そんな、事も無げに言い放った少女は凛とした笑みを、しばらくは、ここ数年は少なくとも顰めていた強さを露にした瞬間。僕が目にとめてしまえば、それは慄きと化していた。
「私、見てまいりますわ」
「え?」
「プラントの様子を」
「!」
瞬間的に、身勝手なものでアスランとの相違も平和も戦争も何もかもが頭の中から見る型なく消失する。彼方へと霞んだ。
「道を探すにも、手がかりは必要ですわ」
頭が真っ白になる。本気だ、彼女は。
「それはだめだ…っ!君はプラントには!!」
嫌な汗が滲んだ。今度こそ君へ鎌をもたげるやもしれない、死地であるかもしれないそこへ行かせる勇気など、許容心など僕には。そして何よりも。
ただただ強烈な拒絶を彼女へ浴びせようと憤りに似た不安を抱え言葉を紡ごうと口を開くも、まるで一つの魂を分け合ったようにどこまでも僕に呼応し、同じ空気を吸い、僕と共に同じ世界に立つ君は、よく僕の言論を封じる、ありのままの心を曝け出した。
「…大丈夫です。キラ」
キラはしばし思惟を詰らせた。
「私も、もう。…大丈夫ですから」
「………ラクス…」
キラは悲哀に顔を翳らせた。決意は既に彼女の内で完結されたものであると、強固な輝きを求める小さな手を地へ降ろさせるなど僕には。しかし、それでも。キラは唇を噛み締めた。過去、月光の下で覗かせた微笑みの泣き顔が、脳裏に蘇る。
ラクスは夜な夜な、一人月へ唄を捧げていた。誰にとは言わずとも知れる、聞かずとも知れる。
だからキラは反対を口にする。停戦から二年を経過した今でも巣食う微細な痛みは確実に彼女の傷を抉っており、剣を再び差し出すラクスの手は不安に満ちていた。父親を失った戦争に対する恐怖は、喪失を強要した場所―――――プラントへの恐怖へと移行したのかラクスはこの二年、プラントに関する言葉をほとんど口にしようとはしなかった。
その彼女が、泣きそうな眸を堪え鍵を僕に託した彼女が。抱いた肩すら、折れそうなほどにか細く温度は冷えていて、滑らかな温もりが、手に届かぬ地へと赴くなど。君も僕も耐えられるのか、軋む悲鳴と孤独と、一時的かもそれないかもしれぬ。喪失に。
盲目になるのだ、酷く彼女を思慕する故の時には我儘の禍として。
ラクスの表情は決意に揺るがず、けれどどこかに寂しさを滲ませた青い瞳は精一杯の優しさで接しようと、運命の歯車は懸命に言葉を紡いだ。
「行くべき時なのです。行かせて下さいな。……ね?キラ…」
「…………でも」
君に辛い思いをさせたくはない。離れたくない。傍にいたい。
小さく他愛ない願いなのに、どうしてこうも叶えることが難しい?
「キラ」
「せめて、僕も」
「…それはいけません、キラ。私は受け入れられませんわ。それは…あなただからこそ」
静かに、だが潔く拒絶するラクス。キラは傷ついたような顔をして、無力感に耐え切れず俯いた。
現在AAが置かれた状況を少し察すれば当然であるのに、理性で自制の手綱を支配できるほどキラは完成された人間ではない。
恋する女の前に立つ、単なる一人男である。
恋慕すら否定されたようで、やるせない思いがどこまでも募っては波打ち際ギリギリに引き際を心得引いていく奇妙な理性の残滓。足りない、まだ、まだ僕には力が足りない。
悔しさの中で、広くない僕の腕の小ささを思い知らされたように状況を自覚する。
「……それでも」
「いけません」
キラは物寂しさに、ラクスを引き寄せれば抵抗なく胸へと華奢な体が舞い込んだ。
「なんで…」
瞼に唇を触れさせる。
「キラ…」
「なんで…?」
次に、僅かに潤んだラクスの目じり。頬。君が匂いだつ首筋。苛立ちと疑問符ばかりが頭を占領して、神経を逆撫でる。
守って、真綿に包むように優しく大事に、穏やかな時をただ過ごしていきたかった。
同じ空気をすって、笑い合って、望み合って、叶えあって。
望んでいた、沈む泡沫のように儚い今日だと知りながらもこれからもそうだと信じたかったラクスとの過去の日々が駆け巡る。なぜだ。どうしてだ。矛盾を来す。状況が僕を許さない。
