煎れたての紅茶から漂う仄甘い香りはキラの安らぎそのもの。 硝子越しに目をやれば視野を緑一面に染める。晴れ間にも木々の匂いは強い。
どこかで窓を開けているのだろう、 悪戦苦闘中のキラが腰を据えるリビングまでにも、昨夜小雨がぱらぱらとしたその名残か、雨上がりの森林から贈られる自然の匂いと溶け合う静寂が鼻腔を優しく掠めていく。
ティーカップの取っ手に指を潜らせて、キラはさてどうしようかと思いあぐねながら、解体されたピンク色のハロを前に悩ましげにうーんと唸り声を上げてしまう。
とりあえずマイナス・プラスドライバやら工具をテーブルに置いてみたはいいものの、正直この手の極小部品の塊のようなものを分解するには少々の勇気と冷や汗を要した。
彼女の奏でる少し急いた軽い足音が、キラを気遣ってだろう、近づくにつれ押さえたリズムに調整されていく。もうこちらには知れているというのに。キラは小さく笑う。
「キラ、ピンクちゃんは元気になりそうですか?」
ほら、ふわりと手元に影が落ちる。
頭上からの耳馴染みの良い甘い、しかし内心気落ちしているくせに平気ぶる彼女に、キラは笑みを表面化させてくすくすと笑った。いつもからかう彼女への意趣返しもこめて。
「大丈夫だよ。壊れたって言ったって、音声機能だけだし」
「……深刻ではありませんか」
「そんなことないって!」
音声機を調整してやれば、さすが凝り性の親友の趣味が垣間見える精密な内部の中を探って――だが、
「ま、まあなんとかなるよ」
若干自信なさそうに語尾を濁すキラにラクスは、不思議なものでも見たかのように目をまあるくして瞬いた。襟元が若干広めに取られた灰色のセーター肩にそっと手を添えて、ラクスは彼の肩越しに分解された部品を一瞥するとどこかしょんぼりとした紫に唐突に正面から回り込んだ。
前振りなしに顔面至近に出現したラクスに腰を引くキラ。しかしすぐに煮詰まり、背中がソファーに行き止まりを宣告される。
「うわあ!?」
「キーラ」
「何だよ、いきなり飛び出てこないでよ!」
批難がましい声音を完全無視して一息つくと、息も触れそうな距離でにっこり微笑んだ。
「頑張ってくださいね。キラ」
うん、と今更ながらあまりの近距離に頬染めて首肯しかけたところで熱の篭る温度が唇を掠めていく。
離れれば柔らかさと甘い滑りだけがキラに事実の残滓を残した。
言するでもなくどことなしに釈然としない様子で、自身の唇に指を滑らせるキラ。
「…僕は君がいれば何でもできるような気がするよ?」
「大袈裟ですわ」
「でも、ラクスはどうなのかなってちょっと複雑になるよ。…こんなに簡単に操られるなんて」
不本意。空を掻く言葉は紡がれるまでもなく口内で窒息する。
キスも嬉しいしラクスのことは大好きだけれども、彼女の些細な挙動で高揚してしまう心はなんたる惰弱さだろう。少しくらい毅然と構えていたいもので、年月を重ねるごとに彼女への免疫も力をつけてきたかなと自信を持ち始めたところが、結局打ち砕かれてしまったみたいで。男心に複雑な思いが交錯する。
「私はキラの心の中で、どれくらい占めているのでしょうね」
「いっぱい。いっぱいだよ…だからこそこんなに悔しいんだきっと」
だらりとソファーに頭を乗せて屍の如く一切の力を抜ききって腕や足をしなだらせる身体は柳。
「僕が不器用なのは君もよく知ってるよね。なのに応援してくれるんだ…それにギブアップなんか絶対にしたくない」
ハロの修理を放棄する、イコールの先に行き着くのは過去の彼の姿しかいない。それだけは。
苦虫を潰したような顔で意を決し拳を握るキラに、ラクスは嬉しそうに今度こそ体ごとキラの正面を陣取ると、意気が漲ったばかりの筋が張った硬い膝に頬杖ついた。
「もしかして……嫉妬、ですか?」
「………っ」
ラクスはこんなにほわほわと可愛らしい容姿で普段朗らかであるのに、こうして時折、不可解なほど的確な急所をずばりと突いてくる。前々から薄々思ってはいたが、やはりそうだ。
キラは反論をと半開きの口を噤んだ。
いくら彼女に愛らしい可愛いと言われようとも、そして万が一にもその通りだとしても(存外に言い様に差はあれどもその通りであったりする)キラにも意地というものがある。
例え大当たりであったとしても(大当たりなのだが)、はいそうですかと認めるわけにもいかない。
きっ、とキラは真摯な瞳でラクスに対決姿勢を構えた。
「そんな訳ないだろ?なんでそんなハロくらいで僕がアスランに嫉妬なんてしなきゃいけないんだよ」
立ち向かう気は上々だ。
「あら……………勘違いですか。ごめんなさい」
からかうでもなしの意外な反応。
キラは面食らって、表情を沈ませるラクスを見返す。よもやこんな展開になるとは。気まずさに息を呑むキラ。良心が酷い男のレッテルを貼り付けた。
「私、もしそうならば嬉しいと思っておりましたのに……残念ですわ……」
「いや、そうなんだよ!うん本当!!」
「まあ!やっぱりそうなのですね」
嬉しい!とさえ言い出しそうに満面の笑顔を浮かべるラクスに、キラは微妙に苦みを味わった面持ちで
キラの膝に肘付くラクスを退けてしまわぬよう注意を払いながら、そろそろとテーブルからマイナスドライバーを手に取る。動作進行に一層笑みを深くするラクス。
「……僕、まんまと嵌められた気がするのは気のせいかな?」
「さあ?どうでしょうね」
膝上で首を傾げるラクスは、からかうようにやんわりつりあげられた唇に、
はえられた桜のルージュが密かにキラに移り香を残していることをおくびにも出さず、
………私がキラ以外心を奪われるはずもないでしょうに。
そう思いながらも、けれどやはり方向違いでも嫉妬というのは、つまりラクスへの愛情と同義であって。
「嬉しいです」
「……嫉妬が?」
「はい」
「僕はあんまりいい思いじゃないから嬉しくないけどね」
「キラも喜んでいいですよ?」
「どうして」
作業を始めたキラの邪魔にならぬよう高度を下げるがてら、膝に手枕を構築して顔を埋めた。
「私がこうして男の人に寄り添うのは、貴方以外に考えられませんもの」
ぴたり。指先から眼球の動きにかけてまでの一切の動作が停止する。
しばらくの膠着状態の後、キラが呟いたのは、頬を緩みきらせた多少声の上ずったうわ言である。

「…やっぱ嬉しいかも…」
「幸せですか?」
「これほどってくらいに。…ねえ、もしかして今、抱きしめたりしちゃいけない?」








/刺と嬉々