「お兄様。私ね、今日ほら…、ここまで弾けましたの!」
優しい色の髪の少女は、つんつんと譜面、2枚目ニ小節目を指指しながらにっこりと笑った。 キラは灰色の学生服、首に纏わりつく襟詰を緩めながら、桃色の髪が流れる細い肩を軽くたたく。幼少から親しんだ「よくやったな」の合図である。セーラー服の白襟が、嬉しげに少しだけ揺れた。大好きな人に褒められ、はにかむラクス。
「そう、ラクスすごいね。まだ最近始めたばっかでしょ?」
「いいえ…そんな。先生のお陰ですわ!サリマン先生、とてもお上手ですのよお教えになるのが」
十二歳ほどの少女の笑顔威力に負け、つられてキラは愛好を崩した。 アイスブルーの彼女の瞳はキラキラと宝石でも嵌め込んでいるみたいに綺麗で、 薄布のカーテン越しに差し込む弱体化した太陽すら美貌に取り込んで、一層輝きを増している。オーラとでもいうのだろうか、ラクスが初めてヤマト家に迎え入れられた時の初顔合わせでさえ、幼いキラは彼女の溢れんばかりの魅力を感じずにはいられなかったのだ、成長した今となっては。
だが。キラは苦虫を口内で潰す。だが好きになってはいけない。愛してはいけない惹かれてはいけない。キラは何度も忘れて暴走しそうになる自分に諭す。
彼女は妹。遺伝子の連結はないけれども、妹なのだから。愛すべき。
キラは甘ったるい色を浮かべた瞳を細めた。

「お兄様?」
「なに?…ラクス」
そう、愛すべき。誰よりも。





彼女との出会いは、まだ僕も幼い頃。





雪国にいるとかいう、絵本の中の兎みたいな目だ。そして淡雪のような肌。 彼女の第一印象は、やや驚きと困惑を持って幼いキラへと迎えられた。
「ほら、キラ。挨拶なさい。これから一緒に暮らす、『ラクス』、っていう女の子よ」
女の子なのは一目瞭然だよ、と内心むくれながらもキラは自分とほとんど目線の分からぬ俯いて目元を晴らしている優しい髪色の少女を、カリダのスカートにしっかとしがみついて、半ば覗き見のように顔と靴先のみ突き出し窺っている。しかしちらちら、という控えめなものではなく、凝視というに違いない彼の眼差しには、物珍しいものをみるような興味と、不思議な輝きが内包されている。
「キーラ」
「えー…だって…」
見知らぬ少女を突然紹介されれば、例え6歳になったばかりのキラとしても渋るのも無理はない。一方的に母からこの少女と暮らすから、安に仲良くしろ、と告げられても心情としては困惑の途を辿るばかりである。
「い、い、か、ら!」
「う…」
カリダに肩から押し出され、キラはよろめきながら前へと出る。
小さな影が真昼の陽光にカーペットへ焼きつけられる。小さく佇む少女の影と、黒の頭部が繋がった。キラは先までのように凝視する訳にもいかず、足元を見つめたまま彫像の如く固まっている少女に、仕方なしになるたけさりげなく、を装って目を向けると。
キラはややもって異なる印象を抱いた。瞠目して、改めて全体像に視線を投げた少女は酷く萎縮していた。優しい桜の、肩辺りまでの緩やかなウェーブのかかった髪は肩の脅える筋に連動して震え、長い睫毛は止まぬ嗚咽に濡れそぼっている。涙滴は玉を作り、今にも零れ落ちそうな雫が危く日溜り色にすかしている。今にも崩れ落ちてしまいそうな硝子の少女。
…脅えてる?
「あ、の」
キラが気が付いたときには、なぜだかいつのまにそう口に出していて、「え」我に帰って動揺する。不思議そうにようやく顔を上げた少女の潤んだアイスブルーの瞳は凍え、頼りなく意志すらおぼつかない様子だったが…キラの鼓動が、跳ねる。視界が赤く染まっていくのを感じながら、なんとか喉まで昇っていた場つなぎに搾り出した言葉紡ぎだした。
「僕は、キラっていうんだ」
応じて、彼女が首を傾げる。第一印象、雪国の兎という比喩どおり間近に接近してまじまじ見つめれば白滋の肌は繊細で、子供特有の膨らんだ頬は微かに紅がともる。
柔らかな淡い桜波がシャープな輪郭を辿り、埃が入りはしないかと気遣いたくなるほどの大きな瞳は水分に 赤みを含まされているもののある程度冷枯れば地球のように青く、見惚れる色合いを湛えることだろう。 整った鼻梁から唇に至るまで、可愛らしいとしか形容しようのない容貌にキラは息を呑む。
天使が具現化したかのような、まるで彼にとって彼女の存在自体それは奇跡のみたいで燦々と放たれるオーラにしばし陶酔する。
「き、ら?」
窺うように訊ね返す声も、ああ、なんたる甘さ。体温が上昇するのを感じた。
手が汗っぽくなり、服で拭う。言葉がつまれば、しり込みしているのだと微妙に意味合いを勘違いした母親がとんと肩を叩く。
「そ…そうだよ。僕はキラ。君は、ええと…」
なんだったっけかと罰悪く頭を掻くと、反応に意表をつかれたらしく、少しだけ微笑しながら言った。口に手を添え、笑みを慌てて噛み殺す。自然な流れに添った、上品な仕草。
「…ラクス、です」
「そう。…ラクス、そうだよね。ラクスだった…」
訳の分からない呟きを口内で振り撒いて次の反応に困窮していると、また母が背中を小突く。 批難がましい瞳を背後に向けてから、とりあえず、思いついた妥当な所作を取ることにした。 おずおずとキラは小さな手を差し伸べると、少女は意を解したのか、今度は脅える風でもないけれど少しだけ遠慮の残滓を嗅ぐうぎこちなさで指をそろそろと伸ばし、やがてじれったく二人は握手を交わした。少女の手はやけに柔らかくて、勿論幼いキラも同様だったろうが――――壊れ物でも扱う心情に陥り、握力を強めることができずキラは惚けて頬を染めたまま、どうしたものかと触れたいと願う欲に対峙する。閃いた結論、肌が触れ合うだけの妙な握手となってしまう。接するラクスは、どうして私だけが棒みたいな彼の手を握っているのだろうと疑問符を一杯に散らしていたが、キラは気付かぬ振りをして矛先を反らした。
妥当な妥当な、と幼いながらに考えに考えて緊張しながら。
「い、…いっしょに、あそぼ?」
「………はい!」
そこでようやく、キラはラクスの手を握り返した。少女は花のように笑う。
照れ隠しに、忘れていたわけではないが目を紅くした少女の目元をキラはいっぱいに袖を伸ばして涙を拭ってやった。



