真夜中にまどろむ彼女がのせるのは、泣いているようにも笑っているようにも捉えられる曖昧模糊を具現化させたような表情。外部からの目を恐れた彼により遮蔽された部屋の灯りは、ベッドサイドのランプのみ。 皺の寄り過ぎたシーツは、長い足の指でひっかきまわされ出来上がった幾重破錠した輪の中、キラは華奢な見かけとは違い筋肉質な半裸を闇に浮き彫りにさせたまま、けだるそうにベッドに腰掛けている。キラの瞳に宿る光景は面白みのない壁と扉のみ。彼の背にはまだベッドの中にいる彼女の毛布越しに伸ばされた足が接触しているが、体温は隔てられキラの腰辺りの肌に伝わるのは毛の柔らかさのみ。 素っ気のない白の絨毯の上に伸ばした彼の長脚の波間には衣類や下着が丸まったまま個々が点々と一定の距離を持ち、放置されている。 ラクスは薄墨桜の髪を雪の降り積もる地に惜しげもなく垂らした姿を、閉ざされた窓に向けている。 コントラストの対比は美しく、薄布のカーテンから僅かに漏れる月光に祝福されたラクスは、容易く決壊してしまいそうなほど脆さを露呈して。キラは彼女に横目をやって、すぐに反らした。意味などはない。単なる気まぐれだった。 ラクスは毛布を胸元に引き寄せているとはいえ、ようやく息をついた今しがたである、力のない腕は最低限羞恥を繕える範囲を食い止めるのみで、無防備に肌を晒している。キラは思う、なんていつまでも警戒心のない女性だろうと。それが信頼からくるものも一端を担っていると理解していながら。 吸えば容易に痕がつく柔肌に散りばめられた鬱血は遠めに花びらのようにみえるが、間近で目を凝らせば赤が波打ち際の青から白に染まるに似た模様を確認できるだろう。 二人きりの夜の孤城に、一矢が投じられた。 「時折、あなたが酷く嫌いになります」 キラは瞬間、心臓が硬いものに貫通されたかのような錯覚に駆られた。 強矢に胸が射られるという観念的なものではない。もっとダイレクトな、そう、生々しく捉えるならば胸に突き破り、骨を掻き分け密林奥に躍動する心臓を圧迫し―――まるでそれは死に至らしめる前兆かのような。 「どうして」 キラは表情には押し隠すことに成功したが、内心は彼女の喪失という想像の擬似恐怖に脅えていた。 キラは嘘つきだった。そして彼女も嘘つきである。 互いに化かしあっていっている、道化の舞台もいいところだ。 ラクスはアイスブルーの瞳を躊躇なくキラに向ける。幽玄な肢体は陽炎。 「貴方はこんなにも私を束縛するのに、貴方はいつでも『自由』という名の剣にのって、どこまでへも彼方へ飛んでいってしまいますわね」 彼女は下着も身につけぬまま、ぐしゃぐしゃになった男もののシャツを手を伸ばして肩に羽織る。 前は止める気もないのか、ボタンは役目を果たさぬまま灯りの恩恵を受け、煌めいていた。 キラは端正な顔を酷薄に歪めた。心からではなく、半ば義務的に内在する、ドロドロとしたヘドロ。本心を咀嚼する。 「どうしてキラはずっと震えているのですか…?」 顔をあげ、彼女のいない側の壁を瞠目する。 「分かんないんだろうなぁ…ずっと」 鍛えられた体躯を折り、失笑交じりに膝上に手を組みあげる。 ねえ、気付いてる?いや気付いちゃいないだろう。だからそんなに無表情なんだ。君は。 本当は僕が震えているのではなくて、本当は君が震えているのだということを。 君は気付かないのだろう。自身が思う以上に、足元の揺らぎを不安がっていることを。 ラクス・クラインゆえんたる姿でなければ、そうでなければ君はアイデンティティを保てないのだ。 キラは先ほどとはうって変わり。空虚な笑みを浮かべて、おどけてた仕草をしてみせる。 「自由は好きな人の元にあるからこそ、真に『自由』になれるんだよ」 僕が君以外の陸へ上がるわけがないだろうと笑うと、彼女は虚空の瞳で瞬く間に防壁を積み上げて微笑んだ。 「貴方は羽ばたけばよろしいでしょうに。その力が、貴方にはある」 キラは狂乱じみた眼光を輝かせ、ラクスを睨み上げた。 コックピットの中で過去彼が湛えていただろう獲物を淘汰せんとする野生動物の紫は艶に濡れ、本能そのままに蹂躙せんと歯を剥いた。 「…僕こそ、君を時々酷く嫌いになる」 獰猛にキラは下唇を喰らうように噛みついて、血が滲むほど乱暴に花弁を吸い口内を貪欲に貪る。 息が細々と苦しげに吸い上げようとラクスは空気口を開こうと口端をゆがめたけれど、それすら許容せずにキラは泡沫の玩具に囲まれる中、彼女の背を覆う布を引き千切り、影が爪を掻く。 乱雑な力が比重の高い指にかかり、前のボタンが弾けとんでいく。 視界を熱に霞ませながらも頭は不思議と冷静のまま、ラクスは他人事のようにその軌跡を追っている。息が千切れては高く、高みに。 彼の部屋を訪れた他者が目にとまれば見過ごしてしまうだろうたかが一つのボタンが、コロコロと絨毯の上を回転し、 「ぅあっ」 甲高く回転し、 「っ…ぃっ」 やがて回転速度は理性と肩を並べて低迷し、 「やぁ…っ!」 窒息し横薙ぎに転倒する。 荒い息、濃密な二酸化炭素ばかりがキラの唇から供給され、変調をきたした心臓が闇を飛び跳ねる。 「君が束縛されていると感じているように、君は僕を束縛しているのに」 「っや、キラっ…ぅ」 字面は拒絶しているようであるくせに声には甘さが内包されている。 「愛情って、姑息だよね……ホント、嫌になる」 愛という名の煉獄の中、されるがままにしていたラクスも次第にキラの首に抱きつき、舌を絡め始める。ラクスは涙していた。高い位置から滴り、彼の頬に着地した涙は、まるでキラが流したようにも見えた。僕がいくら君に愛を叫んでも、歌を口ずさみながら都合よく僕の愛にのみいつまでも耳を塞いでいる君に届く日はくるのだろうか。 本当はこの瞬間にも、愛されていることを実感しながら、認めてしまえば僕が離れていくとでも恐怖しているの? 「本当に望んでいる?開放を」 回答は互いが空気に嘲けりを溶かすことで事済んだ。 /煉獄 |