友情が芽生えていた為に、実質彼には従兄弟だったのだくらいの意識程度しかなく、血縁関係など、後はからかいのネタとして時折戯れに登場するくらいだ。

明るいカリダの声が玄関から、ラクスの遠ざかっていく車を見つめて佇んでいたキラに飛んだ。

「キラー、もうパン焼けたから食べちゃいなさい!」
「うん!わかった!」
冷えた空気に別れを告げて、キラは足早に室内へと引き返しながら、
早く起きたら彼女がいない朝と、見送りは、ラクスが一段落着くまでは続行されるのだろうと考えて、それだけでまた気分が滅入った。
もう何度同じ事で滅入っているのか知れないキラである。
当人もいい加減に、これではダメだ、という自覚も些か芽生え始めていて、いくら今まで彼女が傍にずっといたからといっても甘えてばかりはいられないのだと思ってはいるのだが、頭では理解できても、心や、彼女不在の自宅はどことない寂しさと物足りなさを糾弾する。コントロールを完全に掌握することは、現段階まだまだキラにはできそうにもなかった。

ほんの2年前までは彼女がいないことは当然で……何よりラクスは、プラント議長令嬢で、プラントで敬愛されるアイドルだった。
しかし、その活動といっても……ラクスが苦笑交じりで、ようやく慣れて来た頃に漏らしたことであるが、ラクスは、クライン派・政府関係祭典でのアイドルであり、実質的には一般的な意味合いは大きく異なっていた――――と。
なにもかもから一応は自由となった彼女は、冷静に顧み、過去の自分を憐れんでいるようだった。
私には、本当にそれしか、父の為だけにしか、生きる道はなかったのかと。
信念は時に己を律する代償として呪縛をかける。無数にある選択肢を無意識に拒絶していったことで、未来を自ら狭量な世界とし、選びとる可能性を無為にしていたのではないか、と。
そしてラクスは、随分と弱くなってしまいましたね、とも、続けて呟いた。
微笑みながらもどこか、悲しい顔が、とても嫌で、思わずキラは話題をそらしてしまったけれど。

彼女は――――戦争が残した様々な爪痕をまざまざと思い知り、……父という優しい指導者と故郷、歌姫という存在価値、そして何よりも、彼女が大好きな歌を失った。
ラクスは人前では歌を歌わない。過去に一度きり、一人涙を流し鎮魂歌を夜空へ捧げる線の細い姿を、キラは目にしたきり、耳にしていない。
だから子供たちは、ラクスの歌を知らないし、歌手だったことも知らないのだ。
あんなに綺麗な歌声を、彼女は何らかの意図を持って封じている。
「いつか、また笑顔で歌ってくれる日はくるのかな…」
寒さがぴんと張る澄みきった青空を見上げ、キラは一人心地た。
しかし歌を再び公で口ずさみ始めたとき、この孤児院での『ラクス』は終焉を向かえ、一人光の中へと身を投じるのではないかという危惧も、微かに抱いていた。

―――――優しいあの娘は、一人が誰よりも嫌いなのに、いつも一人になろうとする。

甘えられるのならばいいだろう、頼れるのならばいいだろう、我侭をいえるのならばいいだろう、素直に泣けるのならばいいだろう、みんなを騙せないのならばいいだろう、死を我慢できないほど不器用であればどんなにいいだろう、どんな苦痛にも耐えられないのならば、どれほど。
どれほど彼女は、救われただろう。
普通の少女ならば簡単なことなのに、どれ一つとして覚束ない不器用な人が、他のどの少女や大人にもできないことを平然とやってのけている。
他人に感情をぶつけることなく、全てを内に秘めて誰とも別たずに、歩み続けようとしている。

キラは鼻で笑った。上手い比喩を思いついたのだ。
「孤高の、笑顔麗しき歌姫。か」
何という悲しい響きだろう。そんなに美しい女性は、御伽噺の中だけの存在で良いではないか。
それに気づいたとき、僕は素直に傍にいてやりたいと願って、傍に駆け寄っていった。
それでも、ラクスは一人で今も泣いていることだろう。
だからいつも、僕から彼女に手を伸ばすのだ。
一人じゃないよと、進んで一人になろうとするラクスに、少しでも思い出してほしくて。

「でも。それでも、最近は、……まだマシになってるの、かな…」
一見キラよりも数段に大人びて落ち着きもあり、ラクス・クラインとして部下の大人たちをも率いる彼女であるが、それなりの付き合いをして悟ったラクスのあまりの不器用さに、時折キラは堪えきれず忠言したり怒ったりと、子供の成長を見つめる父親のような行動をする羽目に陥っていた。
カリダも同様らしく、「あなたは家族なのよ!もっと頼ってちょうだい」だとか「ラクスさん、そんななんでもかんでもやろうとしなくていいのよ。辛いなら、辛いっていってもいいのよ」とか、なぜかラクスの父親のようなキラも、先手を取られてしまうのはしばしば…いや頻発している。
それでも二人の育て親に反発するように、ラクスはまだまだ、よちよち歩きで居心地の悪さから、たまにあらぬ方向へと逃げ出してしまうけれど。
彼女は人から恩恵を受けることが酷く不慣れで、普段のしっかり者はどこへやら、とたんに混乱して、制御しきれずに今にも泣きだしそうな、悲しい顔をしてしまう。
多分、当人には表情筋がどのように働いているのかは、恐慌状態時には把握しきれていない。
(ラクスが人を困らせるようなこと、するわけないしな。てか、好意受けて困ってしまうって……ラクスはいっつも好意を与える側だったんだろうな。ほんと、変なとこで下手……)
キラの暗くなっていた顔が、段々と明るくなってくる。
出会った頃とは逆転の関係が定着化しつつあるような気がしないでもなくて、いつも『弟』と位置づけられていた自分も随分と変わったものだ。
今はラクスを受け止めてやりたいと思っている。



2へ続く