彼女の両親は交通事故で一度に亡くなっている。 彼女の父は議事堂で議長の任についていたが多忙の為、まだ小さな娘の面倒すらままならず 普段から知人宅に預けられ、父母の迎えを待つことが多かったようだ。 しかしある日両親の乗る車が事故に遭い、ラクスの元へたどり着くことなく他界してしまったのだ。娘のラクス、一人を残して。 彼女の親権は右往左往していたが結局は、 彼女の母の親友であったヤマト夫妻、つまりキラの父母が残されていたラクスを引き取るに至る。
互いに忙しい身の上ながら、連絡のみは頻繁に取り合っていたため、キラも「ラクス」という少女の存在のみは認知していたが、よもや14歳を数える今まで共に過ごすことになろうとは思いもしなかった。 結果それが彼にとって大きな幸運であることは、今更疑いようもない。






すす、と壁に押し付けられたセーラー服が鳴き声をあげる。 背に感じるコンクリートの感触に痩せた彼女の制服上からでも骨ばった背骨が軋む。顔を顰めながらも救いを求めて天井に泳ぐ青の瞳は熱に蕩かされ、息もできぬ余裕もないくらいに細かな接吻に晒されている。
「お兄様。…ん、お母様が、すぐそこにっ…」
至近距離過ぎる端正な顔がようやく隙間を了承したものの、青さに駆られたキラが持続する忍耐性を指し示すように互いの長い睫毛は瞬けば音を立てそうなほどの許容のなさ。余裕のなさ。
「…ん?ってか、僕はお兄様だったっけ?」
数十秒間、二人は濡れた唇を離していたが彼はその空白時間と理性に痺れを切らしているのか瞳が刻一刻、爛々と輝きが増している。ラクスは拗ねる半分嬉しさ半分という曖昧な微笑を浮かべると、やがて縋るようにキラの首に手を回した。
「違います……キラ、でしたわ」
「そう。そして君はラクス。…ただの、ラクスだ」
応答を交わすなり急いたキラが堪らず彼女の身体を引き寄せた。
二人の距離は逃げた熱を補おうと濃密な蜜にたゆたう中で零になる。





/恋





>す、すみませんすんごい微妙で…!いずれまとめて本で出したいとは思っていますが、ごたごたドロドロ純愛(笑)の予定です。いや出れば。むしろ間に合えば。お兄ちゃんなキラもいいかなあと。
普通に二人は中学生です。こう微妙な年齢がまた萌えるというか…(すみませんでも大好きで)