僕に力があるからか、大切な人たちを守りたい、守れるから。君以外の人たちをAAで守れるから。
だが反面、守護するだけを有した力が呪わしくなる。違う、いやそうだ。君へ行使される自由が拘束される。かつての戦時でも疎ましくてたまらなかった、人の死を量産する忌々しいこの力。だが守れたものも多くあるのだ、確かに。守りたい。AAでの戦友、肉親、大切な人たちを。
けれどそれ故に手放さなければならないものも、なんと多いことか―――。
キラはラクスの肩に額を押し当て、苦しさに息を漏らした。腕が痛いほどキラの震える手に掴まれた。戦慄き、食い込む男の指。ラクスは微かな痛みに唇をひいた。
「君が何したっていうんだ。…なんでだよ。平和に暮らしてただけじゃないか」
「キラ……」
「どうして僕と君が。やっと、やっと一緒に、ずっといられると思ってたのに。なんで……!!」
肩で悲愴に唾棄するキラの大きな体を、爪先を立てラクスがやんわりとできる限り大きく、腕で包みこんだ。
「…キラ」
「………………」
嫌だと明確な意思をのせ、ふるふると首を振る。
茶の髪が舞う様子を、ラクスは軽い笑みをのせながら泣いて、心でキラに呟いた。
キラとラクスだからこそ、二人だからこそ出来る芸当だった。シンパシーという名でも括れない、称すならば、愛。あるいは絆。 それでもまだどこか一つの言葉に収束させるには足りない糸を縒り合って出来た今が互いの抱擁に身を委ねるという行為。
…分かって、いるのでしょう?
「…そうだ。分かってる。君で分からないことが僕には無い」
「ええ」
ラクスは頷いた。否定などする余地が無いほどに迅速に。
「そして、僕で分からないことが、君にはない…」
「ええ…」
キラの問いかけ、というよりも確信をより確信へ奥深く静める低い言葉に頷きながら、ラクスは 静かにキラの髪を梳いた。広い彼の肩を通り頭部へ腕を回すには尺が間に合わずどこか足元は不安定だったが、補うように少し屈んでラクスの肩に鼻を埋めるキラの、いつの間にか腕から腰へと回る腕が支えとなり、ラクスのあやすような笑顔を手助けている。
「ホント…いつも無謀で無茶苦茶な君には、敵わない……」
「…キラは、本当にこんな私でよろしかったのかしら?」
肯定の意味合いを含んだ失笑をラクスがすれば、キラも今更といいたげに小さく吐息を吹いた。
けれど矛盾するようにラクスを繋ぎとめる腕の力はどこか増していて、震えは止んでいたものの動揺が沈静化する気配はなく、 むしろ度合いを強めるように彼の纏う雰囲気が鋭利なものへと変化していく。
「だから………」
「…はい」
押し殺すようなキラの了承の後、無言でラクスとキラは手を握り合い、指を絡める。
ラクスは途端に感情を失ったキラの手に先導されるまま、廊下へと連れられてキラの匂い色濃い部屋の扉をくぐれば、 あとはもう、もうただ嵐のような愛情に晒されるのみで、ラクスはしまいには幸せのあまりに涙が零れるほどだった。 ああ、私は心底キラに愛されているのだと、ラクスは鳥肌が立つほどに自覚して、気を抜けば何度も意識を失って しまいそうになった。でも今日だけは、一秒たりとも手放したくは無くて、 零れていく時間一粒一粒が、何よりも贅沢に思えて。
キラはラクスの額に口付けを送りながら、胸の肌が涙滴に湿る感触を覚えて、真摯な瞳で二人から発せられる熱に霞んだ空気を吸う彼女をそっと覗き込んだ。
「…ラクス………、君は、死ねないよ」
「ど、して?」
「君が君を見捨てたら僕を見捨てることと同じだ。…忘れないで」
ラクスは驚いたように目を瞠って、やがて唇を何度かわなつかせた後、こくんこくん、と何度も頷くラクスの頬をはさみこんで桜の唇を、キラは挟み込むみたいに啄ばんだ。優しく。
そして囁く。思うままに我が物顔で世界にある他の何でもなく君にだけに、傲慢に。
「…好きだよ」

どこまでだって行こう?
夜明けまでにはまだ、時間があるからその刻限まではせめて、君の体温に溺れていたい。
君の手と僕の手を繋いで、宿る熱がある以上は。





/繋いだ手から始まる